『三四郎』詳しいあらすじ、要約、解説|夏目漱石のおすすめ小説|前期三部作

夏目漱石『三四郎』三四郎と美禰子


三四郎は読んでいてなかなか頭を使う小説です。
ヒロインは何を考えているのだろうか……三四郎の恋は実るのか?
少し読み進めては戻ってうーんの考えこんで……
わかりにくさはありますが、奥手な若者の初恋がリアルに描かれています。

夏目漱石『三四郎』あらすじ

女は恐ろしい!

まもなく大学入学する熊本出身の若者、小川三四郎は東京行の列車の中でうとうとしていました。
相乗りになったのはおじいさんと若い女性。
女性の肌の色が小麦色だったため、九州出身の三四郎は親近感を持ちます。
女性は絶世の美人というほどではありませんが、顔立ちが整っており、三四郎はちらちらと見てしまいます。
三四郎はおじいさんと女性の話を聞いています。
女性には夫も子供もいるのですが、夫は大陸に出稼ぎに行っているそうです。
しかし半年前ぐらいから、夫からの連絡が途切れてしまい、仕送りも届かなくなりました。
そこでこの女性は仕方がないので、子供を少し前から実家に預けて、このたびは自分も実家に帰ることにしたといいます。

老人が列車から降りたのち、三四郎は列車の窓から空になった駅弁の箱を放り投げます。
現代人から見たら随分と行儀が悪いですが、この当時は普通だったのでしょう。
そしてその弁当箱が風によって舞い戻ってきて、女性の顔に当たってしまいました。
弁当の残りかすをハンカチで拭いている女性に三四郎は慌ててあやまります。
汽車がまもなく名古屋に到着するときでした。
女性が三四郎に「名古屋に着いたら宿屋に一緒に行きましょう。一人だと心細いから」と頼みます。
三四郎は「たしかに女性一人だと心細いのだろう」とは思いますが、やはり相手は見知らぬ人です。
しかし断る勇気もなくあいまいな返事をします。
夜十時頃に列車が名古屋に到着しました。
この列車は名古屋どまりでした。
三四郎と女性は一緒に列車を降りました。
三四郎の後ろを女性がついてきます。
二人いっしょに宿屋に入ると、二人は同じ部屋に通されてしまいます。
三四郎は宿の人に「違う部屋にしてください」と今更言う勇気がなくなってしまいました。
そして女性も何も言いません。
しかたなく、風呂に入っていると、廊下で足音がして女性が隣のトイレに入りました。
そして出てきたと思ったら、三四郎の入っている風呂の戸を半分あけて、
「ちいと流しましょうか」
と聞きます。
三四郎は「いえ、たくさんです」と断りましたが、女は風呂に入ってきて帯を解きだします。
三四郎と一緒にお風呂に入るつもりらしいのです。
全く恥ずかしそうなそぶりも見せません。
三四郎はびっくりぎょうてん!
大慌てで湯船を飛び出しました。
体を拭いて座敷にいると、下女が宿帳を持ってきました。
三四郎は自分の名前は正直に書きましたが、女性の名前は偽名を使って、まるで自分の妻であるかのように、書いてしまいます。
まもなく女性が戻ってきました。
何事もなかったかのような落ち着いた様子です。
下女がやってきて布団を敷いてくれます。
三四郎は布団は二枚敷いてくれ、と頼みます。
しかし下女は部屋が狭いとか、蚊帳が狭いとか言って、大きな布団を一枚敷いて出て行ってしまいました。
女性が蚊帳の中に入っていきます。
三四郎は蚊帳の外で夜を明かそうかと思いましたが、蚊が非常にうるさい。
そこでしかたなく蚊帳の中に入ります。
知らない女性と同じ布団で寝ることになってしまった三四郎。
何とか女性と自分との間に仕切りを作りたかったのでしょう。

「失礼ですが、私は癇症かんしょうでひとの蒲団に寝るのがいやだから……少し蚤のみよけの工夫をやるから御免なさい」
三四郎はこんなことを言って、あらかじめ、敷いてある敷布シートの余っている端はじを女の寝ている方へ向けてぐるぐる巻きだした。
そうして蒲団のまん中に白い長い仕切りをこしらえた。

そして夜が明けました。
その晩二人の体が仕切りを超えて相手側で出ることはありませんでした。
宿を出て四日市へ行くという女性と三四郎は駅で別れます。
別れ際に三四郎は女にこんなことを言われてしまいます。

「さよなら」と言った。
女はその顔をじっとながめていた、が、やがておちついた調子で、
「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言って、にやりと笑った。

三四郎は東京行の列車に乗って洋書の論文集を読みますが、ちっとも集中できません。
昨日のことをぐるぐると考えます。

元来あの女はなんだろう。
あんな女が世の中にいるものだろうか。
女というものは、ああおちついて平気でいられるものだろうか。
無教育なのだろうか、大胆なのだろうか。
それとも無邪気なのだろうか。
要するにいけるところまでいってみなかったから、見当がつかない。
思いきってもう少しいってみるとよかった。
けれども恐ろしい。
別れぎわにあなたは度胸のないかただと言われた時には、びっくりした。
二十三年の弱点が一度に露見したような心持ちであった。
親でもああうまく言いあてるものではない。――
三四郎はここまで来て、さらにしょげてしまった。
どこの馬の骨だかわからない者に、頭の上がらないくらいどやされたような気がした。

現代の感覚で考えるとまともな女性ではないので三四郎はそれほどしょげなくてもよい気がします。
お風呂にずかずか入ってきたのは当時の田舎では混浴もよくあったでしょうからその感覚だったのかもしれません。
また女性が三四郎を誘惑したとも考えられるわけで、その対象にされた三四郎は自分の男としての魅力にもっと自信を持ってよいような気もします。
しかしここで三四郎は何もできなかった自分にがっかりしてしまいます。

広田先生との出会い

三四郎はしばらくしょげていましたが気分を変えて別のことを考えることにしました。
ここの表現がいかにも単純化された若者の願望で面白いのです。

三四郎は急に気をかえて、別の世界のことを思い出した。
――これから東京に行く。
大学にはいる。
有名な学者に接触する。
趣味品性の備わった学生と交際する。
図書館で研究をする。
著作をやる。
世間で喝采かっさいする。
母がうれしがる。
というような未来をだらしなく考えて、大いに元気を回復してみると、べつに二十三ページのなかに顔を埋めている必要がなくなった。

そこで三四郎が読書をやめて頭を上に上げると、そこに四十歳ぐらいの知識人風の男がいました。

髭ひげを濃くはやしている。
面長のやせぎすの、どことなく神主じみた男であった。
ただ鼻筋がまっすぐに通っているところだけが西洋らしい。
学校教育を受けつつある三四郎は、こんな男を見るときっと教師にしてしまう。
男は白地の絣(かすり)の下に、鄭重(ていちょう)に白い襦袢(じゅばん)を重ねて、紺足袋をはいていた。
この服装からおして、三四郎は先方を中学校の教師と鑑定した。
大きな未来を控えている自分からみると、なんだかくだらなく感ぜられる。
男はもう四十だろう。
これよりさきもう発展しそうにもない。

物語のはじめで主人公の若者が人生の師となる年上の男性に出会うのは『こころ』に似ていますが、三四郎の相手への感想は『こころ』の主人公とは対照的です。
ずいぶん辛らつですが、希望にあふれた若者がそう思うのはリアリティがあります。
この男は広田先生といって、このあと三四郎と深く関わるようになります。
そして三四郎に人生哲学的なことを語ります。
少し話してみると男も三四郎と同じく東京に行く途中でした。
三四郎は男ととりとめもないおしゃべりをします。
男の話題は子規がでてきたり、豚が出てきたり、レオナルドダヴィンチだったりとあっちこっちに飛びます。
男は三四郎がこれから大学生になると聞いても特別な感想を持ちません。
当時大学は非常に少なく、三四郎は自分は大変なエリートと考えていたので、男の冷淡さを意外に思います。

三四郎はこのはあ、そりゃを聞くたびに妙になる。
向こうが大いに偉いか、大いに人を踏み倒しているか、そうでなければ大学にまったく縁故も同情もない男に違いない。
しかしそのうちのどっちだか見当がつかないので、この男に対する態度もきわめて不明瞭であった。

男は妙なことを言います。
浜松で西洋人の夫婦を見て、男は「ああ美しい、どうも西洋人は美しいですね。お互いは哀れだなあ」と言います。
そしてこんな言葉を口にします。

「こんな顔をして、こんなに弱っていては、
いくら日露戦争に勝って、
一等国になってもだめですね。
もっとも建物を見ても、
庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、
――あなたは東京がはじめてなら、
まだ富士山を見たことがないでしょう。
今に見えるから御覧なさい。
あれが日本一の名物だ。
あれよりほかに自慢するものは何もない。
ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。
我々がこしらえたものじゃない」
と言ってまたにやにや笑っている。
三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。
どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。
すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。
――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。
悪くすると国賊取り扱いにされる。
三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。
だからことによると自分の年の若いのに乗じて、
ひとを愚弄するのではなかろうかとも考えた。
男は例のごとく、にやにや笑っている。
そのくせ言葉つきはどこまでもおちついている。
どうも見当がつかないから、
相手になるのをやめて黙ってしまった。
すると男が、こう言った。
「熊本より東京は広い。
東京より日本は広い。
日本より……」
でちょっと切ったが、
三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。
「とらわれちゃだめだ。
いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。
同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。
その晩三四郎は東京に着いた。
髭の男は別れる時まで名前を明かさなかった。
三四郎は東京へ着きさえすれば、
このくらいの男は到るところにいるものと信じて、
べつに姓名を尋ねようともしなかった。

東京の三四郎

さて三四郎は東京にやってきました。
そのときの表現がいかにもおのぼりさんで面白いのです。

三四郎が東京で驚いたものはたくさんある。
第一電車のちんちん鳴るので驚いた。
それからそのちんちん鳴るあいだに、非常に多くの人間が乗ったり降りたりするので驚いた。
次に丸の内で驚いた。
もっとも驚いたのは、どこまで行っても東京がなくならないということであった。
しかもどこをどう歩いても、材木がほうり出してある、石が積んである、新しい家が往来から二、三間引っ込んでいる、古い蔵が半分とりくずされて心細く前の方に残っている。
すべての物が破壊されつつあるようにみえる。
そうしてすべての物がまた同時に建設されつつあるようにみえる。
たいへんな動き方である。

三四郎にとってその驚きは快適なものではなくむしろ不快で落ち着かないものでした。
三四郎が東京に圧倒されていると、そこに故郷の母から手紙が届きました。
そこには
「今年は豊作でめでたい、馬が急病で命を失った。三輪田のお光さんが鮎をくれたけれども、東京へ送ると途中で腐ってしまうから、家内で食べてしまった」などと故郷ののんきな様子が書かれていました。
ちなみに三輪田のお光さんさんというのは、三四郎の故郷の女の子で、親ぐるみの付き合いをしています。
三四郎の母親やお光さん本人は三四郎とお光さんが結婚してほしいと思っていますが、三四郎にその気がなく、うざったく思っています。

三四郎はこの手紙を見て、なんだか古ぼけた昔から届いたような気がした。

しかし東京に圧倒されていた三四郎には懐かしいような気もしました。
母からの手紙には「野々宮宗八」という男のことが書かれていました。
彼は母の知り合いのいとこで、三四郎が通うことになる大学の理科を卒業して研究者をしているそうです。
母は三四郎に野々宮宗八をたずねるようにと手紙でいいつけます。

野々宮宗八

三四郎は母の言いつけに従って野々宮宗八を訪ねることにしました。
休暇中で人の少ない理科大学に行き三四郎は野々宮宗八を訪ねます。
野々宮宗八の研究室は地下にある穴倉のような部屋でした。
そして彼の様子は

額の広い目の大きな仏教に縁のある相そうである。
縮みのシャツの上へ背広を着ているが、背広はところどころにしみがある。
背はすこぶる高い。
やせているところが暑さに釣り合っている。

野々宮宗八は光線の圧力を研究しています。
静まり返った部屋で実験器具に囲まれて半年近くも地味な実験を根気強く続けているのでした。
世間から隔絶されたかのような隠者のような男でした。
三四郎は自分も彼のような生涯を送ろうかと考えます。

美禰子との出会い

野々宮宗八の研究室を出た三四郎が大学構内の池の水面を眺めてぼんやりしていました。
野々宮宗八の生き方や、故郷のことや、汽車で出会った女、東京の喧騒などに思いをはせて物思いに浸っていたのです。
三四郎がふと顔を上げると、そこには二人の女性がいました。
女性の一人は日差しをさえぎるためか、うちわを顔にかざしていました。
光線や帯や着物の色合いや風景が相乗して、三四郎には非常に美しい光景に感じられます。
女性の顔はわからないけれどなんだかいいな……と三四郎は見とれます。
これが三四郎とヒロイン美禰子の出会いなのですが、絵画的なシーンですね。
女性の一人は鮮やかな着物を着ていたのですが、もう一人は看護婦で真っ白な着物を着ています。
二人は散歩をしているようです。
鮮やかな着物を着た女性の黒目が動きました。
そのとき三四郎は汽車で出会った女性に「あなたは度胸のないかたですね」と言われた時と同じような感覚をうけます。

二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。
若いほうが今までかいでいた白い花を三四郎の前へ落として行った。
三四郎は二人の後姿をじっと見つめていた。
看護婦は先へ行く。
若いほうがあとから行く。
はなやかな色のなかに、白い薄すすきを染め抜いた帯が見える。
頭にもまっ白な薔薇ばらを一つさしている。
その薔薇が椎の木陰の下の、黒い髪のなかできわだって光っていた。

三四郎は
「矛盾だ」
とつぶやいた後、女性の落としていった花をかぎましたが特に香りはありませんでした。

学校が始まった

学校が始まったのは九月十一日からです。
この時代の大学は秋から新学期でした。
(ちなみに三四郎は文科です)
しかし教室をのぞいても講義をやっているようすはありません。
三四郎が事務員に理由を尋ねると。
「先生がいないからです」という答えでした。
(現代の常識から考えると、休み明けだと先生がいないというのは随分変ですが、当時の大学や大学教授はかなりアバウトで、夏休み明けはしばらく出てこなかったのでしょうか?)
三四郎も「新学期が始まったのに授業がないとはどういうことだ?」と思います。
そして暇にまかせてあの女性を見た池にしょっちゅうおもむき、池の周りをぐるぐる回ります。
またあの女の人に会えないかな、などと考えます。
それから十日ほどたってやっと講義が始まります。
初めて三四郎が講義を受けるときの気分はこんなものでした。

ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。
神主が装束を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎は自分で自分の了見を推定した。
じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。

先生は始業のベルが鳴って十五分立ってやっと教室に入ってきました。
当時の大学の先生の時間にアバウトなのには驚いてしまいます。
ちなみに当時の大学は先生はほとんど西洋人で英語の講義も多かったようです。
さて講義の内容は……
三四郎はその時 answer(アンサー) という字はアングロ・サクソン語の and-swaru(アンド・スワル) から出たんだということを覚えた。
それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。
いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。
ここは痛烈な皮肉ですね、どうでもよい雑学を必死でノートに書き写す学生。
机を見ると、「落第」という彫刻が彫ってあります。

よほど暇に任せて仕上げたものとみえて、堅い樫かしの板をきれいに切り込んだてぎわは素人しろうととは思われない。
深刻のできである。

隣の学生が一生懸命ノートに何か書いているので、のぞいてみると、教授の似顔絵がポンチ絵(漫画チックな絵)を描いているのでした。
このあたりは多少誇張していたとしても当時の大学の様子を結構写実的に描写しているのでしょう。

佐々木与次郎との出会い

講義の終わった後、三四郎が疲れて窓から外を眺めていると、教授の似顔絵を描いていた男に話しかけられました。
男はこう言います。。

「大学の講義はつまらんなあ」

三四郎はこの男とそれ以来親しくなりました。
男の名前は佐々木与次郎。
大学の選科生です。(三四郎は本科生)
高等学校の先生の家で書生をしているらしい。
三四郎はしばらくの間毎日学校に通って講義を聴きました。
しかしなんだか物足りません。
そこで必修科目以外のものへ出席したり、専攻科目と全く関係ない講義にも出てみたりしました。
けれども相変わらず、まだ何か物足りません。
一週間に四十時間の講義にも出ているのに充実感がないのです。
三四郎は憂鬱になってしまいます。
そこで佐々木与次郎にその話をすると……
与次郎は「ばかばか」と言います。

下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ

痛烈な大学批判です。
三四郎が「どうしたらよかろう」と与次郎に相談すると、与次郎はこうアドバイスします。

電車に乗るがいい

電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ

三四郎は与次郎と一緒に電車に乗って新橋や日本橋に行きます。
次は与次郎は三四郎を纏綿とした京言葉の仲居さんがいる料理屋につれて行って、そこで晩飯を食べて酒を飲みます。
それから与次郎は三四郎を寄席に連れて行って、小さんという噺家の落語を聞かせます。
帰り際与次郎が三四郎に「どうだ?」と聞くと三四郎はこう答えました。
三四郎は与次郎に

ありがとう、大いにもの足りた

と礼を言いました。
すると与次郎は今度はこう言いました。

これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない

野々宮宗八の自宅を訪ねる

三四郎はその翌日から今まで週に四十時間取っていた講義を半分に減らして、図書館に通うようになりました。
毎日必ず八、九冊は本を借ります。
膨大な本があるというのに、三四郎が手に取る本は、ことごとく誰かが読んだ形跡があります。
図書館の近くには青木堂という喫茶店があり、三四郎は勉強に疲れるとそこで一休みします。
ある日三四郎は青木堂で汽車の中で出会った男を見つけました。
挨拶をしようかと思いましたが、男は自分の世界にどっぷりつかったような感じで話しかけづらい。
三四郎は挨拶はやめて図書館に戻りました。
読書に没頭していると、佐々木与次郎が三四郎を呼びにきました。

おい、野々宮宗八さんが、君を捜していた

与次郎が野々宮宗八を知っていたことに驚く三四郎でした。
野々宮宗八は与次郎が書生をしている高等学校の先生、広田先生のもとの生徒だったのです。
野々宮宗八は広田先生の家によく遊びにきて、与次郎とも顔見知りでした。
与二郎によると野々宮宗八は

たいへんな学問好きで、研究もだいぶある。
その道の人なら、西洋人でもみんな野々宮君の名を知っている。

らしい。
翌日は日曜日でした。
昨日野々宮宗八が自分を探していたと与二郎から聞いていたので、三四郎は、野々宮宗八を訪ねることにしました。
しかし日曜日なので野々宮宗八は学校ではなくて自宅にいるようです。
そこで三四郎は遠出をすることにしました。
朝だらだらしていたら、故郷の友達がやってきたりして、なかなか出かけることができず、出発したのは四時過ぎでした。
野々宮の家は閑静な郊外にあります。
野々宮宗八は研究室で会った時と同じく静かな様子でした。
家の中に通されると座敷は本だらけ。
野々宮宗八が昨日三四郎を探していた理由は、
「三四郎の母親が野々宮にお礼を送ってくれたからそれのお礼が言いたかった」
というものでした。

じつはお国のおっかさんがね、
せがれがいろいろお世話になるからと言って、
結構なものを送ってくださったから、
ちょっとあなたにもお礼を言おうと思って……

二人があたりさわりのない会話をしているうちに日が暮れてしまいました。
三四郎がお邪魔しようとすると、どこからか電報がきました。
それを読んだ野々宮宗八が
「困ったな」
といいます。
三四郎がわけを聞くと、電報は野々宮の妹からのものでした。
野々宮の妹は大学病院に入院しているのですが、その妹からすぐに来てくれという電報が来たというのです。
もしや重大なことがおきたのでは?と心配になる三四郎ですが野々宮宗八の答えは

なにそうじゃないんでしょう。
じつは母が看病に行ってるんですが、――もし病気のためなら、電車へ乗って駆けて来たほうが早いわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。
ばかだから、よくこんなまねをします。
ここへ越してからまだ一ぺんも行かないものだから、きょうの日曜には来ると思って待ってでもいたのでしょう

野々宮は結局妹の入院している病院に今から行ってみる事にしました。
でかけに三四郎に留守を頼みます。
このあたりは物騒で下女一人だと下女が怖がるので君に一晩泊まってほしいというのです。
三四郎は承知すると野々宮は出かけていきました。
夜十一時頃野々宮から電報がありました。

妹無事、あす朝帰る

どうやら電報はただの妹の気まぐれないたずらで何もなかったようです。

よし子の見舞いそしてあの女性との再会

翌朝、野々宮宗八が戻ってきました。
三四郎が野々宮の家を出るとき、野々宮に、この着物を午前中に妹に届けてくれないかな?と着物を渡されます。
三四郎は快く引き受けました。
三四郎はこれから若い女性に会うことにわくわくしながら病室に向かいます。
病室をあけるとそこには野々宮よしこがいました。

うしろから看護婦が草履ぞうりの音をたてて近づいて来た。
三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。
そうして中にいる女と顔を見合わせた。(片手にハンドルをもったまま)
目の大きな、鼻の細い、唇くちびるの薄い、鉢はちが開いたと思うくらいに、額が広くって顎あごがこけた女であった。
造作はそれだけである。
けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟とっさの表情を生まれてはじめて見た。
青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。
それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光ひの触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈つきかさをしょってる。
それでいて、顔も額もはなはだ暗い。
暗くて青白い。
そのなかに遠い心持ちのする目がある。
高い雲が空の奥にいて容易に動かない。
けれども動かずにもいられない。
ただなだれるように動く。
女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。
三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱ゆううつと、隠さざる快活との統一を見いだした。
その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。
そうして一大発見である。
三四郎はハンドルをもったまま、――顔を戸の影から半分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自らを放下し去った。
「おはいりなさい」
女は三四郎を待ち設けたように言う。
その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色があった。
純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、こうは出られない。
なれなれしいのとは違う。
初めから古い知り合いなのである。
同時に女は肉の豊かでない頬を動かしてにこりと笑った。
青白いうちに、なつかしい暖かみができた。
三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。

ここの描写が詳しすぎますね。
ヒロインは美禰子、という事前情報なしに読んだ読者は、99.9%野々宮よしこが三四郎が池で会った女性だと勘違いしてしまうことでしょう。
このあたりは三四郎という小説の不可解なところです。
このよしこの描写は読者に勘違いさせるためにわざと狙ったものなのかもしれません。
三四郎がよしこに着物を渡して、よし子の母に挨拶をして病室を出ます。
そしてそこでついにあの池で出会った女性に再会したのでした。
ここでの描写もかなり細かく書かれています。
彼女はいわゆる絶世の美女ではないのですが、物腰の優雅な落ち着いた感じの美人です。
三四郎は彼女に
「ちょっと伺いますが、十五号室はどこでしょう?」とたずねられました。
十五号室はよしこの病室です。
彼女はよしこの見舞いに来たようでした。
三四郎がよしこの病室への行き方を案内すると女は行ってしまいました。
「彼女を案内してあげればもっと話せたのに……」
せっかくのチャンスをフイにしてしまって、残念に思う三四郎。
それに彼女が髪に飾っていたリボンも彼を落ちこませる原因でした。
それはいつかの野々宮宗八が兼安で買ったものだったのです。

広田先生

秋になりました。
三四郎はふわふわするような愉快なような落ち着かない気分です。
病院で会ったあの若い女性のことが気になります。
しかしなかなか彼女について野々宮さんに尋ねる機会もありません。
ある日三四郎が散歩をしていると与次郎に出くわしました。
彼には連れの男がいました。
それは三四郎が上京するときに列車で会って、その後青木堂で見かけた知識人風の男でした。
与次郎によるとなんと彼が与次郎が書生をしているという広田先生なのです。
(三四郎はまえまえからなんとなく広田先生とその男を結びつけていたのですけれどね……)
与二郎と広田先生は貸家を探しているのでした。
今の家の持ち主が高利貸で家賃をむやみに上げるので与次郎がキレて家主と喧嘩になってしまい、急いで今の家を出なければならなくなったのです。
広田先生は列車の中の時と同じように三四郎に話しかけます。

「東京はどうです」
「広いばかりできたない所でしょう」
「富士山に比較するようなものはなんにもないでしょう」
「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。
「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」

与次郎が気になる家を見つけました。
与次郎は広田先生と三四郎を置いて家主と家賃の交渉に行きます。
その間広田先生は灯台の絵を落書きをしていました。
戻ってきた与次郎が広田先生の絵を見てこう言います。

「よほど長くかかりましたか。何か絵をかいていましたね。先生もずいぶんのん気だな」
「燈台は奇抜だな。じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」
「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。――だれもまるで知らない。
それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、――じつに割に合わない商売だ。野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」

与次郎によると広田先生は大学を卒業してからもう十二、三年高等学校で英語を教えています。
まだ独身。
独特の思想を持ち少し偏屈なところがあります。
時々論文を書きますがまったく反響はありません。
広田先生は世の中に知られていない人でした。
広田先生自身に野心があるのかどうかはわかりません。
しかし少なくとも自分で有名になろうと具体的に行動をおこしたりはしないようです。
実は与次郎には

これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う

という考えがあるそうです。
三四郎は与次郎の意気込みにびっくりします。

三四郎と三つの世界

三四郎には三つの世界ができました。
一つは生まれ故郷。
懐かしい母の住む世界です。
三四郎にとって慣れ親しんだ世界。
もう一つは学問の世界。
大学や図書館。広田先生や野々宮先生の世界。
そして三つ目は華やかな世界。

電燈がある。
銀匙がある。
歓声がある。
笑語がある。
泡立つシャンパンの杯がある。
そうしてすべての上の冠として美しい女性がある。

三四郎のいう「美しい女性」とはあの池で出会った、よしこの見舞いに来た女性でした。
第三の世界は三四郎にとってまだ近づきがたいものでした。
しかし三四郎にはぜひとも自分がこの世界に入らなければ、という強い思いもあります。

里美美禰子

ある日学校に行くと与次郎に「家は決まった。明日引っ越すから引っ越しの手伝いをしてほしい」と頼まれます。
翌朝9時に与次郎に言われた家に行くと、まだ誰もいません。

「失礼でございますが……」

と言って家に入ってきた若い女性がいました。
それがなんとあの池で出会った女だったのです!
彼女の名前は里美美禰子。
美禰子は広田先生の知り合いで、引っ越しの手伝いを頼まれてやってきたのです。
美禰子は三四郎と今迄二回会ったことをちゃんと覚えていました。
三四郎と美禰子は一緒に部屋の掃除をします。
掃除が終わったときはだいぶ親しくなれました。
二階の掃除が終わった後、二人で空にぽっかり浮かぶ雲を眺めたりして少しいい雰囲気にもなります。
しばらく二人きりの時間をすごしますが、遠くから荷車の音が聞こえてきます。
与次郎がやってきたのでした。
美禰子は「早いのね」と言います。
与次郎の運んできた荷車には広田先生の沢山の本が載っています。
広田先生はものすごい量の書籍を所有していたのでした。
まもなく広田先生もやってきて、引っ越しは一段落しました。
皆で美禰子お手製のサンドイッチを食べます。
サンドイッチのかごは非常に大きく、広田先生は美禰子が一人でそれを持ってきたことに驚きます。
美禰子はちょっと不良っぽい学生である佐々木与次郎とも落ち着いた様子で会話をします。
広田先生は「アフラ・ベーン」という英国の閨秀作家の話題を出したとき、美禰子に君も小説を書いてみたらどうだい? と勧めます。
また会話に英単語が出てきたときにそれを口ずさむと非常にきれいな発音です。
美禰子は自立していて、男性とも躊躇なく会話できて、インテリ。
三四郎が知っている若い娘とはだいぶ違うのでした。
三四郎、美禰子、与次郎、広田先生がサンドイッチを食べていると、野々宮宗八が家にやってきました。
野々宮宗八は美禰子に彼女の家に、妹のよし子を居候させてくれ、と頼みます。
野々宮宗八の妹のよしこは今の家から女学校に通う途中辺鄙な場所があるのでそれが怖くていやだというのです。
また野々宮宗八は毎晩研究で家に帰るのが遅くなるのですが、それだとよし子が家で下女と二人だけでいるのを怖がるというのです。
(今は母親も一緒に住んでいるのですがまもなく田舎に帰ってしまう予定です)
美禰子はこころよく承諾します。
そのあと話題は変わります。
野々宮宗八、よしこ、美禰子、広田先生、三四郎で一緒に菊人形を見に行く約束をしたのでした。
三四郎はまた野々宮宗八の家を訪ねました。
野々宮宗八はまだ家に帰っていなくて、出迎えてくれたのはよし子。
よし子は絵をかくのが好きらしくて、水彩画を描いていました。
よし子もあまり親しくない男に対してまったく緊張したようすを見せません。
絵筆を動かしながら、落ち着いた様子で三四郎と会話をします。
三四郎はよし子に前から気になっていた、野々宮宗八と美禰子の関係を聞きます。

野々宮さんはもとから里見さんと御懇意なんですか

よし子は

ええ。お友だちなの

と答えますが、三四郎には男女の友達、という概念があまりないのでした。
まもなく三四郎はよし子から美禰子には兄がいて、野々宮宗八と同級生だと聞きます。
よし子の言った「お友だち」とは美禰子と野々宮宗八ではなくて、美禰子の兄と野々宮宗八のことだったのかもしれませんね。
美禰子にはさらに上に兄がいて、彼が広田先生の親友だったといいます。
その美禰子の一番上の兄は、もうこの世の人ではないそうですが……
美禰子にもう両親はいなくて兄と二人暮らしのようでした。
人間関係が濃いですね。
三四郎の登場人物はかなり狭い世界に住んでいるようです。
美禰子は英語が好きで英語を習いによく広田先生を訪ねるそうです。
よし子は書いている絵が気に入らなくて、絵にばってんをしてしまいます。
そして三四郎にお茶を出してくれます。
少しお客に失礼な態度のようですが、三四郎は今頃お茶をだすというよし子をかえって面白いと思いました。
またよし子はこんなことを言います。

自分の兄の野々宮が好きかいやかという質問であった。
ちょっと聞くとまるでがんぜない子供の言いそうな事であるが、よし子の意味はもう少し深いところにあった。
研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなるわけである。
人情で物をみると、すべてが好ききらいの二つになる。研究する気なぞが起こるものではない。
自分の兄は理学者だものだから、自分を研究していけない。
自分を研究すればするほど、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる。
けれども、あのくらい研究好きの兄が、このくらい自分を可愛がってくれるのだから、それを思うと、兄は日本じゅうでいちばんいい人に違いないという結論であった。

三四郎はよし子の考えをユニークで面白いと思います。
そして東京の女学生はばかにできないと思い、よし子に敬愛の念をいだいたのでした。

美禰子と二人きりになるチャンスが……

翌朝、三四郎は美禰子、広田先生、野々宮宗八、よし子と一緒に菊人形を見に行きます。
与次郎は留守番です。
与次郎は「菊人形なんて興味ない。おれは今大論文を書いていてそれどころじゃない」と言います。
菊人形の会場に着くとものすごい人、またどちらかというガラの悪そうな人が多いのでした。
美禰子はふと何も見ないで、ほかの四人から離れて出口の方に行ってしまいます。
広田先生、野々宮宗八、よし子は菊人形に夢中で気が付きません。
三四郎は人垣をかきわけて、美禰子を追いかけます。
三四郎と美禰子の間にこんな会話が交わされます。
三四郎「里美さん」
美禰子「………もう出ましょう」
三四郎「どうしましたか?」
美禰子 しばらく黙った後、つらそうな顔をして「私ちょっと気分が悪くって、どこか静かな所はないでしょうか」
三四郎は美禰子を休むのにいい場所に連れていきたくて、自分の知っている静かで一休みするのによい場所まで連れていきます。
不器用ながらも、好きな女性を頑張ってエスコートしようとする三四郎がけなげです。

「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしましたか」
女は黙っている。
やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。
二重瞼にはっきりと張りがあった。
三四郎はその目つきでなかば安心した。
「ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。
「休みましょうか」
「ええ」
「もう少し歩けますか」
「ええ」
「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから」
「ええ」

だいぶ歩いた結果、人気のない野原で小川のほとりです。
三四郎は図らずも美禰子と二人きりになれたのです。
二人で野原に座り、空を眺めます。
三四郎は広田先生たちに何も言わずに二人で抜け出してしまったので心配になります。
一方美禰子はどこ吹く風。
意味ありげなことを言います。

「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」
「迷子だから捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、
「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」
「だれが? 広田先生がですか」
美禰子は答えなかった。
「野々宮さんがですか」
美禰子はやっぱり答えなかった。
「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」
美禰子は三四郎を見た。
三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。
その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。
同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種の屈辱をかすかに感じた。
「迷子」
女は三四郎を見たままでこの一言ひとことを繰り返した。
三四郎は答えなかった。
「迷子の英訳を知っていらしって」
三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。
「教えてあげましょうか」
「ええ」
「迷える子ストレイ・シープ――わかって?」

三四郎が美禰子は何を言わんとしているのだろう?
また自分は何を言えばいいのだろう?と焦っていると美禰子が衝撃の一言を言います。

「私そんなに生意気に見えますか」

偉大なる暗闇

それからというもの三四郎は大学に行っても美禰子の言ったことの意味が気になってしかなく、講義に集中できません。
ノート一杯にstray sheep と書いていると、与次郎に話しかけられます。
そして与次郎が三四郎に『文芸批評』という雑誌を見せます。
そこには零余子というペンネームを使った「偉大なる暗闇」というタイトルの論文が載っていました。
「偉大なる暗闇」は広田先生のことを褒めたたえる論文です。
やたらと大げさな言葉を使って、今の文学文科の大学教員を批判し、広田先生を大学教授にするのがよい、ということを書いてあるのでした。
いろいろ面白い言葉が使われています。

「禿はげを自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波から生まれたが、活眼の士は大学から生まれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月くらげを田子たごの浦うらの名産と考えるようなものだ」

そして広田先生を「偉大なる暗闇」にたとえ、一方今の文学文科の教員たちを「丸行燈、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎない」と書いています。
この「丸行燈」というのはかつて与次郎が広田先生に言われたことのある悪口なのでした。
言葉は活気があって面白いのですが、中身はない文章でした。

美禰子からの絵葉書

三四郎が下宿に戻ると美禰子から絵葉書がきていました。
どうやら美禰子お手製のようでした。

小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。
男の顔がはなはだ獰猛にできている。
まったく西洋の絵にある悪魔デビルを模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある。
表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。
三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。
のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあんに自分に見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。
迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。
それが美禰子のおもわくであったとみえる。
美禰子の使った strayストレイ sheepシープ の意味がこれでようやくはっきりした。
与次郎に約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。
しきりに絵はがきをながめて考えた。
イソップにもないような滑稽趣味がある。
無邪気にもみえる。
洒落でもある。
そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。
手ぎわからいっても敬服の至りである。
諸事明瞭にでき上がっている。
よし子のかいた柿の木の比ではない。
――と三四郎には思われた。

三四郎はこの絵ハガキを大変気に入ります。
与次郎の論文なんかよりもこっちのほうがずっといい、と思い嬉しそうに眺めます。
しかし三四郎は美禰子に返信は書きませんでした。
三四郎は与次郎に誘われて大学の運動会に出かけます。
そこで美禰子に会います。
美禰子に「あなた返事をくださらないのね」と言われます。
その時美禰子に言われた会話の意味をあれこれ考えて三四郎は「あれはどういう意味だったのだろうか?僕を馬鹿にした言葉では?」などと思い悩みます。
あの女っ気のない超俗的な広田先生と話したら恋の悩みも少しは静まるかもしれないと言って広田先生の家を訪ねます。
広田先生はあいかわらず三四郎に彼独自の思想を語ります。
蕎麦屋に行くとそこにいた、高校生たちが与次郎の書いた「偉大なる暗闇」の噂をしています。三四郎は雑誌の影響力に驚きます。

美禰子からお金を借りることに

三四郎は与次郎に二十円貸しました。
与次郎が金に困った理由は競馬でした。
理由を聞いてあきれたものの野々宮宗八にもかかわりのある金で、与次郎は本当に困っているようでした。
与次郎に二週間後には論文を寄稿した雑誌から原稿料がもらえるはずだから、と言われて三四郎はお金を貸してしまいます。
しかし与次郎はなかなか返してくれません。
三四郎は家賃が払えなくて困ってしまいます。
三四郎が催促すると、与次郎は雑誌がなかなか原稿料をくれないというのです。
三四郎が「そんな……」と思っていると与次郎はあっさり「大丈夫、君に返すお金は準備できたよ、だけど君はお金を取りにいかないといけないよ」
と言います。
どういうわけかというと、与次郎は三四郎に返す金を都合するために美禰子の兄を訪ねたのですが、あいにく留守。
そこで美禰子に借金の相談をしたところ、美禰子が引き受けてくれたというのです。
しかし美禰子は与次郎は信用できないので三四郎に直接渡すというのです。
そこで与次郎は三四郎は美禰子のところにお金を取りに行くことになったのでした。
三四郎は美禰子が与次郎を信用しないけれど自分を信用するということを聞いて嬉しく思います。
三四郎は美禰子の家を訪れました。
美禰子に競馬が理由でお金が無くなった話をすると、美禰子は三四郎が馬券を買ったのかと思ったのか。

「馬券であてるのは、人の心をあてるよりむずかしいじゃありませんか。あなたは索引のついている人の心さえあててみようとなさらないのん気なかただのに」

と意味深なことを言います。
三四郎は美禰子の誤解を解きます。
三四郎と美禰子はしばらく別に借りなくてもいい、借してあげる、という話を愚図愚図していました。
しかし最後には二人で銀行に行って、美禰子が銀行口座からお金を出し、三四郎に貸してくれました。
その時三四郎は美禰子から原口という広田先生や野々宮宗八の友だちの画家のモデルをやっているという話を聞きます。

絵の展覧会にて美禰子の不可解な態度

銀行に行った後、三四郎は美禰子に誘われて「丹青会」という絵の展覧会に行きます。
画家の原口が美禰子にくれチケットがちょうど二人分あったのです。
絵を見ていると野々宮宗八に会いました。
美禰子は野々宮宗八の見ている前で、三四郎の耳もとで何かささやきます。
しかし三四郎はよく聞き取れませんでした。
野々宮宗八と別れたのち、三四郎は美禰子にさっきはなんて言ったんですか?と聞くと
美禰子は

「用じゃないのよ」
三四郎はまだ変な顔をしている。
曇った秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。
観覧人はきわめて少ない。
別室のうちには、ただ男女二人の影があるのみである。
女は絵を離れて、三四郎の真正面に立った。
「野々宮さん。ね、ね」
「野々宮さん……」
「わかったでしょう」
美禰子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。
「野々宮さんを愚弄したのですか」
「なんで?」

ここは非常に分かりにくい所ですね。
特に

「野々宮さん。ね、ね」
「野々宮さん……」

のところがどれが誰のセリフなのかわかりません。
しかしおそらく、美禰子は野々宮宗八の自分への恋心を感じていて、彼が見ている前で三四郎と仲良くして野々宮を嫉妬させようとしたのでしょう。

「野々宮さんを愚弄ぐろうしたのですか」

と憮然としたようすの三四郎に美禰子は最初はそらとぼけていますが、しだいにすがるような態度をとります。

女が「小川さん」と言う。
男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。
「悪くって? さっきのこと」
「いいです」
「だって」と言いながら、寄って来た。
「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」
女は瞳を定めて、三四郎を見た。
三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。
――必竟あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。
三四郎は、もう一ぺん、
「だから、いいです」と答えた。

美禰子は始終三四郎より立場が上ですが、ここでは三四郎に図星と言われて、ほんの一時の間だけ三四郎の方が立場が上になりました。
下に見ていた純朴な若者に不意をつかれて、あわてて媚びた態度をとる女性の様子がよく描かれています。
ちょっとしょんぼりとした様子の美禰子の様子が目に浮かびます。

野々宮宗八も美禰子に恋をしているのか?

三四郎が美禰子から借りたお金は三十円です。
家賃は二十円だったので十円余りました。
それを返しにいこうかと思いましたが、すぐに返すのもかえって失礼かと思い
十円はくずして生活費にしてしまいました。
美禰子にお礼の手紙を書きますが、借金のお礼にしては不自然なほど情熱的なラブレターみたいな手紙になってしまいます。
与次郎にはもし三四郎と美禰子の間に恋愛感情があるのなら、

いつまでも借りておいてやれ

と言われます。
実は三四郎は国元に送金を頼んでいます。
母親には

友だちが金をなくして弱っていたから、つい気の毒になって貸してやった。
その結果として、今度はこっちが弱るようになった。どうか送ってくれ

と正直に手紙を書きました。
母親から手紙が来ます。
それは野々宮宗八のところに三十円を送金したからとりにいくようにというものでした。
三四郎は野々宮のところに行き、お金を受け取ります。
よし子も兄に呼び出されていて三四郎と一緒に野々宮の家を訪れます。
よし子が兄から呼ばれたのはよし子に縁談があったのでした。
野々宮の家ではよし子と野々宮のこんな会話を聞きます。

「ああ、わたし忘れていた。美禰子さんのお言伝ことづてがあってよ」
「そうか」
「うれしいでしょう。うれしくなくって?」

どうやらやはり野々宮も美禰子を愛していて、その恋心を妹に知られてしまっているようでした。

絵のモデルになる美禰子、三四郎は美禰子に思いを伝える

下宿に戻ると三四郎は

三四郎は母から来た三十円を枕元まくらもとへ置いて寝た。
この三十円も運命の翻弄が生んだものである。
この三十円がこれからさきどんな働きをするか、まるでわからない。
自分はこれを美禰子に返しに行く。
美禰子がこれを受け取る時に、また一煽ひとあおり来るにきまっている。
三四郎はなるべく大きく来ればいいと思った。

三四郎は美禰子に会いにいこうと思います。
与次郎に聞くと美禰子は毎日原口のところに絵のモデルになりに通っているそうです。
美禰子に会いに原口のところに行く前に、三四郎は広田先生を訪ねます。
三四郎は広田先生が病気だと聞いて見舞いに行ったのでした。
広田先生の家に入ると先生の友だちが来ていました。
彼は地方の中学校の教師でした。
彼は中学校を辞職したそうで暮らしが苦しく、
「学生生活ほど気楽なものはない」と繰り返します。
三四郎はそれを聞いて自分の将来が少し暗く感じられて、憂鬱になります。
広田先生の家を出ると三四郎は美禰子に会いに原田の家に向かいます。
三四郎が原田の家に行くと美禰子はモデルをやっていました。
顔に団扇をかざすポーズをとっています。
まもなく原田も美禰子も「今日はもう疲れた」といって終わりにしました。
美禰子と三四郎はお茶を飲んでいきなさい、とひきとめる原田をふりきり、二人で外に出ました。
美禰子が三四郎に尋ねます。

「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」
「いいえ、用事はなかったです」
「じゃ、ただ遊びにいらしったの」
「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」
「じゃ、なんでいらしったの」
三四郎はこの瞬間を捕えた。
「あなたに会いに行ったんです」
三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。
すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、
「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。
三四郎はがっかりした。
二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。
「本当は金を返しに行ったのじゃありません」
美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。
「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」
三四郎は堪えられなくなった。急に、
「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。
女は三四郎を見なかった。
その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。
「お金は……」
「金なんぞ……」

ついに彼の勇気が出る範囲で美禰子に愛を打ち明けた三四郎。
美禰子も当然気が付いたでしょうが、

原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって

とはぐらかされてしまいます。
美禰子があの絵は彼女が三四郎と出会ったときと同じポーズであることをほのめかします。
まもなく道の向こうから人力車がやってきました。
乗っていたのは立派な身なり美男子です。

向こうから車がかけて来た。
黒い帽子をかぶって、金縁の眼鏡めがねを掛けて、遠くから見ても色光沢つやのいい男が乗っている。
この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。
二、三間先へ来ると、車を急にとめた。
前掛けを器用にはねのけて、蹴込けこみから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。
髪をきれいにすっている。
それでいて、まったく男らしい。

この美男子は美禰子を迎えに来たようです。

「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」
「はやく行こう。にいさんも待っている」

と言うところから彼は美禰子の兄ではないようです。
美禰子は男と二人で行ってしまいました。
結局三四郎はその日はお金は返すじまいでした。
それにしても、こんな貴公子風の美男子が突然現れて美禰子をさらっていってしまったのです。
男と美禰子との関係もよくわかりません。
三四郎は随分落ち込んで、また気をもんだことでしょう。
しかし不思議なことにそれについては一切書かれていません。
言わずもがなということなのでしょうか?

与次郎の失敗

三四郎は相変わらず学校に通う日々、美禰子から借りたお金はそのままになっています。
与次郎が三四郎に「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言います。
今迄西洋人ばかりだった大学の外国文学科に日本人の教師が入ったというのです。
しかしそれは広田先生ではありませんでした。
そして与次郎は三四郎にある新聞記事を見せます。
そこには広田先生が随分悪いように書かれていました。
広田先生が自分が教授になれるようにこそこそ運動していたというのです。
その運動の一つに自分の家に出入りする学生である三四郎に匿名で「偉大なる暗闇」という自分を褒めたたえる論文を書かせて雑誌に投稿させたというのです。
いつもちゃらんぽらんな与次郎ですがここは広田先生にほんとうのことを話して詫びるつもりらしいです。
三四郎は初めて与次郎を見直しました。
三四郎はこのことは自分にも責任があると思い広田先生に謝りに、またこの前借りた本を返しにいこうと思って広田先生を訪ねます。

広田先生の言葉 夢のなかの少女

三四郎が訪ねたときは広田先生は昼寝中です。
三四郎が持ってきた本を読んでいると先生がむくりと起き上がりました。
広田先生は昨晩、与次郎から自白を受けたようでした。
広田先生は「偉大なる暗闇」を読んでその大げさな中身のない文章にあきれたようです。

第一ぼくのために運動をするものがさ、ぼくの意向も聞かないで、かってな方法を講じたりかってな方針を立てたひには、最初からぼくの存在を愚弄ぐろうしていると同じことじゃないか。
存在を無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない

と迷惑には思っているはようですが、それほど大激怒というほどではなく冷静です。

驚くって――それはまったく驚かないこともない。
けれども世の中の事はみんな、あんなものだと思ってるから、若い人ほど正直に驚きはしない

迷惑でないこともない。
けれどもぼくくらい世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思い込む人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない。

広田先生はこんなことよりももっと面白い話がある、と三四郎に昼寝の最中に見た夢について話します。

「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。
それはね、ぼくが生涯しょうがいにたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが、そのほうが、新聞の記事より聞いていても愉快だよ」
「ええ。どんな女ですか」
「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子がある」
三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。
「いつごろお会いになったのですか」
「二十年ばかりまえ」
三四郎はまた驚いた。
「よくその女ということがわかりましたね」
「夢だよ。
夢だからわかるさ。
そうして夢だから不思議でいい。
ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。
あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子をかぶって。(中略)その女に会った。
行き会ったのではない。
向こうはじっと立っていた。
見ると、昔のとおりの顔をしている。
昔のとおりの服装なりをしている。
髪も昔の髪である。
黒子もむろんあった。
つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。
ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。
次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。
それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。
それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。
その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」

その女の子は、広田先生がまだ高等学校の生徒だったころ街で見かけて印象に残っている少女だというのです。
広田先生は彼女と口を聞いたこともありませんし、それ以来会ったこともありません。
しかし先生の心の中にずっと残っていて夢にでてきたのでした。
三四郎は「先生はそれで結婚なさらないんですか?」と聞きますが、そういうわけでもないようです。
広田先生の言葉は何とも詩的ですね。
ところでここの少女と広田先生のセリフは美禰子が原口に描いてもらっている絵と結びつきませんか?

この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから

あなたは絵だ

今原口が書いているのは三四郎が初めて出会った時の美禰子なのです。
三四郎は演芸会にでかけます。
野々宮やひろ子、美禰子、与次郎も連れだって来ているようでした。
三四郎は劇にあきると美禰子たちを観察してしました。
このまえ美禰子を連れて行った美男子が気になるのか他に連れがいないかと彼らの周りをさぐりますが、人が多すぎてわかりません。
幕が下りて美禰子とよし子が席を立ちました。
三四郎は後をつけると二人がある男と話していました。
三四郎は男の横顔を見たとたん、劇場の外へと出てしまいました。
この男は誰だったのでしょう? 書かれていませんがおそらく美禰子をつれていったあの美男子だったのではないでしょうか?

三四郎の失恋

三四郎は翌朝熱を出してしまいます。
学校を休んで下宿で寝ていると、与次郎がやってきます。
そしてその時三四郎が美禰子が嫁に行くという話を聞いたのでした。
与次郎に

ばかだなあ、あんな女を思って。
(中略)なに、もう五、六年もすると、あれより、ずっと上等なのが、あらわれて来るよ。
日本じゃ今女のほうが余っているんだから。
風邪なんか引いて熱を出したってはじまらない。

と慰められ三四郎は少し元気を取り戻します。
よし子もお見舞いに来てくれました。
よし子によると美禰子が結婚することになったのは美禰子の兄の友だちで、もともとよし子の縁談の相手だったというのです。
どういう経緯で美禰子と結婚することになったのかは不明です。
風邪が治った三四郎はいよいよ美禰子に金を返そうと思って、美禰子の家を訪ねました。
美禰子がおらずよし子がいました。
よし子に美禰子が教会に行っていると聞いた三四郎は教会に向かいます。
三四郎は今日初めて美禰子がクリスチャンであることを知ったのでした。
教会の入口で待っていると讃美歌の声が聞こえます。
三四郎と美禰子のラストシーン。
美しい場面なので引用しましょう。

やがて唱歌の声が聞こえた。
賛美歌というものだろうと考えた。
締め切った高い窓のうちのでき事である。
音量から察するとよほどの人数らしい。
美禰子の声もそのうちにある。
三四郎は耳を傾けた。
歌はやんだ。
風が吹く。
三四郎は外套の襟えりを立てた。
空に美禰子の好きな雲が出た。
かつて美禰子といっしょに秋の空を見たこともあった。
所は広田先生の二階であった。
田端の小川の縁ふちにすわったこともあった。
その時も一人ではなかった。
迷羊ストレイ・シープ。
迷羊ストレイ・シープ。
雲が羊の形をしている。
忽然として会堂の戸が開いた。
中から人が出る。
人は天国から浮世へ帰る。

そして美禰子も現れました。
家に寄っていってください、と誘う美禰子に三四郎は「ここでおめにかかればそれでよい」と断ります。
三四郎は美禰子に借りていた三十円を返します。

「結婚なさるそうですね」
美禰子は白いハンケチを袂たもとへ落とした。
「御存じなの」と言いながら、二重瞼を細目にして、男の顔を見た。
三四郎を遠くに置いて、かえって遠くにいるのを気づかいすぎた目つきである。
そのくせ眉まゆだけははっきりおちついている。
三四郎の舌が上顎へひっついてしまった。
女はややしばらく三四郎をながめたのち、聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。
「我はわが愆とがを知る。わが罪は常にわが前にあり」
聞き取れないくらいな声であった。
それを三四郎は明らかに聞き取った。
三四郎と美禰子はかようにして別れた。

森の女

原口さんの書いた美禰子の肖像画ができあがりました。
そしてまた開かれた『丹青会』の一室の正面に掛けられます。
絵の前に椅子をおいて来客がゆっくり眺められるように。
特別の待遇でした。
会の二日目に結婚した美禰子が夫とともにやってきました。
夫は妻の肖像を見てご満悦です。
夫は原口に美禰子のポーズが素晴らしいと褒めます。
「さすが専門家だね」と夫が言うと
原口は
「いやこれは奥さんのご希望通りに描いたんですよ」
と言います。
美禰子の夫は絵の構図が妻の考えたものだと聞いてますますご機嫌になります。
それから数日たちました。
今度は三四郎が与次郎、広田先生、野々宮宗八と一緒に会にやってきました。
三四郎が美禰子の肖像がを見るとタイトルは「森の女」と書かれています。
与次郎が三四郎の傍によって「どうだ森の女は」と尋ねます。
三四郎は「森の女という題が悪い」と答えます。
与次郎が「じゃ、なんとすればよいんだ」と聞くと三四郎は、何も答えずただ口の中で「ストレイシープ、ストレイシープ」と繰り返しました。