はじめに
誰も私も愛さないし、私も誰も愛さない。
夢も希望もない現実を描いた小説です。
まず『道草』というタイトルはあまり内容と関係はありません。
この小説を随分前に読んで、心に残ってはいるのですが、よくあの小説なんだっけ……『彼岸過ぎまで』でもないし、『明暗』でもないし……となってしまいます。
その点でちょっと損している小説ともいえます。
感想 あらすじ
主人公の健三は留学経験のあるインテリ男性です。
何が彼の専門であるかははっきりと書かれていませんが、著述、研究、講演、教授といったことを仕事にしています。(おそらく文学や哲学、歴史等の研究家ではないかと思います)
かなりのエリートですが、もともとお金を儲けることに重きをおいて人生を作ってきわけではないので、あまりお金はありません。
そんな彼に彼のかつての養父、異母姉、奥さんの父親等がそろって金の無心をする、という話です。
この小説を読むと『それから』とか『門』とか『こころ』とか『行人』の世界は愛情に満ちていてよかったなあ……と思うでしょう。
ただ『道草』には漱石のこれ以前の作品にはない鋭さがあります。
シビアな現実を描き、一分も甘えや、ごまかしがありません。
こういう作品を読むとやっぱりエンタメ作品にはない、純文学の意味というのを感じます。
健三を悩ませるのはなんといっても彼のかつての養父の島田です。
今では健三を金づるとしてしか見ていない島田ですが、島田は健三にとっては3歳から7歳まで引き取られ、それなりに可愛がられて育てられたのです。
島田に子供の頃、可愛がってもらったり、玩具を買ってもらったりした思い出が約千文字ぐらいかけて、細かく語られています。
「健三は昔その人に手を引かれて歩いた。
その人は健三のために小さい洋服を拵えてくれた。
……その人はまた彼のために尾の長い金魚をいくつも買ってくれた。
……彼は自分の体にあう緋縅し(ひおどし)の鎧と竜頭の兜さえ持っていた。
彼は日に一度位ずつその具足を身に着けて、金紙で拵えた采配を振り回した。
……彼はまたその人に連れられて、よく船にのった。」
夢中で遊んだ玩具、楽しかった思い出は、どれも養父の島田と共にあります。
そんな島田は今となっては健三に金をせびるだけの忌むべき男となってしまっています。
健三には腹違いの姉がいます。彼女は、健三を「健ちゃん」と呼び、姉さんらしい口ぶりですが、彼女も健三に無心してきます。
(お金に困ればこうなってしまうのは、仕方がないのかもしれません。健三は留学経験もあり、大学教授といっても、決して特権階級ではなく日々お金に困っています。まわりの親戚はそれ以上に庶民的です。)
健三と奥さんの関係も緊張感に満ちたものです。
私は奥さんより彼のほうが悪い気がするのですが……
また健三は両親との間にも愛情はありません。
こうして小説に登場人物を見る限り、誰からも愛されていない健三ですが、彼だって大分原因があります。
健三の妻は健三からすると悪い妻のように書かれています。
たしかにちょっとだらしない所があったり、もの言いがとげとげしかったり、たまにヒステリーを発症しますが、第三者の目線で見ると「悪妻」というほどではありません。
もちろん「良妻」「賢妻」でも決してありませんが、ごく普通の等身大の女性という感じがしました。
口に出す言葉は冷淡な感じもしますが、別に健三を愛していないわけではないでしょう。
健三が奥さんに愛情を受ければ、『門』や『こころ』のように暖かい夫婦愛をきづけたかもしれません。
それによって健三も殺伐とした人生を潤すこともできたかもしれません。
しかし健三といえば……
”その内彼の荷物が着いた。細君に指輪一つ買って来なかった彼の荷物は、書籍だけであった。”(五十八章)
留学先から届いた荷物に奥さんへのお土産が何もないことを書いて、健三の奥さんへの態度を表しています。
極めつけはこの場面でしょう。
産婆さんの到着が間に合わず、健三が奥さんのお産を手伝うことになるのですが、生まれたばかりのわが子に対する見方といえば
”その或物は寒天のようにぷりぷりしていた。そうして輪郭からいっても格好の判然しない何かの塊に過ぎなかった。彼は気味の悪い感じを彼の全身に伝えるこの塊を軽く指先で撫でて見た。塊は動きもしなければ泣きもしなかった。ただ撫でるたんびにぷりぷりとした寒天のようなものが剥げ落ちるように思えた。もし強く抑えたり持ったりすれば、全体がきっと崩れてしまうに違いないと彼は考えた。彼は恐ろしくなって急に手を引っ込めた……脱脂綿という名さえ知らなかった彼は、それをむやみにちぎって、柔らかい塊の上に載せた”(八十章)
生まれたばかりのわが子を「塊」呼ばわりしています。
さらに女の赤ちゃんであることを知った健三は「また女か」とがっかりした後、
”一番目が女、二番目が女、今度生まれたのもまた女、都合三人の娘の父になった彼は、そう同じものばかり生んでどうする気だろうと、心の中で暗に細君を非難した。”(八十一章)
この書き方なんかひどすぎてかえって笑ってしまいます。
健三はわが子を塊よばわりするのは、人間全体に対する失望を表しているのかもしれません。
しかし健三だけれど人間すべてを見捨てているわけではないのです。
彼には一人、一人気にかけている女性がいました。
御縫(おぬい)さんといって島田の後妻の連れ子です。
健三と島田の養子縁組が解消されなければ健三の妻になったかもしれない女性でした。
しかし今となっては御縫(おぬい)さんは健三の人生には、ほとんど関わってこないし、今後かかわらることもなさそうなのです。(作中で亡くなったという知らせが健三に入ってきます)
身近な人との関係は絶望的な健三ですが、そんな、あんまり関係のない女性のことだけは気にかけているのです。
御縫(おぬい)さんについては婚礼の時の描写により美しい女性として書かれています。
このあたりはちょっと面白いです。
島田は小説のごく最初の場面から登場をします。
ただ最初のほうではどんな男であるかについては説明されいず、ただ彼が姿を現し、健三が不安に思っている様子だけが書かれています。
この書き方によって不気味さが増しています。
読者に島田とはどんな男なのだろう? 主人公にどんなことが待っているのだろう? とはらはらさせる効果を出していると思います。
小説は三人称で書かれています。
おもに健三視点で書かれていますが、しょっちゅう妻の視点や、どの登場人物でもない「神の視点」も混じっています。
現代小説ではあまり頻繁に視点移動をしないので、違和感を感じます。
しかしこの書き方によって、夫婦間の気持ちのすれ違いを上手くあらわしていました。
また視点移動によって読みにくくなってもいないので成功しているといえるでしょう。
登場人物
健三・・・・36歳のインテリ男性。留学経験あり。
仕事は教授、講演、研究、著述。
娘が二人いて作中で一人生まれまする。皆まだ幼い。
御住(おすみ)・・・・健三の妻。三十前。子供に母親らしい愛情をいだくごく普通の女性。
官僚の娘。小学校しか出ていないそうだが当時はこれがあたりまえだったのかもしれない。
自分の価値観以外には認めない健三には「頭が悪い」と軽蔑されている。
たまに精神がおかしくなりうわ言をもらすような持病を持っている。
それをこの小説の中では「ヒステリー」と言っている。
御住(おすみ)の父親・・・・もと官僚で貴族院議員になる可能性もあった。
かつては質素な暮らしをしている健三が感嘆するような豊かな暮らしをしていた。
今はすっかり零落して、冬の寒い日にコートを着ることもできない。
誰にも借金を頼めなくなり、健三に保証人になってくれと訪ねてくる。
島田・・・・健三の養父。3歳から7歳まで健三を引き取り、それなりに可愛がって育てていた。
健三が7歳の時に、未亡人のお藤と不倫関係になり、妻と離婚。
それが原因で健三は実家に帰った。
健三20歳の時に養子縁組も解消。
以来16年間健三と会っていないが、健三が36歳になった今になって健三の前に現れ、それは金を無心するためであった。
御常(おつね)・・・・健三の養母。他の女性に夫を取られそうな、不安な中、幼い健三に愛情を押し付け、健三に嫌悪感を残した。
島田と離婚し、健三が実家に戻ってからは再婚した。
健三とは7歳の時以来、会っていなかった。
健三が、36歳になって二十数年ぶりに健三を訪ねてくる。
健三が5円お常に渡すと帰ってしまう。
島田に比べると対した金額は要求しないが、やっぱり金目当ての女。
御縫(おぬい)・・・・島田の後妻、御藤(おふじ)の連れ子。健三は島田に連れられて、お縫いと遊びにいったこともあった。
軍人に嫁いだ。美人だった。健三より一つ年上で作中で脊髄病で亡くなった。
御夏(おなつ)・・・・健三の異母姉。よくしゃべる女性。
じっとしていられず、常に家の中を動き回っている。字が書けない。裁縫もできない。
持病の喘息があり、時折命も危ないのではないか、と周囲を心配させる。
比田・・・・お夏の夫。病気の妻をほっておいて遊び歩き、愛人を囲ったりする冷淡な男。
夫婦には養子がいるが、教育をつけていないので、よい仕事につけず、給料が低い。
それを夫婦は不満に思っている。
役人だったが退職して、退職金で金貸しをはじめる。
健三の兄・・・・役人。激務で体を悪くしている。
娘の病気のため金を使い尽くしたが娘は死んでしまった。
葬式に行くのに礼服がなくて、健三のを借りにくるような暮らしをしている。
健三によれば昔贅沢をした報いらしい。