帰国 そして内戦
征服を成功させた皇后は帰国すると筑紫で男の子を生みました。
さて皇后が帰国し男の子を生んだ噂をきくと。
麛坂王(かごさかのみこ)忍熊王(おしくまのみこ)の二人の王子が、
麛坂王(かごさかのみこ)忍熊王(おしくまのみこ)
必ず協議してこの子をを幼い天皇とするだろう。
私たちは兄なのにどうして弟に従うことができるだろうか?
そこで天皇の為にお墓を作ると偽り、多数の船を連ねて、淡路島に渡りました。
実際は明石海峡を封鎖するのが狙いです。
そして船に乗った人は一人一人に武器を持たせて、皇后を待ち受けました。
神功皇后の摂政元年、皇后は建内の宿祢と武振熊に命じて、数万人を率いて忍熊王を討たせました。
麛坂王(かごさかのみこ)忍熊王(おしくまのみこ)はこの戦いの前に、うけい狩りをしました。
すると突然猪がやって来て麛坂王(かごさかのみこ)を喰い殺してしまいました。
忍熊王(おしくまのみこ)は
忍熊王(おしくまのみこ)
と考え、軍を引き返し住吉(大阪市住吉区)に集結しました。
この時皇后は忍熊王(おしくまのみこ)が兵を起こして待ち構えていることをきき、建内宿祢(たけうちのすくね)に命じ、皇子を抱いて回り道をして都にもどることにしました。
皇后と忍熊王(おしくまのみこ)が対戦することになったのは宇治河でした。
皇后軍は宇治河の北岸に陣を敷きます。
建内宿祢(たけうちのすくね)は自軍の兵士たちにこう命令します。
腰には偽の木刀を佩いておけ!
そして建内宿祢(たけうちのすくね)は忍熊王をこう欺きます。
「わたしは天下を治めるつもりはない。ただ幼い御子を抱いてあなたに従おうと思っているだけだ。ももう戦う必要はありません。お互いに弓の弦を断ち切り、武器を捨てて親しくなりましょう」
建内宿祢(たけうちのすくね)はこう忍熊王を騙した後、自軍の兵士たちに弓の弦を切らせ、太刀を腰から解かせ、河に投げ込ませました。
忍熊王は建内宿祢(たけうちのすくね)に騙されて、自軍の兵士にも弓の弦を断ち切らせ、また武器を河に投げ込ませました。
忍熊王の兵士たちがみな丸腰になったのを確かめると、建内宿祢(たけうちのすくね)は自軍に命じて、予備の弦を弓に張らせ、隠しておいた本物の太刀を腰に帯させ、宇治河を渡って進軍させます。
忍熊王(おしくまのみこ)
武器もないのにどうして戦うことができるだろう?
押熊王は逃げて、ついに淡海の海の瀬田の渡に身を投げて亡くなりました。