夏目漱石『こころ 上 先生と私』詳しいあらすじ

夏目漱石『こころ 上 先生と私』詳しいあらすじ

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夏目漱石『こころ』あらすじ 登場人物

夏目漱石『こころ』あらすじ 登場人物紹介

海辺の出会い

私が先生と知り合ったのはまだ私が若い学生の時分でした。(大学生になる前、中学生、高校生でしょうか?)

私は夏休みに友達と一緒に鎌倉に遊びにいきます。

しかし一緒に行った友達は「母親が病気だ」という知らせがあったため、郷里に帰ってしまいました。

一人鎌倉に取り残された私は暇をもてあましています。

私は毎日一人で海水浴に行きます。

私が始めて先生を見たのは掛茶屋(海水浴客のための共同着替え場件、荷物預かり場所、お茶を飲むこともできる)でした。

込み合った海水浴場のなかで私が先生に注目したのは、先生が西洋人をつれていたからです。

当時は西洋人の姿は珍しかったのでしょう。

私は西洋人の際立って白い肌や、さるまた(海水パンツですね)しか履いていないことを興味深く観察します。

西洋人を観察しているうちに次第に先生にも興味を持ったのでした。

私は先生を、どうもどこかで見たことのある顔のように思われてならないのでした。

しかしどこで会った人なのかは思い出せません。

一人海水浴場に取り残されて暇でしょうがない私は、また西洋人と先生に会いたくなり、昨日彼らを見かけた掛茶屋に行ってみました。

するとまた先生と会うことできましたが、今日は西洋人を連れていません。

しかし私はやはり先生に惹かれ先生の後をついていきたくなります。

私は次の日も次の日も先生に会いたくなり、海水浴場にでかけます。

ちなみに初めて会った日を除いては先生は西洋人を連れていませんでした。

私は毎日先生を見かけることはできましたが、言葉をかわすことはありませんでした。

毎日会っているのに、先生はよそよそしい感じで、話しかけるのがためらわれるのです。

このあたりにもう先生がのちに「私」にみせることになる性質を垣間見せています。

その上先生の態度はむしろ非社交的であった。

一定の時間に超然として来て、また超然と帰って行った。

周囲がいくら賑やかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。

先生と仲良くなったよ

ある時先生が海から上がってきて浴衣を着ようとします。

するとどうした訳か先生の浴衣に砂がいっぱいついていました。

先生が浴衣を振って砂を落としていると、先生の眼鏡が板の隙間から落ちてしまいます。

着替えが終わってから先生は眼鏡がなくなったのに気がつきあたりを探します。

私が眼鏡をひろって、先生に渡すと、先生は「ありがとう」と言って、私から眼鏡を受け取りました。

次の日私は先生の後に続いて海に飛び込みました。

先生の泳いで行った方角に私も泳いでいきます。

二人は沖に出ました。

青く広い海の表面に浮いているのは先生と私の二人だけ。

先生は体を上に向けて海面にぽっかりと浮かびます。

私も先生の真似をしておなかを空に向けて、波の上にぷかぷかと浮いています。

空は抜けるように青く、陽の光がさんさんと降り注ぎます。

私は先生に大きな声で話しかけます。

私:「愉快ですね」

しばらくすると先生は私にもう帰りませんかと言います。

そうして二人で一緒に浜辺に引き返しました。

それ以降私と先生は親しくなりました。

冷たい先生? ほんとうは……

ちなみに私が先生のことを「先生」と呼ぶようになったのは、自分でも意図せずに出た言葉でした。

私は先生の宿を訪れるようにもなります。

先生はこころよく私を受け入れてはくれますが、すこし冷淡な感じです。

たとえば私が「僕は先生をどこかで見たことがありますが、先生はどうですか?」と尋ねると、先生は「君の顔には見覚えがありませんね。人違いじゃないですか」と言います。

私は先生と仲良くなりたいのに、先生は少し壁をつくっているようなところがあります。

また先生が東京に帰るときに、私が「これから折々お宅へ伺っても宜ござんすか」と聞いても、先生はただ「ええいらっしゃい」というだけ。

私は自分は先生とだいぶ親しくなったつもりだったので、もっと心のこもった言葉が欲しかったのです。

私はこういう先生の冷淡な態度に失望させられることは多かったのですが、だからといって先生から離れていこうとは思いませんでした。

いつか先生が自分に心を開いてくれると信じていました。

なぜ冷淡にされてもなお先生に近づこうとするのか、当時はわからなかったのですが、今になってその理由に私は気がつきます。

その理由は

先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。
先生が私に示した時々の素気そっけない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。
傷ましいしい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止よせという警告を与えたのである。

自分に自信のない先生は自分を慕う若者が重たかったのかもしれません。

自分に自信がないのに、あまりにも期待されてしまうと後で失望されないか、怖くなるのでしょうね。

墓参りをする先生

新学期が始まって私は東京に帰りました。

一か月ほどたち、学校が落ち着くと私は先生を訪ねます。

先生の家を訪ねると先生は留守。

かわりに先生の美人の奥さんが私を出迎えてくれます。

奥さんによると先生は出かけているというのです。

それはお墓参りで、先生は毎月、その日になるとそこへお墓参りに行くそうです。

奥さんによれば、先生は私が来る10分前ぐらい前に家を出たというので、しばらく戻ってきそうにありません。

それほど遠くではないので、私も散歩代わりに先生が行ったという墓地に行ってみることにしました。

私が墓地に行くと先生に会うことができました。

しかし私が来たのに気がついた先生の様子がおかしいのです。

「どうして……、どうして……」
先生は同じ言葉を二遍繰り返した。
その言葉は森閑とした昼の中に異様な調子をもって繰り返された。
私は急に何とも応えられなくなった。
「私の後を跟つけて来たのですか。どうして……」
先生の態度はむしろ落ち付いていた。
声はむしろ沈んでいた。
けれどもその表情の中には判然はっきりいえないような一種の曇りがあった。
私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。
「誰の墓へ参りに行ったか、妻がその人の名をいいましたか」
「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」
「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」

私は先生の他人には踏み込まれたくない部分に踏み込んでしまったのかもしれません。

私は墓地の墓石をいろいろと批評します。

依撒伯拉(イサベラ)や安得烈(アンドレ)などの当て字のクリスチャンネームや墓の形状などについていろいろ言っていると、先生にこう言われてしまいます。

「あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」

墓参りの帰り道、私はあれは誰の墓か尋ねます。

私「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」

先生「いいえ」

私「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」

先生「いいえ」

ノーしか言ってくれない先生。

さすがに冷たすぎると思ったのか、しばらくして誰のお墓か教えてくれました。

先生「あすこには私の友達の墓があるんです」
私「お友達のお墓へ毎月お参りをなさるんですか」
先生「そうです」

先生の話はそれで終わり、先生はやはりあまり語りたくないようです。

私もこのあたりで察したのでしょう。

それ以上先生にお墓のことを聞くのはやめにしたのでした。

それからも私は先生を頻繁に訪ねました。

しかし先生の態度は当初とあまり変わらず冷淡でした。

けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶をした時も、懇意になったその後も、あまり変りはなかった。
先生は何時も静かであった。
ある時は静か過ぎて淋しいくらいであった。
私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。
それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。
しかしその私だけにはこの直感が後になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても馬鹿げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。
人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。

先生は本当は人との交流を求めているけれど、それができない人なのです。

それに無意識のうちに気がついていた私は、先生に冷淡にされても近づこうとしたのでした。

後に私はまだ若い学生だった自分が、無意識でもそれに気がついていたことを誇りに思っています。
私はそんな繊細で淋しい人間である先生と交流を深めていくうちに、先生に暗い影があることに気がつきます。

ある時私は先生に墓参りの話題を出します。

「今度は私も連れて行ってください」と先生に頼みますが、先生は嫌がります。

何度も頼んでも先生は首を縦にふりません。

先生はこう言います。

私はあなたに話す事のできないある理由があって、他ひとといっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。
自分の妻さえまだ伴れて行った事がないのです

私は先生が踏み込んで欲しくなさそうなのに気が付き、それ以上追求することはしませんでした。

後になって私は当時を思い返し「あの時はそれがよかった。もし自分が先生の秘密を探ろうとしていたら、先生は自分との交際を絶ってしまっただろう」と思っています。

寂しげな先生

私は月に二、三回は先生の家に遊びにいくようになりました。

先生は「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやって来るのですか」
と私に尋ねます。

私が
「何でといって、そんな特別な意味はありません。――しかしお邪魔じゃまなんですか」
と問うと先生は
「邪魔だとはいいません」と言った後こう言います。

「私は淋さびしい人間です。だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」

私はわけがわかりません。

先生はこうも言います。

「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。
私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。
動けるだけ動きたいのでしょう。
動いて何かに打ぶつかりたいのでしょう……」

「私はちっとも淋しくはありません」

「若いうちほど淋しいものはありません。
そんならなぜあなたはそうたびたび私の宅へ来るのですか」

ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。

「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋しい気がどこかでしているでしょう。
私にはあなたのためにその淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。
あなたは外の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。
今に私の宅の方へは足が向かなくなります」

先生はこう言った後、淋しげに笑います。

先生にはやはり過去に暗い影があるようでした。

先生の奥さん

私は先生の家に足繁くかよううちに、奥さんとも親しくなります。

私は先生の家でご馳走になることも多いのですが、そのときは奥さんがお酌をしてくれます。

ある日家の中が淋しいという話になり、奥さんは私にこんなことを言います。

「子供でもあると好いんですがね」

そのときの先生の言葉はこうでした。

「子供はいつまで経ったってできっこないよ」

先生がこんなことを言っても奥さんは何も言わずに黙ってしまいます。

私が「なぜです」と先生に聞くと、先生は「天罰だからさ」と笑って言います。

私が見たところ先生と奥さんは仲のよい夫婦です。

先生が奥さんのことを「おい静」と呼ぶときの声はやさしく聞こえます。

奥さんの先生への態度も素直です。

夫婦はよく音楽界や芝居に出かけます。

夫婦で一週間ぐらいの旅行に出かけることも私が先生と交際しているうちに何度かありました。

しかし一度だけ私がたずねっていったときに二人のいさかいの声を聞いてしまったこともあります。

奥さんの泣き声を聞いた私は、先生の家の人にきづかれないうちに引き返すことにしました。

下宿に戻って一時間ぐらいすると、先生が私の下宿までやってきて、窓の下で私を呼びます。

先生に誘われて夜の町に遊びに行きます。

先生とお酒を飲んでいると先生がこんなことを言います。

「実は先刻さっき妻と少し喧嘩をしてね。それで下らない神経を昂奮させてしまったんです」と先生がまたいった。

「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」

「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」

先生はいったい何をそんなに苦しんでいるのでしょうか?

私はまもなく先生のこんな言葉から、先生と奥さんの間の暖かい情愛を感じ取り、ほっとします。

「悪い事をした。怒って出たから妻はさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀そうなものですね。私の妻などは私より外にまるで頼りにするものがないんだから」

「もう遅いから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、妻君さいくんのために」

先生が最後に「妻君のために」と言ったのがそのときとりわけ私の心を暖かにしたのでした。

私はその後も長い間、この先生の言った「妻君のために」という言葉を忘れなかったのでした。

またこれは別の日になりますが、私は先生がこんなことを言うのを聞きます。

私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。
妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。
妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。
そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです

先生と奥さんはこのように、このようにまるで世の中にいる異性は夫もしくは妻一人であるかのように互いに思いあっているわけです。

しかしこの

私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです

「あるべきはずです」というのはなんなのでしょう?

なぜ「私たちは最も幸福に生れた人間の一対です、ではないのでしょうか?

つまり先生と奥さんはしあわせではないのでしょうか?

私は不審に思います。

奥さんの苦悩

あるとき私は奥さんと二人きりで話す機会を得ます。

先生はその日、船で外国にいく友達を見送りに新橋に行って留守だったのです。

(船は横浜から出発するのですが、当時はまず新橋駅から出る列車に乗って横浜に行くことが多かったのです)

そのときの私と奥さんの話題はこんなものでした。

私は先生の学問や思想を尊敬していて、それが世間に知られていないことを惜しいと思っていました。

それに関して私が先生に言うと先生はいつも「私のようなものが世の中へ出て、口を利いてはすまない」「どうしても私は世間に向かって働き掛ける資格のない男だから仕方がありません」と答えます。

そう答える時の先生の口調は強く、私はこれ以上踏み込めなくなってしまいました。

そこで私は奥さんと二人きりになった時にこの話題を出したのです。

私は奥さんに尋ねます。

先生はなぜああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中へ出て仕事をなさらないんでしょう

奥さんは先生は本当は世の中に出たいけれど出来ないのだろう。

しかしどうして出来ないのか理由はわからない、と答えます。

そしてこう言います。

若い時はあんな人じゃなかったんですよ。
若い時はまるで違っていました。
それが全く変ってしまったんです

私が若い時っていつごろですか?と尋ねると奥さんは「まだ先生が学生の頃よ」と言って頬を赤らめました。

どうやら奥さんは学生時代の先生を知っているようなのです。

しかし奥さんは東京の出身で先生は新潟出身。

先生の学生時代に二人はどうやって知り合ったのでしょう?

私は先生と奥さんの過去に華やかなロマンスを想像します。

しかし後に私は先生と奥さんの恋物語の裏には暗く恐ろしい事件があったことを知ります。

恋は罪悪ですよ。君

あるとき私と先生が花の咲く季節に上野に遊びに行きました。

そこに美しいカップルを見かけました。

仲睦まじそうに寄り添って花の下を歩く二人を見て私は「仲がよさそうですね」とひやかします。

それを聞いた先生は「君、羨ましそうですね。でも恋は罪悪ですよ。君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか?」と言います。

また先生によれば私が先生に惹かれて、先生に近づきたがるのは

恋に上る楷段なんです。
異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです

だといいます。

そしてこうも言います。

私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。
それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。
私は実際お気の毒に思っています。
あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。
私はむしろそれを希望しているのです

それを聞いた私は悲しくなり、「自分は先生から離れていこうなんて思ったこともない」と反論します。

次第に先生の話は私には理解不能になります。

先生はただ「恋は罪悪ですよ」と私に念をおすように言うのでした。

あんまり尊敬されてもツライ

私の先生への崇拝の気持ちは強くなります。

私にとっては学校の講義よりも先生の談話のほうが有益に感じられました。

また教授の意見よりも先生の思想の方が有難く感じられました。

そんな私に先生はこういいます。

「あんまり逆上せちゃいけません」

私は

「覚めた結果としてそう思うんです」

と自分の先生を崇拝するきもちに自信満々ですが先生は

あなたは熱に浮かされているのです。
熱がさめると厭いやになります。
私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。
しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります

かつてはその人の膝の前に跪まずいたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。
私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥しりぞけたいと思うのです。
私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。

私がこんな先生の解答に腹を立てて、「僕がそんなに信用できませんか?」と尋ねると先生は「私はあなただけでなく人間全体を信用していない。自分自身ですら信用できないと思っている」と言います。

先生の過去を知りたい!

先生がそんな人間不信になった理由は過去に自身がした経験に基づいているようです。

私は先生はどうしてこんな風に考えるようになったのだろう? と思いを巡らせます。

私は先生のこの考えが机上の理論ではないように思えました。

実体験にともなって形成された思想のような気がしてならないのです。

そんなある日、私はまた奥さんと二人きりで話す機会を得ました。

先生の家の付近で盗難が続いて、奥さんが怖がっていたのですが、そんなときに運悪く先生はある晩家を空けなくてはならなくなったのです。

先生は私にその晩は家にきて奥さんと一緒に留守番をするように頼みます。

私と奥さんはふとした会話のはずみで、「先生はどうしてああなってしまったのだろう」という話題になります。

私も奥さんも日頃そのことが気になってしかたないためか、二人はついついお互いに感情的になってしまいます。

感情的になってしまった会話の後、最後に私は奥さんからこんなことを聞きだします。

先生が大学生だった頃、先生と大変仲が良かった友達が卒業を間近に、急に亡くなったそうです。

それも普通な亡くなり方ではなかったといいます。

私は詳しいことを聞きたがります。

また先生が毎月墓参りをするのはその友達の墓ではないか? と奥さんに尋ねます。

奥さんは「それは言ってはいけないことになっているの」と話してくれません。

また奥さんもすべてを知っているようではないようでした。

まもなく先生が帰宅して、家の中は明るくなります。

さきほどまでの陰鬱な空気は吹き飛びます。

私は故郷に帰る 父の病気

冬がきました。

私は故郷に帰ります。

私の父の病気が悪化したというのです。

私の父はかねてから腎臓を病んでいました。

慢性のものなので用心していれば急変のないものと本人も家族も信じていたのですが、先日庭へ出て何かしているはずみに突然めまいがしてひっくり返ったというのです。

幸い、いますぐ危ないというわけではないようですが……

私は国元から送金してもらう手間を省くために先生に旅費を借りに行きます。

先生はこころよく貸してくれました。

父親の病気の話をすると奥さんのお母さんはその病気で亡くなったとのこと。

奥さんによると治るみこみのない病気ではあるが、吐き気がないならまだ急に危険な状態になることはないといいます。

私は先生にお金を借りた日の晩に列車で故郷に帰ります。

父親は想像していたよりも元気そうでした。

私には兄がいましたが、九州で働いて簡単に帰っては来られません。

妹も遠くに嫁いでいてなかなか帰ってはこられず、戻ってきたのはまだ学生の私だけなのでした。

父親は床の上に胡坐をかいて

みんなが心配するから、まあ我慢してこう凝じっとしている。
なにもう起きても好いのさ

と言い、翌朝には床をあげてしまいます。

私が「あまり無理をするとぶり返しますよ」と注意しても知らんぷりです。

私は先生にお金を貸してくれたことのお礼、父親の体の調子が思っていたよりもよいことなどを手紙に書きます。

筆不精な先生から返事が来て、私は嬉しく思いました。

私が先生が在命中に先生から受け取った手紙はこれ一通きりでした。

帰省中の私は退屈している父としばしば将棋をさしました。

故郷の暮らしは当初は新鮮でしたが次第につまらなくなります。

次第に私の頭の中にこんな考えが浮かびます。

私は東京の事を考えた。

そうして漲みなぎる心臓の血潮の奥に、活動活動と打ちつづける鼓動を聞いた。

不思議にもその鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められているように感じた。

私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。

両方とも世間から見れば、生きているか死んでいるか分らないほど大人しい男であった。

他に認められるという点からいえばどっちも零であった。

それでいて、この将碁を差したがる父は、単なる娯楽の相手としても私には物足りなかった。

かつて遊興のために往来をした覚えのない先生は、歓楽の交際から出る親しみ以上に、いつか私の頭に影響を与えていた。

ただ頭というのはあまりに冷ややか過ぎるから、私は胸といい直したい。

肉のなかに先生の力が喰い込んでいるといっても、血のなかに先生の命が流れているといっても、その時の私には少しも誇張でないように思われた。

私は父が私の本当の父であり、先生はまたいうまでもなく、あかの他人であるという明白な事実を、ことさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのごとくに驚いた。

わたしが故郷に飽きてくると同時に両親も私に飽きてきます。

帰ってきた当初はちやほや歓待されたのに、このごろはそうでもなくなりました。

また東京で暮らす私は次第に故郷の両親と調和しなくなっていました。

父親の調子も現状維持のままで悪化のきざしはありません。

私は新学期が始まる少し前に両親が引き止めるのも聞かず東京に帰りました。

先生からのアドバイス

東京に戻った私は先生を訪ねて、父の病気の話をします。

そのころから私は卒業論文にとりかかるようになります。

それから4か月間ほど、私はひたすら論文執筆に専念しました。

4月の終わり、八重桜の散った枝にいつしか青い葉が霞むように伸び始める初夏の季節となりました。

卒業論文を提出しおえた私は先生の家を訪ねました。

論文執筆の初期に先生にアドバイスをもらってから、私はひたすら論文執筆に明け暮れ、先生の家を訪ねたのは数か月ぶりです。

解放感たっぷりの私は先生を散歩に誘います。

緑豊かな郊外の散歩中でした。

先生は父親の病状について尋ねた後に、私の家の財産状況を聞いて、「君のうちに財産があるのなら、君のお父さんが達者なうちに貰うものをちゃんと貰っておくようにしないといけませんよ」と言います。

わたしはそれまで自分が相続する財産について考えたこともないのでした。

先生は私の家族の人数や親類の有無や叔父や叔母の様子などを聞き、「みんないい人ですか?」と尋ねます。

私が「田舎者ですから大丈夫でしょう」と答えると先生は

田舎者はなぜ悪くないんですか(中略)田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。

それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。

しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。

そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。

平生はみんな善人なんです。

少なくともみんな普通の人間なんです。

それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。

だから油断ができないんです

先生はいつになく強い口調でこう言います。

実体験にもとづいた言葉のようです。

また先生は「私はかつては資産家だったけれど、今はたいしたことはないものになってしまった」とも言います。

先生の過去になにがあったのでしょう。

先生の過去と先生の思想の関連性について知りたくなった私はある日先生にこう言います。

別問題とは思われません。

先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。

二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のないものになります。

私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです

それに対して先生の態度はこうでした。

「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。

「私は過去の因果で、人を疑ぐりつけている。
だから実はあなたも疑っている。
しかしどうもあなただけは疑りたくない。
あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。
私は死ぬ前にたった一人で好いから、他ひとを信用して死にたいと思っている。
あなたはそのたった一人になれますか。
なってくれますか。
あなたははらの底から真面目ですか」

「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」

私の声は顫えた。

「よろしい」と先生がいった。

「話しましょう。
私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。
その代り……。
いやそれは構わない。
しかし私の過去はあなたに取ってそれほど有益でないかも知れませんよ。
聞かない方が増ましかも知れませんよ。
それから、――今は話せないんだから、そのつもりでいて下さい。
適当の時機が来なくっちゃ話さないんだから」

私は大学を卒業する そしてまた故郷に帰る

私は卒業式を迎えました。

卒業式の夜、私は先生の家でご馳走になります。

卒業式の晩は先生の家で一緒にお祝いをするというのが前々からの先生と奥さんとの約束だったのです。

私は卒業したもののこれから何をしようというあてはありません。

先生はすぐに働かなくてもいいけど、今のうちにお父さんから財産をちゃんと貰っておきなさい、と言います。

またその夜、先生と奥さんの間でどちらが先に亡くなるか、という議論が沸き起こります。

何度もその話題をして、そのたびに自分が先に亡くなると言い張る先生に対して奥さんが縁起でもない、と不機嫌になります。

私は故郷に帰ります。

もう卒業したので東京に戻ってくる必要はないのですが、やはり9月にはまた東京に帰ってくる予定でした。

先生と奥さんに暇乞いをしたのちは、故郷の人たちに渡すお土産の買いものにてんてこ舞いでした。

故郷へ向かう汽車の中、父の病状のことを考えます。

先生と奥さんによれば治る病気ではないのですが、父親がいずれ遠くない未来に亡くなる
ということにそれほど感情が動かない私でした。

それよりも残された母親はどうなるだろうとそちらの方に意識が向かうのでした。

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