なんだかくらくらする。
気持ち悪いのに気持ち良い、
おかしな感じだとぼんやり考えていた。
肉体へのどんな刺激もうるさく感じられる。
なるべく楽になりたいと思っていたら
自分でも知らず知らずのうちに大の字になっていた。
天井の蛍光灯が眩しすぎるのがつらい。
目を閉じる。
体がとろとろと溶けてなくなりそうになる。
夢と現実の境目のような意識である。
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どれぐらいたったろう。
目の裏の黒いスクリーンにぱっと煌々と光る満月が大写しになった。
肉体の感覚が感じられない。
意識だけが満月の目の前に浮いているかのようである。
オレンジに光る巨大な月から
金と銀に光る無数の泡が吹き出してくる。
細いストローを何百本も集めて束にして、
それを石鹸水につけて吹いたような小さな泡だ。
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無数の泡の中には何かうごめくものがある。
それは蟻のような小さな生き物に見える。
小さかった泡が拡大レンズで見たかのように大きくなる。
泡から人間の赤ちゃんが透けて見えた。
肌の色、
髪の色は様々である。
銀髪、ピンクの肌に
葡萄色の目がちょんと付いた子もいる。
髪も肌も黒檀のように真っ黒な子もいる。
大体同じ容貌の者が塊になっているようだった。
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それぞれの塊が月から離れて、
四方に飛んでいく。
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三郎はああ!
世界中の赤ちゃんは月から降ってくるのだ!
と思った。
月から離れた泡たちは降りていくうちに、
何度もいくつかに分かれる。
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三郎には彼らの降りていく町の様子がよく見えた。
雲をつくかのような高層ビルが聳え立つ町もある。
ゴミ捨て場の脇の道にバラックが並ぶような町もある。
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三郎は日頃はあまり視野の広くない平凡な少年だった。
考えることといったら模試の結果に好きな映画スター、
新しい鉄道や飛行機の模型ばかりだった。
だがこの時は空から人間の暮らしを眺める神様にでもなった気分だった。
三郎は思った。
子供は皆、もとは月にいた一つの塊だったんだ。
それなのに生まれる時は千路(ちじ)に別れていく。
何故もとは一つだった人間は別れなければならないのだろう。
降りていった先次第で彼らの運命は大きく変わるだろう。
あるものは生まれながら裕福で、
尊ばれる。
あるものは生まれながら貧しく、
卑しまれる。
もとはみな一つの塊で一緒に月にいたというのに……
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しばらく泡ぶくに覆われた月の上をうろうろしていた。
離れた所から日本語らしい子供の声が聞こえてきた。
お母さん、
お母さん……
三郎は夢中でその声の元を捜した。
黒髪、黄色の肌に
つぶらな黒い瞳の子供達が塊になっていた。
非常に大きな塊で見渡す限りそんな子達である。
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金銀の泡の塊はどんどん膨らみだす。
もう月にくっついているのは耐えられなくなったのだろう。
ごそりと月から離れて飛んでいく。
三郎の意識も彼らに付き従って宙へ舞った。
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月から落ちていくとすぐ下には雲が一面に広がっている。
雲は月の光を照り返して、
銀色に光り輝いている。
それを抜けると右手に村で一番高い山が見える。
左手のずっと下は灯台が海面を照らしていた。
降りていくたびに「ばいばい」「またね」という声がする。
塊が分離して世界中に散らばっていく。