『母を恋ふる記』あらすじ 感想

潤一と三味線を弾く女性

潤一は彼女と並びました。

高い立派な鼻が見えました。

潤一は

大丈夫だ、彼女はきれいな女性だ

と思います。

潤一は非常にうれしく思いました。

彼女は絵のような完全な美しさをもった若い女性でした。

潤一は彼女に話しかけます。

潤一は本当は彼女を「姉さん」と呼びたいと思います。

潤一には姉はいないのですが、美しい姉がほしいといつも思っていました。

きれいなお姉さんがいる友達を非常に羨しく思っていました。

そして潤一はこの女性に、姉に対するような甘い懐しい気持を感じていました。

「小母さん」と呼ぶのは本当は嫌だったけれども、いきなり「姉さん」と呼んでは余り 馴れ馴れしいように思われたので、しかたなく「小母さん」と呼んだのです。

女は返事をしません。

ひたすら三味線を弾きながら、さらり、さらり、と長い着物の裾を砂に敷きながら俯向いて真直に歩いて行きます。

どうやら自分の弾いている三味線の音に聞き惚れているようでした。

潤一は一歩踏み込み、今迄横顔しか見ていなかった彼女の顔を正面から眺めました。

女はふと立ち止まって、俯いていた顔を上げて、月を見上げました。

そしてぽろぽろと涙を流します。

(潤一)
小母さん、小母さん、小母さんは泣いているんですね。

小母さんの頬ぺたに光って いるのは涙ではありませんか。

女は空を見上げながら答えます。

(女)
涙には違いないけれど 私が泣いているのではない。
(潤一)
そんなら誰が泣いているのですか?

その涙は誰の涙なのですか?

(女)
これは月の涙だよ。

お月様が泣いていて、その涙が私の頬の上に落ちるのだよ。

あれ御覧、あの通りお月様は泣いていらっしゃる。

潤一は女に言われて月を仰ぎます。

しかしお月様が泣いているのかどうかはよくわかりませんでした。

潤一は

僕がまだ子供だからそれがわからないのだろう

と思います。

でもそれにしても、月の涙が女の頬の上にばかり落ちてきて、自分の頬に降りかからないのはなぜだろう

とも思います。

そして女性にこう言いました。

(潤一)
あ、やっぱり小母さんが泣いているんだ。

小母さんは嘘を言ったのだ。

(女)
いいえ、いいえ、何で私が泣いているものか。

私はどんなに悲しくっても泣きはしない。

そう言いながらも女は明らかにさめざめと泣いています。

瞼の陰から涙がこんこんと湧き出て、鼻の両側をつたって頤のほうへと糸を引きながら流れています。

声を殺してしゃくりあげるごとに、のどの骨が皮膚の下から痛々しくあらわれます。

女は鼻水をすすり、唇から侵入した涙を呑みこんだのか、ごほんごほんとむせました。

(潤一)
それ御覧なさい。

小母さんは其の通り泣いているじゃありませんか。

ねえ小母さ ん、何がそんなに悲しくって泣いているんです。

(女)
お前は何が悲しいとお云いなのかい?

こんな月夜に斯うして外を歩いて居れば、 誰でも悲しくなるじゃないか。

お前だって心の中ではきっと悲しいに違いない。

(潤一)
それはそうです。

私も今夜は悲しくって仕様がないのです。

ほんとうにどう云う訳でしょう。

(女性)
だからあの月を御覧と云うのさ。

悲しいのは月のせいなのさ。

お前もそんなに悲しいのなら、私と一緒に泣いておくれ。

ね、後生だから泣いておくれ。

(潤一)
ええ、泣きましょう、泣きましょう。

小母さんと一緒にならいくらだって泣きましょう。

私だって先から泣きたいのを我慢していたんです。

潤一もぽろぽろと涙を流し始めました。

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