マイヒコは今にも倒れそうな足取りでやってきて、
疲れきった顔に満足の笑みを浮かべて
「どうでした? すばらしかったでしょう?」
「………」
「わかっています。
感動しすぎて言葉にもならないんですね!」
マイヒコの瞳は明けの明星のように輝いていた。
背後でクマソタケル役の女がうっとりとマイヒコを見つめている。
「そこで相談なんですが、
いただくお米や布や宝玉の量は、
この前おっしゃっていたよりも、
もう少し増やしていただけないでしょうか?」
「…………」
「私達だけではなく、
私達の仲間達にも、
この芝居をやらせるとなると、
失礼ながら、
あれだけではとてもたりません」
「…………」
その晩、
私は海鳴りと地響きと火山の噴火を足して五倍したような音のコウス様のいびきの中で、
明日マイヒコ達に言いたいことを心の中でまとめていた。
どうしたら、
なるべく彼らに好感をもたれつつ、
はっきりと、
私の主張を伝えられるだろうか?
僅かな装飾品だけ保証金として渡しておいて、
報酬はヤマトに戻ってからの後払い、
というひけめがあったから随分と気をつかった。
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翌朝私はマイヒコ達に向かって、
芝居についての注文をつけた。
マイヒコの弟、
クマソタケル役の女、
その他のマイヒコの仲間達、
そしてコウス様の揃っている前で
「マイヒコ殿、
皆さん、
昨晩はお疲れ様!
素晴らしい芝居ではあったが少し変えて欲しい部分が幾つかあるんだ。
順に話すから聞いてくれないかい?」
とまず前置きをする。
マイヒコの弟が私を横目で見た後、
「俺だって言いたいことはあるぜ!
俺は最初の兄貴が男の格好で出てきて、
女の着物に着替えたり、
化粧をしたりする場面は無くしたほうが良いと思う。
それから最後の着物をぬいで男の格好になって、
『われこそはヤマトの王子のなんとか!』という場面が無駄だと思う。
ああいう場面ははっきり言ってダサいよ」
「これウタヒコ、
今回お金を出してくれるのはこの方なんだ。
まずこの方のお話を聞きなさい」
兄にたしなめられるとウタヒコは大きな舌打ちをした。
では、
と私は始めた。
「マイヒコ殿は登場したらまず『われこそはヤマトの王子コウス!』大きな声ではっきりと名乗っていただきたい。
一人の観客も聞き逃さないように名乗りは五回繰り返して欲しい」
「観客を馬鹿にしてるぜ!」
「これウタヒコ!
兄さんの言うことが聞けないのかい?」
ウタヒコはふぐのように頬を膨らませた。
「コウス様がクマソタケルの館に忍び込むことになった経緯を、
どんな物分りの悪いものでも理解できるようによく説明してもらいたい。
この説明は三回繰り返して欲しい」
「煩すぎるぜ!」
「静かにウタヒコ!」
ウタヒコは目に、
日照りの時の田んぼのひび割れに似た血の筋を走らせた。
「ヤマトについて知らない観客の為に、
ヤマトの地理と国情について、
簡単に説明すること。
クマソよりはるかに進んだ文明国であることを強調すること」
「ヤマトに興味あるやつなんていねえよ!」
「黙りなさい!
ウタヒコ!」
ウタヒコがたらこのような唇をゆがませた。
「コウス様が美女へと変身していく場面は今の五倍の長さにすること、
その間『今から女に化けて、クマソタケルを成敗しに行くぞ!』
という台詞を三回繰り返すこと」
「自分が馬鹿だからお客も馬鹿だと思っているのかい?」
マイヒコは今度は弟を叱らなかった。
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「踊りや曲芸の分量は今の二十分の一に減らして欲しい」
えっ!? というマイヒコの声が聞こえた。
目を見開いて細身の全身を強張らせた。
「クマソタケル役はもっと強そうな役者に代えて欲しい」
あっ!? という女の声が聞こえた。
間もなくすすり泣きが始まった。
「あ……
あたし……
ずっと女優になりたいと思っていて、
やっと夢がかなうかと思ったのに……」
マイヒコが女を抱き寄せ頭を撫でている。
私は少し胸が痛んだが、
かまわず要求を続けた。
最後のコウス様がクマソタケルを刺し殺す場面が一番重要である。
舞や曲芸はさっさと切り上げて観客が全員いるうちにその場面に入って欲しい。
長さは今の十倍にして欲しい。
最後に以下の台詞を必ず入れて欲しい。
「ううう胸が苦しい……
それにしてもお前のような強いものに初めて会った。
名を名乗れ!」
「俺はヤマトの王子コウス!」
「うう……
よく聞こえぬ……
もう一度名乗れ」
「俺はヤマトの王子コウスだ!」
「ヤマトの何だ?」
「ヤマトの王子コウスだ!」
「もう一遍言ってみろ」
「ヤ・マ・ト・の・お・う・じ・コ・ウ・ス!」
「ふむ……
ヤマトの王子コウスなのか……
ああ目の前が真っ暗だ……
おい弟よ、
ヤマトの王子コウスだってさ……」
くどいんだよ! という怒声とともに、
ウタヒコが憤怒の形相でこちらに突進してくる。
「黙っていればむちゃくちゃ言いやがって、
芝居のことなんか何も知らない、
どしろうとのくせに偉そうな顔をして!」
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あれからどれだけマイヒコ達と言い争っただろうか?
いや実際はマイヒコとはほとんど口論はしていない。
人柄が穏やかな彼は、
まあ納得はしかねるが、
あなた方にお代をもらってやる以上あなた方の言うとおりにしますよ、
と不満そうな顔を見せた後は女を慰めることに専念していた。
あの日のけんかの主な相手はウタヒコの方だった。
激しい言い合いの末に、
ついにとっくみあいとなった。
後でコウス様に俺がお前のけんかを止めるなんてまるであべこべじゃないか? 前代未聞だぜ! と笑われた。
でもウタヒコときたらこんなひどいことを言うのである。
「ヤマトの玉子(たまご)コウスコウスって、
そんなまずそうな卵の売り込みなんかわざわざ聞きにくるやつなんてどこにいるんだよ!」
もとからウタヒコのことを感じの悪いやつと思っていた私はかっと頭に血が上り、
気がついたら、
彼の肩に掴みかかっていたのである。
さんざん話し合ってついに双方が納得する芝居が出来上がった。
何日も何日も互いに意見を戦わせた結果、
私達とマイヒコ達の間には深い信頼関係が築かれた。
出立の時マイヒコ達は私を送ってくれた。
コウスはマイヒコにあの日着ていた女物の着物を渡した。
「もうこれを着ることなんてないから、
よかったらお前が俺を演じる時に着ておくれ」
マイヒコは頭を下げて礼を言った。
手を振るマイヒコ達を背に、
私とコウス様は少し駒を進めた。
しかし私はやはり気に掛かって、
回れ右をし、
元の場所に戻った。
不思議そうに首を傾けるマイヒコに私はこう言った。
「よいか?
最初の場面ではコウス様が女の着物に着替えて化粧をしていくさまを、
たとえ赤ん坊でも、
眠りながら見ている客でもわかるように時間をかけてじっくりとやるんだ。
そして最後には必ずまた男の姿になり、
われこそはヤマトの王子コウス!
コウス!
と繰り返すんだぞ」
「だんな様、
それはもう何百篇も聞きましたよ」
「ヤマトの王子コウス!
コウス!
と観客が芝居を見た後二日は空耳が聞こえるぐらい繰り替えすんだぞ!」
「わたしが空耳に悩まされそうです。
だんな様心配しなくても私はよくわかっています」
「わかっているならよろしい!
そしてあの芝居をお前の芸人仲間皆に伝え、
いたるところで演じさせるのだぞ!
コウス様の偉業を四方あまねくに知らしめるのだ!」