神功皇后|三韓征伐伝説で有名な古代の女傑|わかりやすい日本神話

帰国後の内戦 神功皇后 VS 忍熊王(おしくまのみこ)

皇后はこの男の子は後継者争いの種になるのではと考えました。

そこで棺を載せた喪船一艘を仕立て、
「御子はもう崩御された」
と偽の噂をたてました。

それを聞いた香坂王(かごさかのみこ)と忍熊王(おしくまのみこ)の二人の皇子(おうじ)が、謀反をおこそうと考えました。

事をおこそうとする前に香坂王(かごさかのみこ)と忍熊王(おしくまのみこ)は「うけい狩り」(狩りをしてその出来によって吉か凶か占う)をしました。

その狩りでは大きな猪が香坂王にかみついて殺してしまいます。

うけい狩りの結果が「大凶」だったにも関わらず忍熊王は軍を起こし、皇后を討とうとします。

皇后側の将軍は計略をめぐらせて、
「皇后はもう崩御されてしまった。もう戦いは終わりです」
と嘘を言って、弓の弦を斬りいつわりの降伏をしました。

すると忍熊王は騙されて、自分たちも弓の弦を外し、武器をしまってしまいました。

其の時、皇后軍の兵士たちは髪の中にしまっていた予備の弦を取り出し、ふたたび弓に張りなおすと、忍熊王側を攻撃します。

忍熊王は船に乗って琵琶湖に浮かんで辞世の句を読むと、ともに琵琶湖に身をなげて亡くなりました。

その後建内宿祢は皇后の生んだ太子を連れて、諸国をめぐりました。

うまれてすぐに戦に巻き込まれたことによって、太子が穢れた、とかんがえて、その禊をするために、旅をしたのです。

建内宿祢(たけうちのすくね)と太子は禊の旅を終え、都に戻ってきました。

すると皇后は祝いの酒宴を開き歌を詠みます。

此の御酒(ミキ)は 吾(ワ)が神酒(ミキ)ならず

神酒(クシ)の司(カミ) 常世(トコヨ)に坐(イマ)す

いはたたす 少御神(スクナミカミ)の

豊寿(トヨホ)き 寿(ホ)き廻(モト)ほし

神(カム)寿(ホ)き 寿(ホ)き狂(クル)ほし

奉(マツ)り来(コ)し御酒(ミキ)そ

あさず飲(ヲ)せ ささ

 

歌の訳

このお酒は私だけの神酒ではありません。

神酒の司である常世の国にいる少名彦(=スクナヒコナ)が、祝いの言葉を述べながら、歌って踊り狂って、醸(カモ)したお酒です。

さぁ、この酒を残さず飲みなさい。さぁさぁ!
日本神話・神社まとめ

 

武内宿禰(たけうちのすくね)が、幼い太子に代わって答歌を詠みます。

此(コ)の御酒(ミキ)を 醸(カ)みけむ人は

その鼓(ツヅミ) 臼(ウス)に立てて

歌ひつつ 醸(カ)みけめかも

この御酒(ミキ)の あやにうた楽しさ さ

 

歌の訳

このお酒を醸した人は、鼓を臼のように立てて、歌って醸したからでしょう。

このお酒の美味しいこと。

さぁさぁ。
日本神話・神社まとめ

このようにおめでたいムードで古事記の神功皇后の物語は締めくくられます。

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