谷崎潤一郎『夢の浮橋』

継母の経歴

糺(ただす)は長い間継母の本名もどういう経歴の人であるかも知りませんでした。

糺(ただす)は高等学校に入学するときの手続きで戸籍謄本が必要になりました。

戸籍謄本を取り寄せて、初めてそのとき継母の本当の名前が「茅渟(ちぬ)」ではなくて「経子(つねこ)」であることを知ります。

糺(ただす)が高等学校の一年生のときでした。

長年糺(ただす)の世話をしていた乳母が、五十八歳で暇を貰って故郷に帰ることになりました。

別れを目前にして二人で近くの神社にお参りいくと乳母が糺(ただす)にこう尋ねました。

(乳母)
坊ちゃんは今のお母さんのことについてどのくらい知っていらっしゃるのですか?
(糺)
本当の名前は経子(つねこ)だっていうことを去年初めて知ったよ。
(乳母)
それしかご存知ないんですか?
(糺)
うん。

お父さんも知ったらいけない、と言うし、お前だって何も教えてくれないんだから、僕はもうこのことは聞かないことに決めてるんだ。

(乳母)
私はご奉公している間はこのことは黙っていることにしましたが、まもなく故郷に帰ったら今度はいつ坊ちゃんにお目にかかれるかわかりません。

それにいずれは坊ちゃんもお分かりになることですしお話しましょう。

糺(ただす)は

このことはお父さんが話したがらないのだから、僕は知らないほうがいいだろう、

とは思いましたがやはり気になってしまいます。

乳母が「いずれはおわかりになることですし……」と話しだすのを強く止めはしませんでした。

乳母によると、継母の実家は京都の二条の色紙、短冊、筆墨を扱う裕福な商家でした。

しかし継母が十歳の時に倒産して、現在はその跡も残っていません。

その後、継母は十二歳のときに祇園に売られ、十三歳から十六歳まで舞妓をしていました。

そして十六歳のとき、富裕な木綿問屋の若主人に身請けされました。

正式な妻だったか、そうでなかったかはわかりません。

正式な妻ではなかったとしても、本妻同様の待遇を受けていたことは確かなようです。

継母十九歳ののときに、どういうわけか若旦那に離縁されてしまいます。

理由ははっきりしません。

夫の親や親戚たちが花柳界出身の彼女を嫌って追い出したのかもしれません。

道楽者の夫に飽きられたためかもしれません。

継母は離縁されるときには、相当な手当てをもらったようです。

夫に離縁されたのち、継母は実家に戻りました。

そこで隣近所の娘たちに茶の湯や生け花を教えて生計をたてていたのです。

継母が父に出会ったのはその頃でした。

ちなみに糺(ただす)の生母が亡くなったのは二十三歳。

継母は二十一歳で父と結婚しました。

父は三十四歳の時に継母と結婚しました。

父と継母が結婚したとき糺(ただす)は九歳。

糺(ただす)と継母の年齢差は十二歳です。

糺(ただす)は継母がたとえ数年にせよ花柳界にいたことを聞いて驚きます。

というのは継母は鷹揚で品がよく、昔の富裕な町家の伝統を残した女性です。

継母には花柳界の雰囲気などもみじんも感じられないのです。

糺(ただす)は継母が花柳界にいたことを知ったものの、継母の過去を総合して聞いた結果、むしろ好感を持ちました。

そして自分にこのような新しい母を与えてくれた父への感謝の念と、継母への尊敬と愛情をいよいよ強めたのです。

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