あらすじ
信一に誘われて……
栄ちゃんは10歳の男の子。
日本橋蛎殻町から水天宮裏の有馬小学校に通っています。
比較的いい家のおぼっちゃんのようです。
ある春のぼかぼかとした日のことでした。
学校が終わって下校しようとすると、後ろから「萩原の栄ちゃん」と名前を呼びながら追いかけてきた男の子がいました。
その子は同級生の塙信一(はなわしんいち)。
入学してから尋常小学校4年生の今日まで付添い人の女中さんを片時もそばから離したことのない、甘やかされたお坊ちゃんです。
みなに意気地なし、弱虫、泣き虫と馬鹿にされていました。
「何か用かい」と栄ちゃんが聞くと、
信一は
「今日あたしの家へ来て一緒にお遊びな。家のお庭でお稲荷様のお祭があるんだから」
と東京の下町のお坊ちゃんらしい言葉づかいで答えます。
緋の打ち紐で括ったような口から、優しい、おず/\した声で云って、信一は訴えるような眼差まなざしをした。
栄ちゃんはそれまで信一を馬鹿にしていじめていたのですが、こうしてあらためてみると信一は美少年です。
服装も立派で良家のお坊ちゃんらしい気品があるのでした。
糸織の筒袖に博多の献上の帯を締め、黄八丈の羽織を着てきゃらこの白足袋に雪駄を穿いた様子が、色の白い瓜実顔の面立とよく似合って、今更品位に打たれたように、私はうっとりとして了った。
信一の女中さんがこう言います。
ねえ、萩原の坊ちゃん、家の坊ちゃんと御一緒にお遊びなさいましな。
実は今日こんにち手前共にお祭がございましてね、あの成る可く大人しいお可愛らしいお友達を誘ってお連れ申すようにお母様のお云い附けがあったものですから、それで坊ちゃんがあなたをお誘いなさるのでございますよ。
ね、いらしって下さいましな。
それともお嫌でございますか
女中さんに可愛らしい大人しい子といわれて、栄ちゃんは内心得意になります。
10歳の男の子が「大人しい」「可愛い」といわれて嬉しがるというのは、栄ちゃんも何だかんだいって信一と同類のお坊ちゃんなのでしょう。
栄ちゃんは今日からあの立派な子供と仲良しになるのかと思うと、嬉しい気持ちがします。
4年間馬鹿にしていたのに、一瞬ですごい変わりようですね。