その後、
舞台の上に縄が張られた。
マイヒコは腹の上に剣を乗せると、
海老ぞりになり、
縄の下をくぐった。
縄を越えきると腹から剣をはずす。
両手を高く掲げ得意の姿勢をとる。
大喝采が私の耳を襲う。
今度は縄が先ほどより一段と低く張られる。
マイヒコはまた腹に剣を置く。
背中をぐっと後ろに倒し、
縄の下を通る。
また大喝采。
縄の高さはどんどん低くなる。
それからさっきの女中役が現れた。
長い棒と、
数枚の大皿をマイヒコに渡す。
マイヒコは棒の上に皿を重ねて乗せそれを大きく回した。
皿は大きなぶつかりあう音を立てたが、
棒の上でバランスをとって落ちることは無かった。
ひとしきりその曲芸をすると、
マイヒコは今度は棒を肩の上に乗せて、
また皿を回した。
「ははは見事な曲芸じゃ!」
「かわいい女よ、
こっちゃこい!」
二人のクマソタケルはそよ風に吹かれる柳のように、
西に東に揺れている。
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今度はマイヒコの左右に大人の男の腰の高さほどもある大きなつぼが置かれた。
つぼの上に、
五枚ほど重ねられた板が乗せられた。
マイヒコは手に、
はあっと息を吹きかけ気合を込める。
手刀を眉間まで上げ、
板に向かって振り下ろす。
私は右にいる男に声をかけた。
「知っているかい?
マイヒコがやっているのはヤマトの王子のコウス様の役なんだってよ!?」
男は
「何だよ!?
そのヤマトノオウジコウスって……
おお!
やったぜ!」
五枚の板が一枚残らず、
二つにきれいに割れていた。
男はマイヒコを見つめながら、
瞳に炎を映し、
握り締めたこぶしを夜空に高く上げる。
彼は犬の遠吠えのような歓喜の声を上げた。
その後マイヒコは綱渡りをしたり、
火の輪くぐりをしたり、
剣を飲んだりした。
他にも玉乗りをしたり、
玉の上で松明をお手玉みたいに宙に投げたりした。
その間中クマソタケル役の二人の役者は飽きもせず、
か細い手に酒盃を掲げ、
海を泳ぐクラゲのように右に左に体を傾けながら、
「何と麗しい娘ごじゃ!」
とか
「可愛い乙女子(おとめご)、
近こうよれ!」
とかいう「可愛い」「麗しい」「乙女子(おとめご)」「娘ご」「近こうよれ」「見事じゃ」という言葉を組み合わせて作った台詞をひたすら繰り返していた。
三日月がすっかり西の空に傾いた頃だった。
また女中役が登場した。
マイヒコに二本の剣を渡す。
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目の下に大きなクマを作ったマイヒコは剣を握り締め、
クマソタケル役に危なげな足取りで近づく。
両手で剣を掲げ持ち、
ふりかぶると、
まず女のような顔のクマソタケルの少し前でゆっくりと振り下ろした。
剣はクマソタケルの胡坐の目の前の地面に突き刺さる。
クマソタケルは
「あーれー」
と可憐な悲鳴を上げた。
両の手を上げ、
手のひらで空気を押すようなしぐさをしながら後ろ向きに倒れた。
それからマイヒコはもうひとりのクマソタケルに向かって剣を構えた。
生きているほうのクマソタケルは体をおどおど震わせた。
こう尋ねた。
「あ……
あのう……
貴方様はどなた様でいらっしゃいましたっけ?」
マイヒコが観客側に向いている側の腕の袖を肩脱ぎにした。
下から男物の白い着物の袖がのぞいた。
「われこそはヤマトの王子コウスなり!」
と叫ぶなり、
もう一人のクマソタケルの脇の下に剣先を差し入れた。
何かが土に突き刺さるような音がする。
剣がクマソタケルの脇の下を通って斜めに地面に固定された。
マイヒコは観客席に顔を向け見得を切る。
マイヒコが腹に剣を乗せ縄の下をくぐっていた頃には、
蟻のように沢山いた観客は、
いつのまにか姿を消していた。
広間はがらんとして、
今や私とコウス様とマイヒコ達以外は二人しかいない。
よく見るとその二人の男も折った膝の上に腕を乗せ、
腕で頭を支え、
顔を下に向けている。
寝息といびきの音が聞こえる。
右隣を見るとコウス様もすっかり夢の中だった。
倒れていたクマソタケルが起き上がった。
ふきんを手にマイヒコの顔をぬぐっている。
「マイヒコ師匠、
たいそうお疲れでしょう」
優しい女の声だった。
付け髭を取ってみれば、
二十四五のすんなりとした顔立ちの女だった。
「ありがとう。
お前こそさぞ疲れたろう」
マイヒコとクマソタケル役の女優はじっと見つめ合っている。
私はよだれを垂らして眠っているコウス様なんかほっぽいて、
国元に残してきた恋人に会いに行きたいと思った。