谷崎潤一郎『細雪』あらすじ

洪水

舞の会からひと月たった後でした、朝から大雨でついに大水害となってしまいます。

洪水の朝、妙子が洋裁教室に出かけます。

悦子も小学校に行きます。

貞之助がもう少し小降りになってから出勤しようと思っているところでサイレンが鳴りました。

芦屋の幸子たちの自宅は水害の被害はなかったのですが、悦子の小学校と妙子の洋裁教室は河の近くです。

悦子は女中のお春と貞之助が迎えにいき無事に帰ってくることができましたが、妙子はいつまでも帰ってきません。

貞之助が迎えにいきますが、見慣れた景色がすっかり水に浸ってしまい、まるで海のようです。

貞之助すらも危険な目に遭い、もう妙子は助からないかもしれない、と思われましたが、夕方無事に妙子は戻ってくることができました。

妙子の洋裁学校はすっかり水につかってしまいました。

妙子は洋裁学校の敷地にある洋裁の先生の家にいたのですが、家に水が浸水して、あと少しでおぼれ死んでしまう瀬戸際となります。

そこに板倉が現れて、自らの危険を顧みず妙子を助けてくれたのでした。

ありがたいことではありましたが、疑念も残ります。

板倉は何故当日妙子通うの洋裁学校の近くにいたのでしょう?

板倉は事前に水害が起こることを予想していたらしいのですが、彼は妙子に気に入られたくて妙子の洋裁学校に行ったのではないでしょうか?

大水害のあと復興中の夏の大阪に雪子が戻ってきます。

変わり果てた街の様子に驚いた雪子ですが、家についてみれば何も変りません。

雪子は特に事前に連絡もせず芦屋の家にやってきたのですが、ちょうど彼女が家に着いたときは一家は隣のドイツ人家庭の家に遊びに行っていました。

隣家から悦子とドイツ人家庭の子供たちの無邪気な声を耳にして、雪子はほほえましく思います。

その夏は三姉妹は皆元気がありません。

雪子は6月から脚気だったのですがそれがだんだん重くなり、また幸子、妙子も脚気ぎみです。

三姉妹は夏中部屋のなかでごろごろしていました。

いつもは活発な妙子も水害のショックからか、人形制作や洋裁の稽古(洋裁教室は水害でお休み中です)もせずに芦屋の家でだらだら。

そんな時に板倉がしょっちゅう三姉妹たちの前に現れます。

彼は水害のため客が来なくなり、仕事がないので各地で水害アルバムを撮っているというのですが、元気いっぱい。

時には三姉妹を海水浴に誘ったりします。

板倉はしだいに姉妹たちや悦子、女中たちと親しくなります。

8月になって間もなくでした。

山村舞のおさく師匠が持病の腎臓病が悪くなって病院へ入院したという知らせが着ます。

幸子と妙子はすぐに見舞いに行きます。

二人が見舞いに行った後5,6日して逝去の通知がきました。

まもなく隣家のドイツ人家庭がドイツに帰ることになります。

父親のシュトルツ氏と長男が今月のうちに出発して、アメリカ経由で今月のうちに出発して、夫人と下の息子と娘はマニラ経由でドイツに帰るそうです。

シュトルツ氏と長男は横浜の港からアメリカに向かうのですが、雪子と悦子が彼らに最後のお別れに東京まで行くことになります。

今回の上京の目的はまた神経衰弱の症状がでてきた悦子を東京の名医に見せたいというのもありました。

幸子も後から少し遅れて東京に行くことになります。

幸子たちは東京の蒔岡本家に滞在しますが、その粗末な家に驚きます。

蒔岡本家は幸子たちを大歓迎。

他に宿を取ろうと、早く関西に帰ろうと思いながらも、だらだらと8月いっぱいを過ごしてしまいます。

9月になりました。

大正何年以来という猛烈な台風を関東一帯を襲います。

幸子は生まれて初めてといってもよい恐怖の2、3時間を経験します。

夜半におきた激しい風で蒔岡家の柱と壁が合わさったり離れたりします。

安普請だからこうなのではないか? 近所のもっとしっかりした家ならこんなことはないのか? と思い、家族たちは近所の家に避難します。

実際、避難先の近所の家は建物が崩れそうになる、ということはないのでした。

翌朝の4時ごろには風がやみ、一家は自宅に戻ってきます。

幸子は台風の後、もうこんなところにこれ以上いられない、と思い急いで宿を探し、移ります。

悦子の診察の予約がまだ先なのと、幸子が好きな東京の役者の公演がもう少し先なので、しばらく滞在することにします。

そんな折、宿に啓坊から手紙が届きます。

内容は板倉と妙子の関係が怪しいというものでした。

思いがけない手紙に打撃をうける幸子でした。

あまりのことに悦子の診察を受けると、芝居の方は諦めて神戸に戻る幸子でした。

幸子が妙子に手紙の真相を訪ねると、自分と板倉は身分違いで、板倉は自分に恋心を持っているかもしれないけれど、自分はそんな気はない、と笑い飛ばします。

妙子は山村舞の師匠もいなくなってしまい、また洋裁教室もしばらく休みなので時間があります。

フランス留学を考えいる妙子はフランス語の勉強を始めることを考えているそうです。

妙子の洋裁の先生が近いうちにフランスに行く計画があり、妙子もそれについていこうと考えているのです。

まもなく隣のドイツ人家庭の、奥さんと娘と下の息子も日本を離れることになります。

悦子と親しかったドイツ人の娘が、最後の日に蒔岡家に泊まりに来ます。

二人の少女は興奮して夜中まで大騒ぎですが、今晩だけだから……と大人たちは大目に見るのでした。

11月の初めになりました。

妙子の洋裁の先生のフランス行きは正月なのに妙子の留学の話はちっとも進んでいません。

幸子は貞之助が東京に行った折に、本家に話してもらいます。

こんな順序で話したのです。

悦子はかつて駆け落ち事件を起こしているので立派なところへお嫁は行けない。

また将来結婚する気でいる啓坊は経済的に頼りない。

そこでフランスへ行って肩書をとって、将来洋裁師として生きていく足掛かりとしたい。

幸子も妙子がフランスへ行けばしばらくは板倉や啓坊と離れるので安心だと思います。

本家からは手紙で返事がきました。

結果は否。

本家の鶴子からの手紙にはこう書かれていました。

妙子は駆け落ち事件について引け目に感じることはない。

もうあれは8、9年も前のことでもう帳消しになっている。

そのためにお嫁の口がないとか、職業婦人になろうなどと考える必要はない。

また妙子の名義になっているお金というのはない。

妙子が婚礼の式を挙げるような場合を考えて別にしているお金はあるが、理由のいかんを問わず請求されたら出す、というお金は預かっていない。

それを聞いた妙子は激怒。

妙子の言い分は自分はすでに子供ではないのだから、身の振り方を決めるのについて本家の指図は受けない。

また職業婦人になることがなぜそんなに悪いのだろうか?

本家の二人は考えが旧弊すぎる。

こうなったら自分が直接東京に行って、辰雄や鶴子に自分の意見を主張して、彼らの古臭い考えを正してやる、と言います。

特に妙子名義のお金などない、というのに特に妙子は怒ったようです。

彼女は鶴子や父親の妹からも将来自分のものになるというお金を辰雄が預かっていると確かに聞いているのでどうしても納得できないようでした。

兄たちが子供が多くて生活が苦しいから父からの遺言を破って自分たちで使ってしまうつもりなのではないか?

そんなことはさせない、絶対にお金を取り返す、といきまきます。

幸子は妙子が実際に本家に行って、こんなことを言ったら本家との関係はどうなるか? とはらはらしますが、2,3日たつと妙子の興奮も収まったようでした。

12月も半ばになった頃、幸子は妙子から妙子がフランスに行くのをやめたと聞きます。

理由は一緒にいくはずだった洋裁の先生がフランス行きをやめたからでした。

洋裁の先生は教室が水害で埋まってしまったために洋裁教室ができなくて、その機会を利用してフランスに行く予定だったのですが、別に新しい洋裁教室を開くのによい場所が見つかって教室が再開できるようになったそうです。

またヨーロッパの雲息が怪しく今にも戦争がはじまりそうなのでやめた方が良い、と夫から言われたからでした。

幸子は鶴子から妙子に洋裁の修業事態をやめてほしいと思っていると言われた、と鶴子に告げます。

妙子は幸子にそれは見ぬふりをしていてほしいと言います。

幸子はでももし後でばれ時自分が知っていて知らんぷりをしているのもばれたら「難儀やわ……」と困った思いをしながらも放っておきます。

幸子は近頃の妙子の様子を好ましくないと思っていました。

妙子にはちょっとはすっぱすぎたり、下品なところが見受けられるようになりました。

女中たちのまえで平気で肌をさらしたり、お風呂に入っているときに戸をあけていて理由を尋ねると、お風呂で居間のラジオを聞いていたからと答えたり、胡坐をかいたり……

その様子が板倉に似ているので板倉の影響ではないか? やはり恋愛関係にあるのではないかと疑ります。

正月七日を過ぎた頃でした。

妙子が数日前から洋裁教室に通っていることを感づいた幸子は妙子に洋裁教室はじまったの? と聞きます。

妙子は「ふん」と答えます。

それをかわぎりに幸子は啓坊との関係も妙子に聞きます。

妙子は自分は啓坊に騙されていた。

啓坊には自分の他に女がいた。

なじみの芸者のほかにほかの踊子の女性と子供までなしていた。

それに水害の時何もしてくれなかった啓坊に愛想をつかした。

もう啓坊と結婚する気はない。

フランス行きは啓坊と縁を切るためだった。

また妙子は板倉との恋愛関係も認めました。

自分の命を助けてくれた、またアメリカで苦労して技術を身に着けて、帰国後は自分で写真館を経験している板倉をひとかどの男性とみていて、将来は板倉と結婚するつもりだといいます。

幸子としては身分違いの板倉とは結婚してほしくないと思っています。

幸子が夫にこのことを相談すると貞之助は、啓坊と結婚するよりましだと思うと言います。

といっても貞之助はべつに板倉との結婚に大賛成というわけではなく、啓坊と比べたらまだいいのではないか? というものでした。

貞之助は「どうもこいさんという人は、性格が複雑で、僕にはちょっと分からんとこがあるのんて、……」ともう投げてしまったようです。

幸子は妙子の行動が自分の知らないうちに世間に知られていて、最近雪子の縁談がないのはそのせいではないか? とも思いをめぐらせます。

幸子は貞之助が相談にのってくれないので雪子とこのことを話したいと思います。

そんなおり、ちょうどよくおさく師匠の追悼会が開かれることになりました。

追悼会が開かれるのは昭和14年2月21日。

幸子はそれを口実に雪子を東京から呼びます。

妙子も出演するのですが、その会に板倉がこっそりと来ていて妙子の写真を撮ります。

そこに啓坊が現れ、板倉を殴り、板倉のカメラを地面にたたき起こします。

舞の会の後、幸子が雪子に妙子のことを相談すると、雪子も妙子と板倉の結婚は反対、それよりも啓坊のほうがよいというものでした。

雪子はしばらく芦屋の家に滞在します。

3月になるとかつての妙子の人形制作の弟子、亡命ロシア人のカタリナがドイツへと旅立ちます。

カタリナはその前にドイツ人男性と恋仲になり、彼の紹介でベルリンにいる彼の姉の家に身を寄せることになったのでした。

カタリナはイギリスに分かれた夫と娘がいるのですが、ドイツを足掛かりにしてイギリスに行き、娘を取り戻す予定でした。

カタリナは妙子に「私はヨーロッパに行ったらお金持ちの男性と結婚します」と言います。

つまりそのドイツ人男性とはそれっきりというわけです。

幸子は妙子からその話を聞いて考え方の違いに驚きます。

雪子はそのまま芦屋の家に滞在し続けます。

恒例の毎年の京への花見に行った時の電車の中で、悦子が発熱します。

40度近い熱がでて医師の診断は猩紅熱でした。

伝染病なので入院を勧められましたが、悦子が入院をいやがるので、自宅の離れに隔離室を作ったのでした。

看護婦や雪子が悦子を看病します。

次第に悦子の病気は快方に向かいますが、全快までには時間がかかりそうで、雪子の芦屋滞在は延び延びになります。

そんなおり、妙子がまた本家にお金の話をしに行きたいと言いだしました。

妙子は婦人服の店を始めたいと思っているというのです。

そのための資金が必要なので一人で本家に行くと言います。

幸子は妙子が一人で本家の兄に向かって極端なことを言ったらと心配になります。

またもし自分がついていかなかったら、妙子が義兄を困らせているのを高みの見物をしていると思われる、と心配になり自分も東京に行きます。

東京に行きますが、義兄は仕事で忙しくなかなか妙子から義兄にお金の話をする時間がとれません。

そんな折、幸子と妙子が歌舞伎座に行くと、劇場で「芦屋のマキオカさあん」という呼び出しがかかりました。

呼び出しの内容はこの前、中耳炎で耳鼻科に入院していた妙子の恋人の板倉が手術に失敗して重篤な状態になっているというものでした。

幸子と妙子は帰ることになりますが、帰りがけに幸子は鶴子からこんなことを聞きます。

雪子の縁談はあるにはあるが、妙子と板倉の話を相手が知ると縁談を断ってしまう。

妙子には啓坊と結婚してほしい。

そんなわけで自分たちは妙子が職業婦人になることは反対なのでお金はだせない、、、そんな内容でした。

関西にもどった後、妙子と幸子はもう助かる見込みがない板倉に付き添います。

板倉は結局あの世に旅立ってしまいました。

1939年5月のことでした。

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