谷崎潤一郎『富美子の足』ネタバレ

塚越老人の最後

さてそれから三か月後のその年の三月の末に塚越老人は隠居の手続きをして、質屋の店を娘夫婦に譲り渡し、鎌倉の別荘に移りました。

名目は糖尿病と肺結核がだんだんと重くなってくるので転地療法のため、というものでしたが、本当は世間の人目を避けて富美子と誰はばからずふざけ散らして暮らしたかったからでしょう。

しかし別荘に移るとまもなく老人の病勢は重くなり、転地療法は本当の理由になってしまいました。

夕方になると三十八九度の熱が毎日続き、げっそりとやせ衰えてしまいました。

三度の食事の時以外は寝たきりです。

おりおり喀血をして、本人ももう覚悟しているようでした。

医者は

これで熱が下がらなければまもなくだろうし、それでなくても一年はもたないだろう

と言います。

塚越老人は病気が重くなるにつれて塚越は気難しくなりました。

とくに小間使いの作る料理の味が気に入らず叱りつけます。

こんな甘ったるいものが喰えると思うかい?
手前は俺を病人だと思って馬鹿にしていやぁがる……

とか塩が効きすぎるとかみりんが多すぎるとか、持ち前の「通」を振り回していろいろの難題を言います。

しかしもともと体調が悪くて舌の感覚が変わってしまったわけです。

どんな美味しいものを食べさせても塚越老人は気に入りません。

すると塚越老人はますます癇を昂らせて小間使いを叱り飛ばします。

そんな時は富美子がこんな風に塚越老人をたしなめます。

またそんな分らないことをいってるんだね……
喰物がまずいのはお定のせいじゃありゃあしない。
自分の口が変ってるんじゃないか。
病人の癖に勝手なことばかりいっているよ。
──お定や、構わないから打ッちゃっておおき。
そんなにまずいなら喰べないがいい。

すると塚越老人はまるでナメクジが塩をかけられたかのようにすうっと大人しくなります。

こんな時の富美子はまるで猛獣遣いが猛りだした虎やライオンを扱っているみたい。

はたで見ている者はハラハラしてしまいます。

そんな富美子はこのごろ五日に一度ぐらい病気の塚越老人を置き去りにして、どこかへ出かけてしまいます。

ちょいとあたし、買い物がてら東京まで行って来るわ。

と独り言のように言うと、塚越老人がいいとも悪いともいわないうちに、せっせとおめかしをしてぷいと出ていってしまいます。

そして半日も一日も帰ってきません。

富美子は恋人の俳優に会いに行っているのでした。

富美子が出かけてしまうと塚越老人は機嫌が悪くなり小間使いに当たり散らします。

しかし当たり散らしている最中でも富美子の帰ってくる下駄の音が近づいてくると塚越老人は急に小間使いをしかりつけるのを止めて、寝たふりをします。

瀕死の塚越老人のもとを画学生はたびたび訪れ、ときには二日三日泊まり続けることもありました。

画学生はもう便所へも自力で行かれない塚越老人の欲望を満たす手伝いをしたのです。

塚越老人は縁台を自分の枕もとに持ち出させて、そこに富美子を腰かけさせ、画学生に犬の真似をさせます。

そして塚越老人はその光景をじっと眺めているのでした。

画学生は塚越老人の身代わりではありましたが、富美子に顔を踏まれて、当人も至高の悦楽に浸っていました。

塚越老人は画学生は富美子の脚と戯れているのを見ているだけでは満足できなくなりました。

ある日富美子にこう頼みました。

お富美や、後生だからお前の足で、私の額の上をしばらくの間踏んでいておくれ。
そうしてくれれば私はもうこのまま死んでも恨みはい。……

痰の絡まった喉を鳴らしながら、塚越老人は、絶え絶えになった息を喘がせて、微かな声でこんなことをいうことがありました。

すると富美子は、美しい眉根をひそめて、芋虫でも踏んづけた時のような嫌そうな顔をします。

そして塚越老人の青ざめた額の笛に、足の裏を黙って乗せてやります。

まもなくついに塚越老人は危篤となりました。

しかし意識ははっきりしていて、時々思い出しては富美子の足のことを言い続けます。

食欲はもうまったくなくある方法をとった場合のみ食べ物を受け付けます。

それは牛乳やスープを綿の切れ端に浸して、富美子が足の指の股にそれを挟みます。

そして足を塚越口の端へ持って行ってやるのです。

塚越老人は富美子の足の指に挟まれた綿の切れ端を、貪るがごとくいつまでもいつまでも舐っています。

臨終の日はこんな風でした。

その日は富美子も画学生も朝から枕もとにつきっきりでした。

午後の三時ごろに、医者が来てカンフル注射をして帰った後でした。

(塚越老人)
ああ、もういけない。

……もうすぐ私は息を引き取る。

……お富美、お富美、私が死ぬまで足を載っけていておくれ。

私はお前の足に踏まれながら死ぬ。

富美子は黙って、無愛想な顔で塚越老人の顔の上へ足を載せました。

それから夕方の五時半に塚越老人が亡くなるまで、二時間半の間、ずっと塚越老人の顔に足を載せていたのでした。

立っていてはくたびれてしまうので、枕もとに縁台を置いて、腰を掛けたまま、右の足と左の足を交互に乗せていました。

塚越老人はその間にたった一遍、

有難う……

とかすかな声で言いました。

富美子が塚越老人の希望通りにしてくれたおかげで、塚越老人は無限の歓喜のうちに息を引き取ることが出来たのでした。

死んでいく塚越老人には、顔の上にある富美子の足が、自分の霊魂を迎えるために空から天降った紫の雲とも見えたでしょう。

その後富美子は塚越老人の遺産を手にして恋人の俳優と結婚しました。

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