小説『小虎』第12章 前夜祭の芝居(7)

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美登利が行ってしまったすぐ後で、
ラーメンか素麺をすするような音が聞こえた。

音のする方を見ると、
蛍光灯の下に子供がいた。

古びた畳の上に片膝を立てて座っている。

麻のようなぱりぱりとした袖の無い着物を着ていた。

白い布が年を経て茶ばんだような色だった。

腰の辺りを運動会の綱引きの時に使うような、
縄のような帯で縛っている。

着物の丈は短く膝小僧から下が覗いていた。

砂のついた皺だらけの膝小僧からがっしりとした脛が伸びていた。

日に焼けている。

あざだらけだ。

すね毛がある所は森のように、
ある所は砂漠の草のように生えていた。

はだしで足の幅が私の倍はありそうだった。

肌と同じ色の、
土色の爪のついた平べったい五本の足指がしっかりと畳を掴んでいた。

おかっぱ型の髪は箒のようにばさばさで、
頭の倍ほどに広がっていた。

前髪はのこぎりのようにぎざぎざだ。

顔立ちは立派だった。

運慶の八大童子像のような丸みを帯びた力強い目に、
しっかりとした幅が広めの鼻、
唇はふっくらと小さく優しい。

そんな古風な美貌の子供なのに、
行儀悪く、
膝にカップめんを置いてすすっている。

滝のような音を立てながら赤くつややかな唇が麺を吸い込んでいく。

目はやっと獲物にありついた獣のようにぎらついていた。

ずるっという今までに無い大きな麺をすする音がした。

その子はやおら立ち上がった。

私の横をひらり通り抜けたかと思ったら、
すぐにこちらを振り向いた。

気がつくとその子は私の目の前に立っていた。

目の位置は私とほぼ同じだった。

暗闇の中の猫のように光る目が私の視界を占領した。

がっしりとした手が私の手を捕えた。

体温が熱い。

カイロ並だった。

着古した布が私のズボンの上でかすれる音がする。

ぐっと手首を引かれた。

象の皮膚のように固いものが私の手の付け根を撫でている。

「離して!
離して!
僕じゃないよ!」

とっさに私は大声でそう叫んだ。

ごわついた暖かい肌が私の手の平から離れた。

楽屋の戸が音を立てずに開いた。

子供は見事にへこんだ土踏まずを私につきつけながら、
楽屋と舞台の間の暗闇に消えていった。

私はしばらく呆然と立ちすくんでいた。

全身がひんやりとして、
体が小刻みに揺れている。

おっかなびっくり先程までその子がラーメンを食べていた畳に体をのばした。

ふすまの脇に置いてあったウエストポートをつまみ上げると一目散に楽屋を後にした。

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