夏目漱石『それから』あらすじ|夏目漱石のおすすめ小説|前期三部作

三千代

代助の世話(代助が書生に探させたのです)で平岡は東京での住まいを見つけて、明日にでも宿から移ることになります。

その間に代助は二回平岡の宿を訪ねましたが、そこで会った平岡の妻三千代は青白い顔をして平岡に叱られていました。

夫婦には不幸の影がつきまとっているように見えます。

さて代助と三千代はちょっと特別な関係です。

代助は三千代のことをかつて奥さんと言ったことが一度もありません。

いつも「三千代さん」と結婚前からの呼び方で呼んでいます。

三千代のことを思い出して代助はしたたかに酒を飲みこうつぶやきます。

あの時は、どうかしていたんだ

三千代はこんな女性でした。

色の白い割に髪の黒い、細面ほそおもえてに眉毛まみえの判然はっきり映る女である。

一寸見ると何所どことなく淋しい感じの起る所が、古版の浮世絵に似ている。

こんな寂しげな美女なのですが、

帰京後は色光沢つやがことに可よくないようだ。

始めて旅宿で逢った時、代助は少し驚いた位である。

汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思って、聞いてみたら、そうじゃない、始終こうなんだと云われた時は、気の毒になった。

三千代は東京を出て一年目に産をした。生れた子供はじき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、とかく具合がわるい。

始めのうちは、ただ、ぶらぶらしていたが、どうしても、はかばかしく癒らないので、仕舞に医者に見て貰もらったら、能よくは分らないが、ことに依ると何とかいうむずかしい名の心臓病かも知れないと云った。

もしそうだとすれば、心臓から動脈へ出る血が、少しずつ、後戻りをする難症だから、根治は覚束おぼつかないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来るだけ養生に手を尽した所為せいか、一年ばかりするうちに、好いい案排あんばいに、元気がめっきりよくなった。

色光沢も殆ほとんど元の様に冴々さえざえして見える日が多いので、当人も喜こんでいると、帰る一カ月ばかり前から、又血色が悪くなり出した。

然し医者の話によると、今度のは心臓の為ためではない。

心臓は、それ程丈夫にもならないが、決して前よりは悪くなっていない。

弁の作用に故障があるものとは、今は決して認められないという診断であった。

――これは三千代が直じかに代助に話した所である。

代助はその時三千代の顔を見て、やっぱり何か心配の為じゃないかしらと思った。

三千代は美くしい線を奇麗に重ねた鮮かな二重瞼ふたえまぶたを持っている。

眼の恰好は細長い方であるが、瞳ひとみを据えて凝じっと物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。

代助はこれを黒眼の働らきと判断していた。

三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代のこう云う眼遣めづかいを見た。

そうして今でも善く覚えている。

三千代の顔を頭の中に浮べようとすると、顔の輪廓が、まだ出来上らないうちに、この黒い、湿うるんだ様に暈ぼかされた眼が、ぽっと出て来る。

代助が三千代と知り合いになったのは、今から四五年まえのことで、代助はまだ学生でした。

代助の学友に菅沼という人がいて、代助とも平岡とも親しくつきあっていました。

三千代は菅沼の妹でした。

菅沼はあるとき国元から妹を連れてきて、今までの下宿をひきはらって、二人で住むようになりました。

代助と平岡は菅沼が妹の三千代と一緒に住んでいる家によく遊びにいきました。

まもなく二人は三千代と親しく口をきくようになります。

代助、平岡、菅沼、三千代の四人で家に近い池のほとりを散歩することもありました。

そんなふうにして二年ほど大助、平岡、菅沼、三千代は交際しました。

四人が卒業する年の春でした。

菅沼の母が田舎から遊びに来て菅沼と三千代の家に泊まりましたが、帰る予定の前日に熱をだして入院をして間もなくチフスだとわかりました。

そして母親は亡くなってしまいます。

そしてそれが見舞いに行った菅沼に感染して、菅沼も亡くなってしまいました。

菅沼の母親が亡くなったとき、菅沼が亡くなった時に三千代の父が田舎から出てきて、平岡、代助と知り合いになります。

二人の葬式等を通して平岡、代助、三千代、三千代の父は親しくなったのでしょう。

平岡はその年の秋に三千代と結婚をしました。

代助はそのとき二人の媒酌人を探したりと、二人の結婚のために随分手助けをしました。

結婚してまもなく平岡と三千代の夫婦は東京を去ります。

三千代はいつも指輪をはめています。

その一つは代助が結婚祝いに送ったものです。

一方夫からの三千代への結婚の贈り物は懐中時計なのですが、指輪の方がずっと恋人からの贈り物らしいですよね。

もうこの辺りで後の二人の関係がどうなるかが暗示されているといえるでしょう。

平岡が引っ越しを目前にしたある日、三千代が代助を訪ねてきます。

顔色が悪く痛ましい様子の三千代を見て、代助は昔のように冗談をいったりはできないのでした。

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