小説『小虎』第12章 前夜祭の芝居(1)

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舞台の上を歩き回っていた。
小走りで着物姿で下駄で歩くのは私にはちょっとした曲芸のように思われた。

紫の縞の着物に赤い帯をして、
頭に鬘をつけ白い布を被っている。

紅をさした口で白い布の端を咥えていた。

君の演じる女の子は、
おとせちゃんというんだ。

江戸時代の下町に住む貧しいけど優くて、
お父さん思いの子なんだよ、
と大人は教えてくれた。

ただ、
私がどうしてこの子は茣蓙を抱えているの?
と聞くと誰も教えてくれない。

白砂神社の年に一度の大祭の前夜祭に
青年会で芝居をするのは明治初期からのことだという。

幕末から明治初期にかけて、
この町出身の歌舞伎役者がいた。

江戸で少しは成功したものの

怪我の為志半ばで帰郷した。

彼が地元の少年達に芝居を教えたのが
始まりだそうだ。

昔は娯楽も少なく、
また歌舞伎風の芝居は当時の人の趣味にもあっていた。

祖父の時代や父の時代までは
町内の少年達の大多数がこの芝居に青春をかけていた。

祭りが終わると来年の芝居の稽古を始めるぐらいだったらしい。

出演者もかなり多くて、
朝から一日をかけてやったそうだ。

私が中学一年生の五月にたった一度だけ出演した時は、
もう大分下火だった。

夕方五時ごろに始まって、
合間に老人会の民謡や詩吟などを挟み、
夜の九時過ぎには終わる。

その頃はもうどの演目をやるか
大体パターンが決まっていた。

一幕目は毎年決まって「忠臣蔵」で、
二幕目は「三人吉三」
「切られお富」
「白浪五人男」
のどれかを一年ごとに順繰りにやる。

三幕目は明治時代にこの町出身の文人が書いたという
独自の脚本である。

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