あらすじ
舞台は昭和三十年代でしょうか?
京(室町、中京)の呉服問屋の一人娘千恵子、は二十歳の美少女です。
「うちのあととり娘には、だいがくなんて、じゃまになるやろ。それより、商売をよう見ておおき」と父親に言われ、母親の手伝いなどをしながら、毎日ゆったりと暮らしています。
彼女の家の庭にはもみじの古木があります。
その幹には二つの小さなくぼみがあり、それぞれにすみれの花が咲いています。
上のすみれと下のすみれが一尺ほど離れています。
千恵子はそれを見て
「上のすみれと下のすみれとは、会うことがあるのかしら。おたがいに知っているのかしら」と思います。
一見なんでもない情景描写と若い女の子の可愛らしい疑問のようですが、彼女のこの問いはこの小説のテーマに大きく関係しているのです。
千恵子は幼馴染の真一と花見に行った時、ふと彼に思春期の頃からずっと心にかかっていることを打ち明けます。
それは彼女が両親の実の娘ではなく、捨て子だったということでした。
両親の愛情を目いっぱいにうけて育てられた彼女はそのことで両親の愛情をうたがったり、ひがんだりということはありません。
しかしやはり実の親がどこにいるのだろう? 子供を捨てるぐらいだから暮らし向きは楽ではないだろう? などと思いを巡らせます。
それを気安いおささななじみの真一に打ち明けたのです。
千恵子の両親は捨て子だったと伝えると、千恵子が傷つくと思ったのでしょうか?
千恵子には千恵子は自分たちがさらった子供だと嘘をつきます。
しかし言うたびにさらった場所が違ったり、父と母ではさらった場所が異なっていたりするので、千恵子は自分は捨て子だったとわかっています。(もし本当に誘拐したとしたら大変なことですしね)
千恵子の父の佐田太吉郎は、代々続く京呉服問屋の当主。
芸術家肌の彼は取引は番頭にまかせて、自分はひきこもって着物や帯の下絵をかいています。
時には尼寺にこもったりしているのですが才能はあるのだか、ないのだか……といった感じで、本人が満足できるような成果をだすことはできていません。
また太吉郎の店は、他で売っている物を買ってきて、売ればよいわけで、別に太吉郎が下絵を描かなくてもよいのです。
太吉郎の下絵は趣味の域を超えていません。
商売は傾きがち(太吉郎があまり頑張っていないのでしょうがないのかもしれません)才能の開花もない。
五十をすぎている(今だとまだまだ若いですが、この時代だと既に老人なのでしょう)
太吉郎はそんな悲しさをもった男です。
千恵子は太吉郎がデザインした着物や帯を率先して着ます。
べつに太吉郎が下絵を描いた着物ばかり着なくてもいい、もっと若い娘らしい華やかなのを着たらいい、と千恵子の母や太吉郎は千恵子に言います。
千恵子は「いや自分はこの着物が好きだ。着物を褒めてくれる人も多い」と父を気遣います。
父親思いの娘なのです。
しかし実際に太吉郎が下絵を描いた地味な着物は千恵子の美しさを引き立てています。
千恵子は父親がインスピレーションを得られるのではないか? と思って父親のアトリエの尼寺にパウル・クレエの画集を届けます。
千恵子に持ってきてもらった画集のおかげか太吉郎はよいインスピレーションを得ることができました。
自信作の帯の下絵を持って、友人の西陣の織屋、宗助を訪ねます。
宗助は太吉郎の下絵を褒めますが、そこに宗助の長男、秀男が出てきます。
秀男は技術はたしかだけどぶっきらぼうで、お世辞なんか言わない若者です。
秀男の態度は太吉郎の下絵をあまりよく思っていないようでした。
太吉郎は秀男を殴ります。
(別に大喧嘩というわけではないのです。
太吉郎はすぐに秀男に殴ったことを謝ります。
心魂こめた作品を否定されたことでついつい、手がでてしまったのでしょう。
また太吉郎が怒りを感じたのは、秀男ではなくて、むしろ自分に対してだったのではないかと思います)
秀男は太吉郎にこう言います。
「おやめどす。」と、秀男は強く言った。
「おうちへお帰りやす。」
「うちでは落ち着きまへんね。」
「この帯の絵ですけどな、花やかで、派手で、えらい新しいのに、びっくりしましたんや。佐田さんがこんな図案、なんでかかはったんやろか。それで、じっと見てますと……。」
「…………。」
「ぱあっとして、おもしろいけど、あったかい心の調和がない。なんかしらん、荒れて病的や。」
太吉郎は青ざめて、唇がふるえた。
言葉が出ない。
「なんぼさびしい尼寺でも、狐やたぬきがいて、佐田さんに、ついたんとはちがいまっしゃろなけどな……。」
太吉郎が秀男に
「おおきに。秀男さんは、この下図を、うちの娘にたいする愛情の色にあたためて、織っとくれやすのか。」と言って、秀男が太吉郎の下絵で千恵子の帯を織ることになります。
秀男に自分の下絵を否定された太吉郎はショックだったのでしょう。
帰り道下絵をまるめて川に流してしまいます。
花見の季節から少し過ぎた頃、千恵子は友人ち北山杉を見に行きます。
杉山で働く女性のなかに、自分とそっくりの女性を見つけます。
気になっていたものの特に何もせずにそのままにしておきます。
時間がたって夏になり、祇園祭りとなりました。
千恵子が祭り見物をしていると、「御旅所」で七度まいり(御旅所の神前から、いくらか離れて行っては、またもどっておがみ、それを七たびくりかえす)をしている若い女性が目にとまります。
その女性は北山杉で見た、千恵子そっくりの女性でした。
千恵子は
「なに、お祈りやしたの?」と娘にたずねます。
娘は
「姉の行方を知りとうて……。あんた、姉さんや。神さまのお引き合わせどす。」と涙ぐみます。
なんとこの娘は千恵子の双子の姉妹だったのです。
彼女の名前は苗子、杉林で働いています。
彼女の父母(千恵子の実の父母でもあります)は苗子が赤ん坊の頃に亡くなり、今、彼女は他人の家で奉公しています。
千恵子の父親は苗子が生まれてすぐに、北山杉の枝打ちをしていて、木から木へ渡りそこねて、落ちて亡くなったそうです。
千恵子は苗子と仲良くしたいと思い、苗子に家に来てほしい誘いますが、苗子は身分違いと思ったのか遠慮します。
千恵子と苗子が話しているところに偶然、秀男がでくわします。
秀男は苗子を千恵子だと勘違いして、千恵子への恋心を込めながらこう語りかけます。
(わたしが織った帯を)「いっぺんでも、しめてみとくれやしたか。」
「お嬢さん、わたしの考案で、千恵子さんの帯を一本だけ、二十代の記念に精魂込めて、織らしてみてくれはらしまへんやろか。」
苗子はわけがわからず適当に話をあわせます。
その後千恵子が山に登り苗子に何度か会いに行きます。
二人が杉山で語り合っていると、雨が降り出し雷鳴が響きます。
苗子は千恵子を守るように覆いかぶさります。
身を寄せ合った姉妹はお互いの深い愛情を感じます。
千恵子は苗子に贈り物を送りたいと考え、秀男に苗子の帯を織ってくれるように頼みます。
秀男は千恵子に頼まれて出来上がった帯を苗子に届けに行きます。
その時、千恵子にそっくりの苗子を見た秀男は苗子をデートに誘います。(一緒に時代祭を見に行きましょうと誘います)
そのころ秀男は父親の宗助に秀男と宗助は家柄が釣り合わない、と釘をさされていました。
おそらく千恵子がだめならそっくりの苗子を、と思ったのでしょう。
まもなく苗子は秀男にプロポーズされます。
苗子は秀男にはっきりとした返事はしていませんが、苗子は秀男にとって千恵子の身代りだ、ということを感づいています。
「ええてー? 秀男さんは、お嬢さんの幻として、苗子と結婚したい、お思いやしたんどす。娘のあたしには、はっきりわかります。」
「苗子が六十のおばあさんになったかで、幻の千恵子さんは、やっぱり、今のお若さやおへんか。」
「きれいな幻には、いやになるときが、おへんやろ。」
苗子と秀男がその後どうなったか、この小説の中では、わかりませんが、こんな口ぶりから苗子が秀男のプロポーズを断った可能性も高そうです。
ラストシーンは苗子が千恵子の家を訪ねます。
冬の日、使用人や客も帰った後、苗子は千恵子の家を訪れます。
苗子は千恵子の両親に挨拶をした後、千恵子の寝室に布団を敷き並べて、姉妹は一緒に寝ます。
苗子が千恵子の布団に入りたい、と言った後に千恵子が苗子の布団にもぐりこみ、一瞬二人は肌を寄せ合います。
その後一晩布団を並べて千恵子と眠った後、苗子は翌朝、ものすごい早起きをします。
千恵子をゆりさました後、
「お嬢さん、これがあたしの一生のしあわせどしたやろ。人に見られんうちに、帰らしてもらいます。」
と言ったのち店を去ります。
千恵子は引き留めて、彼女に自分のいちばんいい、びろうどのコート、折りたたみ傘、高下駄を彼女に与えようとします。
しか苗子はそれを断って、振り向きもせず、粉雪の中去っていったのでした。
千恵子の花婿候補
この小説のメインストーリーが千恵子と苗子の物語ですが、サイドストーリーとして千恵子の結婚相手がだれになるのだろうか? というのもあり、読者の興味を引きます。
年頃の美しい娘、千恵子の娘には花婿候補が三人います。
一人は真一、千恵子の幼馴染で千恵子の家よりも格が高い呉服屋の次男坊で大学生です。
子供の頃祇園まつりのお稚児さんをやったとき「女の子でもあんなきれいな子みたことない」と言われたような美青年です。
序盤では「名刀のような」ということばを使って彼の美貌を表現していますが、あまりこの言葉は序盤以外では生きていません。
どちらかというとなよっとしたお坊ちゃんのイメージです。
真一は千恵子を愛していますが、千恵子は気安い長馴染み以上の感情を真一に持っていません。
真一と対照的なのが秀男、織屋の宗助の長男です。
父親以上に確かな技術を持つと評判の彼ですが、無口で無骨な男です。
秀男は「千恵子は中宮寺や広隆寺の弥勒菩薩よりも美しい」と言います。
太吉郎の下絵で織った千恵子の帯のことで、千恵子に「いちどでも締めてくれたでしょうか?、こんどは私が決めた図案で千恵子さんに帯を織りますので受け取って下さい、などと堂々と恋心をあらわにします。
千恵子への思いが一番強いのは彼のようです。
しかし千恵子は彼にあまり興味はないようです。
また残念ながら彼と千恵子では「身分違い」(字面どおりに読むと随分大げさな言葉ですが、きっと当時は「家柄がつりあわない」ぐらいの意味で使ったのでしょう)になってしまうようです。
千恵子の家は仕事を使用人にまかせっきりでも何とかやっていけるような余裕のある暮らしです。
いっぽう秀男の家では狭い家に三台の織り機がならび、家族全員で、せっせと働いています。
当主の妻も共に労働して、過酷な仕事のためか年より老けて見えます。
千恵子の父、太吉郎は御嬢さん育ちの千恵子が、この家に嫁ぐなんてちょっと考えられない、と考えています。
といっても太吉郎は秀男を結構、気に入っていて、花婿候補の一人にしています。
千恵子が秀男の家に嫁ぐのはどうかと思うが、秀男を養子にするならありえることだ、しかし宗助が長男の秀男を手放すだろうか? などと考えます。
物語の終盤で三人目の花婿候補、真一の兄、竜助が登場します。
千恵子の家よりも格の高い呉服屋の長男で大学院生。
アメリカ人の通訳をしたりと英語ができる描写があり、育ちの良いインテリ男性という感じです。
竜助自身の言動からは千恵子への恋心は読み取れません。
竜助の父親から千恵子の父親の太吉郎への会話の中で竜助が千恵子を愛していることがわかります。
竜助はおっとりとした印象の真一にくらべて、厳しさもある、頼りがいのありそうな青年です。
使用人にまかせっきりの千恵子の家の商売を心配して、千恵子から番頭にきつくあたってみるように、と助言します。
(商売仲間のあいだで太吉郎の店についての妙な噂が広まっているらしい。番頭が横領をしている疑いがあるのでしょうか?)
また千恵子の家に手伝いに来て、使用人に商品をすべて出すように命じたりします。
まだ二十代前半の学生なわけですが、千恵子の家に行って自分よりもずっと年齢も、経験も上の番頭に、厳しい態度をとります。
生まれながら人の上に立つ人と言う感じです。
(使用人側からしたら、生まれがよいのをいいことに、経験もないくせに上から目線な生意気な若造でしょう。目下からの受けはあまりよくないかもしれません)
ただ、この小説では竜助はしっかりした青年として、好意的に書かれています。
将来竜助が太吉郎の店を継げば店は安泰でしょう。
太吉郎の父は太吉郎を廃嫡する、などと言っていますし、今後よほどのことがない限り、千恵子は竜助と結婚することになりそうです。
古都の感想
『古都』のストーリーは実にシンプルです。
またとりわけ劇的なことが起こることはありません。
赤ん坊の頃に分かれた千恵子と苗子が偶然出会った、と言うことをのぞけばどれも実際にありそうなことばかりです。
特に前半は千恵子、真一、太吉郎、太吉郎の妻、宗助、秀男たちが京の名所を回ったり、それぞれの平凡な日常をつづったりするだけでストーリーらしいストーリーはありません。
ただその分どれもとてもリアリティがあります。
親子、友人同士の会話などとりとめがなく、実に自然で、実際の会話をそのまま切り取ったかのようです。
欠点のない御嬢さんの千恵子、
芸術家気質で商売はあまりうまくない太吉郎、
控え目な太吉郎の妻、
お坊ちゃんで頭でっかちな大学生、真一、
硬派だけど情熱的な秀男、
など実際にいそうな人々の個性がうまく書きわけられています。
まるで彼らの生活を間近でみているような臨場感があります。
また京都の名所や行事についての描写が小説の半分くらいをしめています。
『古都』は小説でありかつ、京都のガイドブックであると言えるかもしれません。
すこし歯がゆく思うのが千恵子と苗子の関係です。
千恵子の養親は苗子に好意的で、苗子も引き取って彼女も養女としてもよいと思っているほどです。
しかし苗子はそれをあくまでも断ります。
また苗子が千恵子の店に行くのはたった一度だけ、また行った時も、人の目にふれないように最大限に気を使います。
苗子は夜遅く千恵子の家に行って、朝早く、人の目に触れないうちに店を出て行ってしまいます。
そして彼女が千恵子の家にいくことはもう二度とないでしょう。
苗子は、しきりに千恵子と自分の育ちや教養に差があることを気にしています。
苗子は千恵子のことを「御嬢さん」と呼びます。
自分が姉妹として千恵子の周辺をうろちょろしたら、良家の御嬢さんである千恵子の評判に傷がつく、という考えたのでしょうか?
(確かに苗子の存在が千恵子の周囲の人に知れわたったら、千恵子が捨て子であったことも、実の両親が貧しい労働者であったことも知られるようになるわけです。周囲の人々の千恵子に対する目もかわるかもしれません)
しかし、千恵子も千恵子の養親もそんなことはまったく気にしていない中、苗子だけが少々度を越した遠慮をしているように見えます。
おそらくこれは苗子と千恵子の関係をよりはかなげに美しくするための演出ではないかと思います。
二人がこれからはいつも一緒、になってしまえば切なさもはかなさもゼロですからね。
ラスト苗子が
「お嬢さん、これがあたしの一生のしあわせどしたやろ。人に見られんうちに、帰らしてもらいます。」
ときっぱりと去っていくようすは、少々自己陶酔しているような気もしますが、非常に美しいのです。