夏目漱石『それから』あらすじ|夏目漱石のおすすめ小説|前期三部作

初めに

『それから』は大学卒業後三十歳になっても無職のインテリ男性、代助の物語。資産家の実家に毎月の生活費をもらいながら読書や音楽会などの文化的な活動をして遊び暮らす代助。

そんな彼には平岡という就職して京阪地方に赴任した学生時代の親友がいました。

ある時、平岡が東京に戻ってきます。平岡は会社の横領事件に巻き込まれ、職を失い、しかも借金を背負っていました。

学生時代は唯一無二の親友だった平岡は、社会にもまれて別人のようになり、代助とは話が合わなくなっています。

そして平岡の妻、三千代の体調が悪そうです。

代助は三千代を彼女が平岡と結婚する前から知っていて、平岡との結婚祝いに彼女に指輪を送ったような仲でした。代助の三千代への思いは「親友の奥さん」というものをはるかに超えていました。

そう、代助は彼女が平岡に嫁ぐ前から三千代を自覚なしに愛していたのです。

しかしかつての代助は、友情のために、三千代を平岡に譲ってしまったのでした。

そして今、平岡と心が離れたときに自分が三千代を愛していたことに改めて気が付きます。

そんな代助がとった行動は……

芸者遊びをして女性慣れをしていて、親の金で優雅にくらす高等遊民。

高い知性を誇り、世の中を斜に見ている。

そんな一見すれた男である、代助は結婚しても決してメリットもないような女性との純愛をつらぬきます。

花の描写なども多いロマンチックなラブストーリーです。

あらすじ

無職のインテリ男 代助

代助は無職のインテリ男性。

代助は父親と兄にお金をもらって家には書生と女中さんをおいて暮らしています。

お洒落で感性が鋭すぎるようなところがある男性でした。

朝起きると自分の心臓の音を気にして、身支度に非常に時間をかけます。

ちょっとナルシストのようなところもあります。

其所で叮嚀ていねいに歯を磨いた。

彼は歯並びの好いのを常に嬉しく思っている。

肌を脱いで綺麗に胸と脊を摩擦した。

彼の皮膚には濃こまやかな一種の光沢がある。

香油を塗り込んだあとを、よく拭き取った様に、肩を揺うごかしたり、腕を上げたりする度に、局所の脂肪が薄く漲みなぎって見える。

かれはそれにも満足である。

次に黒い髪を分けた。

油を塗つけないでも面白い程自由になる。

髭も髪同様に細くかつ初々しく、口の上を品よく蔽おおうている。

代助はそのふっくらした頬を、両手で両三度撫なでながら、鏡の前にわが顔を映していた。

まるで女が御白粉おしろいを付ける時の手付と一般であった。

実際彼は必要があれば、御白粉さえ付けかねぬ程に、肉体に誇を置く人である。

彼の尤もっとも嫌うのは羅漢の様な骨骼こっかくと相好そうごうで、鏡に向うたんびに、あんな顔に生れなくって、まあ可よかったと思う位である。

その代り人から御洒落おしゃれと云われても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えている。

代助の家には門野という書生がいます。

単純な男で知性は感じられませんが、肉体労働はよくこなす男なので便利に使っています。

代助は大学を卒業してだいぶたちます。

今年三十歳になるのですが、今日まで仕事をしたことがありません。

仕事以外のボランティア等の社会活動もしていません。

資産家の息子で経済的にはまったく困ってはいないのですが、門野と女中さんはこんな風に代助をうわさします。

「先生は一体何を為する気なんだろうね。小母さん」

「あの位になっていらっしゃれば、何でも出来ますよ。心配するがものはない」

「心配はせんがね。何か為たら好さそうなもんだと思うんだが」

「まあ奥様でも御貰おもらいになってから、緩ゆっくり、御役でも御探しなさる御積りなんでしょうよ」

「いい積りだなあ。僕も、あんな風に一日本を読んだり、音楽を聞きに行ったりして暮していたいな」

「御前さんが?」

「本は読まんでも好いいがね。ああ云う具合に遊んでいたいね」

平岡夫妻

そんな代助の毎日に変化が訪れます。

学生時代の親友平岡が東京にやってきたのです。

平岡は代助の中学時代からの知り合いでした。

二人は特に学校を卒業して後一年間はほとんど兄弟のように親しくつきあっていました。

その時は二人はお互いにすべてを打ち明けてお互いを助け合うことを生きがいにしていたぐらいでした。

大学を卒業して一年後平岡は結婚をしました。

そして勤めている銀行の京阪地方に転勤となりました。

転勤してしばらくは平岡からしょっちゅう手紙が来ました。

しかし次第に手紙のやりとりが少なくなり、三年たった今では連絡を取るのは、年賀状の交換と引越しの知らせぐらいになってしまいました。

しか代助は平岡のことを完全に忘れてしまってしまったわけではなく、時折彼はどうしているだろうと思い出します。

そんな平岡から二週間前から手紙が届きました。

手紙はこんな内容でした。

その手紙には近々当地を引き上げて、御地へまかり越す積りである。

但し本店からの命令で、栄転の意味を含んだ他動的の進退と思ってくれては困る。

少し考があって、急に職業替をする気になったから、着京の上は何分宜しく頼むとあった。

この何分宜しく頼むの頼むは本当の意味の頼むか、又は単に辞令上の頼むか不明だけれども、平岡の一身上に急劇な変化のあったのは争うべからざる事実である。

東京にやってきた平岡と代助は一緒に食事をします。

代助と平岡の話はかみ合いません。

代助は平岡に二三日前に見に行ったニコライの復活祭の話をします。

それは夜の十二時、人々が寝静まったころに始まります。

幾千本のろうそくのともされたすばらしいお祭りを見た後に代助はたった一人、夜の町を歩き、夜桜を見ます。

そのときの幻想的な風景について平岡に語りますが、平岡はあまり興味を持ちません。

平岡は「そんなことをしていられるのは、君がまだ世の中に出ていなくて気楽だからだよ」と馬鹿にしたような態度。

代助は面白くありません。

こんな風に言い返します。

僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思っている。

苦痛があるだけじゃないか

世の中へは昔から出ているさ。

ことに君と分れてから、大変世の中が広くなった様な気がする。

ただ君の出ている世の中とは種類が違うだけだ

代助は平岡の京阪支店に赴任後の話を聞きます。

平岡は赴任後の当初は学んだことを実務にいかそうとしましたが、まだ新人のうちはそんなことはなかなかできません。

平岡が支店長に提案をすると支店長はかえって機嫌を悪くします。

支店長は平岡に青二才に何が分かるものか、というような顔をするのです。

しかし実際は支店長は平岡の言う学問的なことがよく理解できず、自分のよくわからないことを言う平岡が気に入らないのでした。

当初は支店長とぶつかった平岡ですが、次第にそれもなくなりました。

平岡はあえて支店長とぶつかったりせず、周囲と融和するように努めました。

それにつれて支店長の平岡への態度も変わります。

その頃から平岡は仕事や交際が増え、勉強する時間がなくなります。

また勉強がかえって実務の邪魔になるように思われることもありました。

次第に支店長の平岡への信任もあつくなり、支店長は平岡に万事をうちあけるようになりました。

支店長には部下に関という男がいて、相談相手にしていました。

ところがその関が会社のお金を横領して芸者遊びに使ってしまったのです。

それが曝露したので、本人は無論解雇しなければならないが、ある事情からして、放って置くと、支店長にまで多少の煩いが及んで来そうだったから、其所で自分が責めを引いて辞職を申し出た。

ということなのですが、なぜ平岡が責任を負わないといけないのでしょうね。

なにか代助には言えないような事情があるのかもしれません。

平岡は解雇になったばかりでなく、借金まで背負ってしまっています。

平岡は関が使い込んだ金を立て替えておいたというのです。

そして平岡は支店長にその金を借りて埋めたというのですが……

代助はなぜ支店長が関に直接貸さないで平岡を通すのかわからないのですが、なにか深いわけがあるようです。

代助は平岡にそれ以上は聞かないでおきます。

ともかく平岡は現在無職なうえ借金もちになってしまったのでした。

代助が平岡に「これからどうするつもりだい?」と尋ねると、平岡は「君の兄さんの会社に口はあるかい?」と尋ねます。

平岡には妻がいて三千代といいます。

夫婦には子供がいましたが幼くして亡くなりました。

三千代は病気がちで平岡によればもう次の子供は望めないだろうとのこと。

しかし平岡によればこんな大変な時は子供がいないのかえってよい、いや妻もいずに一人身のほうが気楽でよい、ということでした。

代助の家族

代助の父は長井得といって明治維新の時に戦争に出た経験のあるような老人です。

今も元気に生きています。

明治維新後は役人になったのですが、それをやめた後、実業界に入り成功します。

ここ十数年でかなりの財産家になりました。

代助には兄がいて誠吾といいます。

学校を卒業後すぐに父の関係している会社へ入って、今ではそこの重役です。

誠吾には梅子という妻がいました。

誠吾と梅子には二人の子供がいて上は男の子で十五歳(誠太郎)下は女の子で十二歳(縫)といいます。

代助には姉もいましたが、彼女は外交官に嫁いで今は西洋にいます。

ちょっとしたエリート家系ですね。

代助の家は夏目漱石のほかの小説と比べても比較的裕福で成功しているといえるでしょう。

代助と外交官に嫁いだ姉を除いてはみな長井家の本家で一緒に暮らしています。

代助は無職ですから、月に一度は必ず本家にお金を貰いにいきます。

月に一度お金を貰いに行くとき以外にも退屈すると遊びにいきます。

本家で二人の子供をからかったり、書生と五目並べしたり、嫂の梅子と芝居の批評をしたりするのだとか……

本当にのんきな男です。

代助は嫂の梅子が好きでした。

梅子はわざわざフランスの高価な織物を取り寄せて帯に仕立てたり、西洋の音楽が好きで自分もピアノを弾いたりする西洋趣味をもつ女性です。

しかし易断を非常に信用する、という迷信深い面ももっています。

歌舞伎も大好きなようです。

誠太郎と縫もいかにも子供らしいかわいらしい面白い子です。

兄は仕事や社交でいそがしく不在がちです。

代助と兄の関係は表面的なものでした。

二人はいつも会うと新聞で読んだことがあるようなあたりさわりのない会話をします。

代助は嫂と甥と姪には大変好かれています。

兄には微妙なところでした。

自分が兄にどう思われているのかは代助にはちょっとわかりません。

代助が一番苦手なのが父親でした。

昔気質のお爺さんで、代助には自分の青年時代と代助の現在を混同しているように見えました。

代助は子供のころ非常な癇癪もちで十八九、のときは父親と取っ組み合いになったこともあるのですが、今はだいぶ落ち着いています。

父親はこれは自分の教育の結果だと思っていますが実際は違うのでした。

代助は今では父との間に何の情愛を感じていないのです。

父親は代助にしょっちゅうかつて自分が戦争に行ったことを自慢します。

そして代助は戦争にいったことがないからだめだ、と言うのでした。

また代助の父の考え方を表すエピソードして次のようなものがあります。

子供の時、親爺の使嗾しそうで、夜中にわざわざ青山の墓地まで出掛けた事がある。

気味のわるいのを我慢して一時間も居たら、たまらなくなって、蒼青まっさおな顔をして家へ帰って来た。

その折は自分でも残念に思った。

あくる朝親爺に笑われたときは、親爺が憎らしかった。

親爺の云う所によると、彼と同時代の少年は、胆力修養の為め、夜半に結束して、たった一人、御城の北一里にある剣つるぎが峯みねの天頂まで登って、其所の辻堂で夜明しをして、日の出を拝んで帰ってくる習慣であったそうだ。

今の若いものとは心得方からして違うと親爺が批評した。

父親は何よりも人間にとって度胸が大事と考えているのでした。

代助はそんなのは父親の若い頃のような命のやり取りの激しい野蛮時代には大切だったかもしれないが今の時代ではもっと他の能力のほうが大事だと考えています。

代助は嫂の梅子とこんな風に言って笑ったことがあります

御父さんから又胆力の講釈を聞いた。

御父さんの様に云うと、世の中で石地蔵が一番偉いことになってしまう様だねと云って、嫂と笑った事がある。

父親は代助が無職でぶらぶらしていることが気に食わない様子です。

父親は代助にこう言います。

そう人間は自分だけを考えるべきではない。

世の中もある。

国家もある。

少しは人の為に何かしなくっては心持のわるいものだ。

御前だって、そう、ぶらぶらしていて心持の好い筈はなかろう。

そりゃ、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んでいて面白い理由がない。

学んだものは、実地に応用して始めて趣味が出るものだからな

父は「代助に別に金を稼がなくてもよい。金は今迄どおり援助してやるから何か社会活動をしなさい」と言います。

代助はただ「そうですね」と言ってのらくら対応します。

代助がお説教を適当にやりすごしていると話は終わり、父はどこかへ出かけてしまいました。

代助の父の若い頃の逸話

代助は嫂につかまり話しかけられます。

嫂も「あなたいつまでも遊んで食べていちゃよくないわ」というようなことを言うのですが、話の最期に代助に縁談を持ち出すのでした。

縁談の相手は長井家に因縁のある女性でした。

代助の父には兄がいました。

直記といって代助の父とはたった一つ違いです。

二人は仲の良い兄弟で武術の稽古もいつも一緒に出かけて、読書もいつも同じ灯の下だったぐらいでした。

ちなみに代助の父はまだ少年で幼名は誠之進といいました。

直記十八歳、誠之進十七歳の秋でした。

二人が城下外のお寺に親の使いで行ったときでした。

帰り道、知り合いに出くわします。

日頃から近所で評判の悪い乱暴ものです。

その時その男はだいぶ酒気をおびていて言い争いになり、直記を斬りつけました。

直記、誠之進は対抗しているうちに相手を滅茶苦茶に切ってしまいました。

相手は息絶えます。

当時の習慣でこんなことになれば、命を奪ったほうが切腹をしなければなりませんでした。

直記も誠之進もその覚悟で家に帰ってきました。

父も話を聞いて覚悟を決め、二人に訓戒を与えたり、切腹をする座敷を準備していたりします。

ちょうどその時二人の母が親戚の高木家に出かけていました。

直記、誠之進の父は息子が切腹するために母に一目合わせてやりたいと思って、高木家に使いをやります。

高木家は当時藩内で力をもつ家でした。

高木家の人が、長井家の息子たちにおこった事情を聴くと「なにも急いで切腹する必要はない、何か上から言われない限りそのままにしておきなさい」とアドバイスします。

当時は幕末で侍の掟も昔に比べて厳重に行われなくなっていました。

また相手は日頃評判の悪い無頼漢の青年です。

高木は家老を説きつけて、それから家老を通して藩主を説きつけました。

亡くなった若者の親も、息子の日頃からの乱暴ぶりはよく知っていたので、長井家の息子たちを寛大に処分する運動に対してとくに苦情を出しませんでした。

兄弟はしばらく自宅で謹慎したのち、二人とも人知れず家を出ました。

三年後、兄直記は京都で浪士に命を奪われました。

そして四年後、明治となりました。

明治五、六年頃、誠之進は両親を国元から呼び寄せます。

そして妻を迎え、名前も「得」に改めました。

その後、役人になったわけですが、こんどの代助の縁談の相手というのは代助の父と兄を助けてくれた高木家の子孫なのです。

兄嫁は「お貰いなさいよ因念つきぢゃありませんか」と言いますが代助は

先祖の拵こしらえた因縁よりも、まだ自分の拵えた因縁で貰う方が貰い好い様だな

と言います。

代助の念頭にはある女性の姿がありました。

三千代

代助の世話(代助が書生に探させたのです)で平岡は東京での住まいを見つけて、明日にでも宿から移ることになります。

その間に代助は二回平岡の宿を訪ねましたが、そこで会った平岡の妻三千代は青白い顔をして平岡に叱られていました。

夫婦には不幸の影がつきまとっているように見えます。

さて代助と三千代はちょっと特別な関係です。

代助は三千代のことをかつて奥さんと言ったことが一度もありません。

いつも「三千代さん」と結婚前からの呼び方で呼んでいます。

三千代のことを思い出して代助はしたたかに酒を飲みこうつぶやきます。

あの時は、どうかしていたんだ

三千代はこんな女性でした。

色の白い割に髪の黒い、細面ほそおもえてに眉毛まみえの判然はっきり映る女である。

一寸見ると何所どことなく淋しい感じの起る所が、古版の浮世絵に似ている。

こんな寂しげな美女なのですが、

帰京後は色光沢つやがことに可よくないようだ。

始めて旅宿で逢った時、代助は少し驚いた位である。

汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思って、聞いてみたら、そうじゃない、始終こうなんだと云われた時は、気の毒になった。

三千代は東京を出て一年目に産をした。生れた子供はじき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、とかく具合がわるい。

始めのうちは、ただ、ぶらぶらしていたが、どうしても、はかばかしく癒らないので、仕舞に医者に見て貰もらったら、能よくは分らないが、ことに依ると何とかいうむずかしい名の心臓病かも知れないと云った。

もしそうだとすれば、心臓から動脈へ出る血が、少しずつ、後戻りをする難症だから、根治は覚束おぼつかないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来るだけ養生に手を尽した所為せいか、一年ばかりするうちに、好いい案排あんばいに、元気がめっきりよくなった。

色光沢も殆ほとんど元の様に冴々さえざえして見える日が多いので、当人も喜こんでいると、帰る一カ月ばかり前から、又血色が悪くなり出した。

然し医者の話によると、今度のは心臓の為ためではない。

心臓は、それ程丈夫にもならないが、決して前よりは悪くなっていない。

弁の作用に故障があるものとは、今は決して認められないという診断であった。

――これは三千代が直じかに代助に話した所である。

代助はその時三千代の顔を見て、やっぱり何か心配の為じゃないかしらと思った。

三千代は美くしい線を奇麗に重ねた鮮かな二重瞼ふたえまぶたを持っている。

眼の恰好は細長い方であるが、瞳ひとみを据えて凝じっと物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。

代助はこれを黒眼の働らきと判断していた。

三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代のこう云う眼遣めづかいを見た。

そうして今でも善く覚えている。

三千代の顔を頭の中に浮べようとすると、顔の輪廓が、まだ出来上らないうちに、この黒い、湿うるんだ様に暈ぼかされた眼が、ぽっと出て来る。

代助が三千代と知り合いになったのは、今から四五年まえのことで、代助はまだ学生でした。

代助の学友に菅沼という人がいて、代助とも平岡とも親しくつきあっていました。

三千代は菅沼の妹でした。

菅沼はあるとき国元から妹を連れてきて、今までの下宿をひきはらって、二人で住むようになりました。

代助と平岡は菅沼が妹の三千代と一緒に住んでいる家によく遊びにいきました。

まもなく二人は三千代と親しく口をきくようになります。

代助、平岡、菅沼、三千代の四人で家に近い池のほとりを散歩することもありました。

そんなふうにして二年ほど大助、平岡、菅沼、三千代は交際しました。

四人が卒業する年の春でした。

菅沼の母が田舎から遊びに来て菅沼と三千代の家に泊まりましたが、帰る予定の前日に熱をだして入院をして間もなくチフスだとわかりました。

そして母親は亡くなってしまいます。

そしてそれが見舞いに行った菅沼に感染して、菅沼も亡くなってしまいました。

菅沼の母親が亡くなったとき、菅沼が亡くなった時に三千代の父が田舎から出てきて、平岡、代助と知り合いになります。

二人の葬式等を通して平岡、代助、三千代、三千代の父は親しくなったのでしょう。

平岡はその年の秋に三千代と結婚をしました。

代助はそのとき二人の媒酌人を探したりと、二人の結婚のために随分手助けをしました。

結婚してまもなく平岡と三千代の夫婦は東京を去ります。

三千代はいつも指輪をはめています。

その一つは代助が結婚祝いに送ったものです。

一方夫からの三千代への結婚の贈り物は懐中時計なのですが、指輪の方がずっと恋人からの贈り物らしいですよね。

もうこの辺りで後の二人の関係がどうなるかが暗示されているといえるでしょう。

平岡が引っ越しを目前にしたある日、三千代が代助を訪ねてきます。

顔色が悪く痛ましい様子の三千代を見て、代助は昔のように冗談をいったりはできないのでした。

三千代からの借金の依頼

どうして引っ越し前のあわただしいときに来たのですか?と尋ねる三千代に三千代は顔を赤くしてこう言います。

「実は私少しお願いがあって上がったの」

三千代からのお願いとは借金でした。

それは引っ越しや東京での新生活のためのものではありませんでした。

それは京阪に置いてきた借金の一つをかたずけないとその後平岡の就職にもかかわってしまうのでというものでした。

借金の理由を聞いても三千代ははっきりとしたことは答えません。

三千代が病気をした時の費用でもないようです。

代助は園遊会に呼ばれてそれに参加します。

正賓は英国の国会議員で実業家の夫婦です。

社会的地位の高い父と兄をもつ代助はそんな会に出席する機会もあるのでした。

園遊会で兄に会った代助は、兄に三千代から頼まれたお金を借りようとします。

代助は若い頃芸者遊びをしすぎてその金を兄に頼ったことがあります。

そのとき兄はこころよく貸してくれて、一言も小言はありませんでした。

そんな兄だったので期待していたのですが、兄は断ります。

兄によればそんなときもほっとけばなんとかなるといいます。

兄が貸してくれそうもないので今度は平岡を兄の会社で使ってくれないかと頼みますが、

兄は

いや、そう云う人間は御免蒙こうむる。

のみならずこの不景気じゃ仕様がない

とすげない態度です。

代助は自分が平岡の連帯保証人になって借金を負ったら兄は金をくれるだろうか、などと考えます。

代助は平岡の家を訪ねます。

狭苦しい貧弱な家でした。

夜は柱の割れる音がして、戸には必ず節穴があり、襖には狂いがある。

そんな安普請です。

そんな家を代助が訪れて「まだ落ち着かないだろう」と尋ねると平岡は「落ち付く所か、此分じゃ生涯落ち着きそうもない」と言います。

そんな中三千代は亡くなった子供の着物をいじっています。

平岡は

まだ、そんなものを仕舞っといたのか。早く壊して雑巾にでもしてしまえ

と冷たく言い放ちます。

平岡はまだ仕事は見つかっていないとのこと。

お酒が回ってくると平岡と代助はまた、それぞれ働いている立場、働かない立場として議論します。

働いていない代助を批判する平岡に代助はこう反論します。

何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。

つまり世の中が悪いのだ。

もっと、大袈裟おおげさに云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。

第一、 日本程借金を拵こしらえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。

この借金が君何時になったら返せると思うか。(中略)

こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。

悉ことごとく切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。

話をして見給え大抵は馬鹿だから。

自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。

考えられない程疲労しているんだから仕方がない。(後略)

というように自分が働かないのを社会のせいにする代助でした。

嫂に借金を頼む

三千代の父は今事情によって北海道にいきます。

三千代は今心細い境遇にいます。

代助は三千代が安心して東京で暮らせるように何とか手助けしてやりたいと思います。

代助は嫂の手助けを借りようと思いました。

代助は平岡の借金の理由がよくわからないと思っています。

平岡が言うこともちょっとおかしいと考えています。

(たしかに平岡の話によれば関という男がすべて悪いのになぜ平岡が仕事をやめなければいけなくなったのみならず借金を背負わなければならないのでしょう?)

しかし代助はそんなことどうでもよい、ただ三千代の心配を取り除いてやりたいという思いでお金を貸してやろうと考えます。

しかし嫂も簡単には貸してくれません。

「さうね。けれども全体何時返す気なの」

とか

代さん、あなたは不断から私を馬鹿にして御出おいでなさる。

(中略)あなたは一家族中悉ことごとく馬鹿にしていらっしゃる(中略)けれどもね、そんなに偉い貴方が、何故私なんぞから、御金を借りる必要があるの。

可笑おかしいじゃありませんか。

(中略)それ程偉い貴方でも、御金がないと、私みた様なものに頭を下げなけりゃならなくなる

などと言います。

そして結局

貴方には厭よ。

だって余あんまりじゃありませんか。

月々兄さんや御父さんの厄介になった上に、人の分まで自分に引受けて、貸してやろうって云うんだから。

誰も出したくはないじゃありませんか

と貸してくれないのでした。

梅子はこんなことを言って代助を刺激して、就労意欲をわかせるつもりでした。

しかし梅子の話は次第に縁談の話になっていきます。

代助はあまり結婚する気がわかずのらりくらりと答えるので、梅子は「そんなに結婚をいやがるのはほかに好きな女の人でもいるんじゃないの?」と聞きます。

嫂にそう言われたとき代助は不意に三千代という名が浮かびました。

しかたなく家に帰りました。

代助はしばらくぶらぶら暮らします。

平岡からも三千代からも借金のことについて何もいってきません。

そんなある日、文学を志して原稿料で暮らしている友人のところに行きます。

彼も生活は苦しそうでした。

代助が家に戻ってくると梅子から手紙がきていました。

手紙の内容は「やっぱりお金を貸してあげる、これをすぐにお友達のところにとどけてあげなさい。その代わり結婚のことをよく考えるように」というものでした。

手紙の中には二百円の小切手が入っていました。

借金の本当の理由は……?

代助は梅子に感謝の手紙を書くと、さっそく小切手をもって平岡の家に向かいます。

平岡の家に近づくと煙突が汚い煙を吐いていて、代助はそれを見て平岡と三千代の貧弱な暮らしを連想します。

平岡の家につくと、出てきたのは三千代でした。

平岡は不在です。

代助は灯りもつけない暗い部屋で三千代と二人きりになりました。

三千代によると平岡はまだ求職中でした。

しかしこの一週間はあまり外に出かけなくなったそうです。

平岡は疲れたと言って、よく家で寝ているとか……そうでなければ酒を飲みます。

そしてよく怒る。

さかんに人を罵倒するのだそうです。

代助は三千代に嫂からもらった二百円の小切手を渡します。

三千代は「平岡が喜びますわ」と礼を言って受け取ります。

代助が「もしこれで足りなければ高利貸しから借りる」と言うと三千代は止めます。

代助は三千代から借金の理由を聞きました。

三千代が産後病気がちになると、平岡は遊び歩くようになりました。
(おそらく芸者遊びですね)

だんだん遊び方が極端になり、すると三千代が心配で体が悪くなる、すると平岡はさらに遊ぶようになるという悪循環でした。

代助は三千代を慰めます。

結局代助が家を出るまえに平岡は戻ってきませんでした。

三日後平岡が代助を訪ねてきます。

平岡は新品の服を着てとてもハイカラです。

とても求職中とは思えない恰好でした。

平岡はこんなことを言います。

「当分仕事を探したって見つかりそうもない。当分遊び歩くか家で寝ているんだ」

そして大きな声をだして笑います。

借金のお礼はなかなか言いません。

やっと言ったと思ったら

――なに、君を煩わす煩わさないでもどうかなったんだが、彼奴あいつがあまり心配し過ぎて、つい君に迷惑を掛けて済まない」と冷淡な礼を云った。

それから、「僕も実は御礼に来た様なものだが、本当の御礼には、いずれ当人が出るだろうから」とまるで三千代と自分を別物にした言分であった。

人が金を貸してやったというのに、なかなか礼を言わない。

しかも、やっと礼を言ったと思ったら「別に借りなくてもよかったんだけどね。仕事はみつからないから、しばらく遊び歩くか家で寝ているつもりだ。ハハハハハ!」みたいな言い方なのです。

しかもこのお洒落な服装はおそらく代助が貸した金で揃えたものでしょう。

帰りがけに平岡は新聞社に就職口がありそうだと言います。

先ほどは当分就活してもダメそうだといったと思ったら、今度は就職口がある、と言うのです。

平岡の話は要領を欠いていましたが、代助は「それもよさそうだね」と適当に話を合わせました。

代助はかつては親友だった平岡と完全に心が離れてしまったことに気が付きます。

あれほどお互いに助け合っていた平岡に今の代助は嫌悪感を感じるのでした。

そしてなぜかつての自分は平岡と三千代を結婚させようとしたのだろうと思います。

代助の縁談

代助は父親に呼ばれます。

行ってみると父は代助にこう聞きます。

「御前はこれから先いったいどうするつもりなんだ?」

特に何も考えていない代助は答えられません。

かといって嘘をつくのもはばかられました。

父は次に

独立の出来る丈の財産が欲しくはないか?

と尋ねます。

代助が勿論ほしいと答えると、父はそれだったら例の長井家と因縁のある娘と結婚したらよいだろう、と言います。

その財産はその娘がもってくるのか、父が結婚のお祝いにくれるのかはわかりませんでした。

次に父は洋行はしたくないか? と代助にたずねます。

しかし父によると洋行にはまずその娘との結婚が必要だと言います。

代助が「そんなに僕がそのお嬢さんと結婚するのが必要なのですか?」と尋ねます。

父はついに怒り出します。

父は「別に家のためにその娘と結婚させたいわけではないと言います。別に好きな女がいるならその女と結婚したっていい。おまえもう三十歳じゃないか、いい加減結婚してくれなかったら世間体が悪い……」などと言います。

どうやら父親は、因念つきの娘と自分の息子を結婚させることは二の次で、それよりも代助になんとか身を落ち着けてほしいようなのです。

そこまで代助に結婚してもらいたいのは息子への愛情もあるでしょうし、世間体もあるでしょう。

財産や洋行……というのは今時の若者が喜びそうなことを言って結婚させるためのあの手この手なのでしょうか?

ちょっといたれりつくせりすぎて一般人から見たら、代助のお坊ちゃんぶりは別世界すぎますね。

財産をあげるから、洋行させてあげるから結婚しなさい、というのはまるでおもちゃやお菓子を買ってあげる〇〇しなさい…… と小さな男の子に言っているようです。

父親はまだ代助を子ども扱いしているのです。

代助と三千代

しばらくして三千代がまた代助を訪ねてきます。

三千代が訪ねてきたとき代助は昼寝中でした。

そこで三千代は書生の門野に、買い物をしてからまた来ると言って、出ていきました。

昼寝から目覚めた後それを門野から聞いた代助は三千代が来るときくとそわそわしだします。

読書も手につきません。

再びやってきた三千代は心臓が悪いうえに沢山歩いて疲れたのでしょうか?

苦しそうです。

すぐにでも水が飲みたそうです。

代助は門野や女中さんに客をもてなすために水や菓子を出させるようにしますが、二人とも準備が悪くすぐに出てきません。

待っている間に三千代はスズランをつけていた水を飲みます。

三千代は代助の家の周りの方が自分の家の近所よりも物価が安いから買い物に来て、そのついでに代助の家に寄ったのでした。

三千代は心臓が悪く、すこし急いだりするとすぐに苦しくなってしまうそうです。

そしてこの病気が完治する見込みはもうなさそうでした。

三千代はおみやげに百合の花をもってきていました。

甘ったる強い香りのなか、三千代と差し向いに座っていると代助はあやしい気分になります。

そして

「そう傍で嗅いじゃ不可いけない」

「あら何故」

「何故って理由もないんだが、不可ない」

そして三千代は「あなた、何時から此花がお嫌になったの」と質問します。

三千代によるとまだ三千代の兄が生きている頃に、代助が百合の花をもって三千代と兄の家を訪れたというのです。

そしてその時は代助も百合の花に鼻をつけて嗅いでいたというのです。

二人は雨の降る中二人は並んで庭を眺めています。

三千代は時折代助からもらった指輪を眺めたり……

ロマンチックな雰囲気の中、代助は三千代に平岡の就職のことを聞きます。

平岡は新聞社に就職が決まったそうです。

こんどは代助は借金のことを聞きます。

「あれで例の借金は解決できましたか?」

三千代は赤くなります。

平岡と三千代は代助の貸したお金で借金を解決しませんでした。

結局生活費に使ってしまい今はすっかりなくなってしまい、借金はそのままだとのこと。

三千代は「あなたをだましたわけではないのよ、本当にごめんなさい」とすまなそうに謝ります。

代助は「あれは貴女にあげたのだからそうすまなく思わなくてもよい」と優しく答えます。

とりわけ「貴女」という言葉を強調して……

縁談が進む

季節が夏に向かいます。

相変わらず代助は毎日ぶらぶらしています。

暇なためか彼の持つ教養のためか感覚が鋭敏になりすぎてちょっと気分がおかしくなりそうです。

そんな時代助はこう思います。

良ややあって、これほど寐入ねいった自分の意識を強烈にするには、もう少し周囲の物をどうかしなければならぬと、思いながら、室の中をぐるぐる見廻した。

それから、又ぽかんとして壁を眺めた。

が、最後に、自分をこの薄弱な生活から救い得る方法は、ただ一つあると考えた。

そうして口の内で云った。

「やっぱり、三千代さんに逢わなくちゃ不可いかん」

平岡から新聞社への就職が決まったとの便りが届きます。

ある朝実家から迎えが来ます。

実家からよこされた人力車にのって実家につくと、代助は嫂と姪と一緒に歌舞伎座に行くように誘われます。

代助はその芝居はもう見たのですが、暇人ですからついていくことにしました。

最初は代助、嫂、姪と三人で芝居鑑賞をしていたのですが、後程兄もやってきます。
(当時の歌舞伎鑑賞はものすごい長時間だったのですね)

兄は見覚えのある男をつれてきていましたが、その男は若い女性を連れていました。

その若い女性は代助と縁談のある娘だったのです。

今日の芝居見物は最初から代助とこの娘を合わせることに目的があったのでしょう。

代助は兄や嫂がこんなことをするなら今後二人と疎遠にしないとならないな、などと考えます。

芝居見物は夜11時近くまで続き、代助は他の人たちと別れて、一人家に向かいました。

華やかな劇場と対照的な三千代のことが思い出され、そのほうが華やかな世界よりも自分の心情にぴったりくると思ったのでした。

ある日代助が散歩から帰ってくると家に甥の誠太郎がいました。

誠太郎は父(代助の兄の誠吾)に言われて代助を呼びに来たのでした。

「明日の十一時迄に来てくれ」といわれます。

代助は用事も言わずに一方的に来いなんてひどいじゃないか、と思い、誠太郎に「おじさんは旅行に出るつもりだから行かない、とお父さんに伝えてくれ」と言いつけます。

代助は兄の言う通りに実家に行けば花嫁候補に会うことになると感づいたのでしょうか?

誠太郎が帰り次第、すぐに旅行の準備を始めます。

その時はこんな切羽詰まったような心境でした。

庭を見ると、生垣の要目の頂に、まだ薄明るい日足がうろついていた。

代助は外を覗きながら、これから三十分のうちに行く先を極めようと考えた。

何でも都合のよさそうな時間に出る汽車に乗って、その汽車の持って行く所へ降りて、其所で明日まで暮らして、暮らしているうちに、又新らしい運命が、自分を攫いに来るのを待つ積りであった。

夕方に発とうという直前にふと気が変わります。

旅行はとりやめて三千代に会いに行きます。

平岡は留守でした。

三千代の指には代助が送った指輪がありません。

質にいれてしまったようです。

平岡の就職が決まったといえ、まだ借金が沢山あるのですから経済的に苦しいのでしょう。

代助は

指環を受取るなら、これを受取っても、同じ事でしょう。

紙の指環だと思って御貰いなさい

と持っているお金を数えもせずにごそっと三千代にあげてしまいます。

三千代の役に立てた、そういう思いからでしょうか? 代助は満ち足りた思いで、家に戻ります。

その夜は久しぶりに安らかな眠りにつくことができました。

翌朝目が覚めるともうすっかり日が高くなっています。

書生の門野に「お兄さんがいらっしゃいましたよ」と呼ばれます。

兄が代助を呼んだのはやはり縁談でした。

今日のお昼、家族で代助の花嫁候補の娘とその叔父と午餐をすることになっていたのです。

しかし誠太郎がもってきた答えが「代助が旅に出る」というものだったので、嫂はおろおろします。

しかし兄は代助の行動が遅いのを知っているので、「まだ旅に出ているはずはない、旅に出る前につかまえてやろう」とやってきたのでした。

代助は結局、午餐に出席します。

代助の父と花嫁候補の叔父の会話はあまり盛り上がらないのですが、誠吾が如才なくあたりさわりのない世間話をして、うまく場をつなげます。

縁談相手の令嬢は大人しい女性でした。

聞かれたら答えるだけで特に会話を広げようとする努力は見られません。

芝居も小説も興味がない、理由は外国人のピューリタンの女性の家庭教師の影響だといいます。

しかし「では英語は得意でしょう?」と聞かれると、いいえ、と答えます。

まちがっても才女とは言えませんが、鳶色の大きな瞳をした美少女です。

客が帰った後、父、兄、嫂、代助で花嫁候補とその叔父の批評をします。

父、兄、嫂は「あれなら結婚してもいいじゃないか」という結論を出します。

代助は「そうですな」と肯定とも否定とも取れない返事をします。

午餐の四日後代助は嫂と花嫁候補と叔父を送りに行きます。

二人を見送った後、代助はこのまま放っておけば縁談はどんどん進んでしまうだろうな、と思います。

代助はどうしようかと考えます。

代助は今まで散々家族がもってきた縁談を断っているのです。

また断ったら今度は愛想をつかされるか、父や兄の怒りを買うでしょう。

もし愛想をつかされるのならかまいませんが、怒りを買い、経済的援助を受けられなくなったら、今のような暮らしは続けられなくなります。

代助はこのときにはすでに三千代への恋心をはっきり意識していました。

もし馬鈴薯ポテトーが金剛石ダイヤモンドより大切になったら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考えていた。

向後こうご父の怒に触れて、万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石ダイヤモンドを放り出して、馬鈴薯ポテトーに噛かじり付かなければならない。

そうしてその償いには自然の愛が残るだけである。

その愛の対象は他人の細君であった。

代助は気が急いて好きな読書も楽しめない状況です。

発作的に家を飛び出し夜遊びをします。

代助は翌朝一度家に戻り、身なりを整えるとまた三千代を訪ねます。

三千代は代助からもらった指輪を取り戻していました。

先日代助があげたお金で取り戻したのでしょう。

三千代はまだ夫に、この前代助が金をくれたことを話していないようです。

代助は平岡夫婦が上京した時にすでに感じ取っていたのですが、彼らの関係は良好とはいえないものになっていました。

彼はこの結果の一部分を三千代の病気に帰した。

そうして、肉体上の関係が、夫の精神に反響を与えたものと断定した。

又その一部分を子供の死亡に帰した。

それから、他の一部分を平岡の遊蕩に帰した。

又他の一部分を会社員としての平岡の失敗に帰した。

最後に、残りの一部分を、平岡の放埒から生じた経済事状に帰した。

夫婦の愛情は途絶えていましたが、それよりもともかく今の三千代の一番困っていることは平岡がまともに生活費をいれないことでした。

そして三千代は北海道にいる父からもあまりよくはない便りを受け取っていました。

手紙には向うの思わしくない事や、物価の高くて活計くらしにくい事や、親類も縁者もなくて心細い事や、東京の方へ出たいが都合はつくまいかと云う事や、――凡て憐あわれな事ばかり書いてあった。

代助は叮嚀ていねいに手紙を巻き返して、三千代に渡した。

その時三千代は眼の中に涙を溜めていた。

「貴方は羨ましいのね」と青白い顔でさびしそうに言う三千代と向き合っているうちに代助は自分と三千代の間の愛を確信します。

はっきりと愛の言葉をお互いに交わすことはありませんでしたが、あと少しでそんなことを言ってしまいそうだ、という瀬戸際で代助は家を出ます。

そして家を出てから、先程もう自然の命ずるままにお互いに言いたいことをいえばよかったと後悔をします。

代助は、自分と三千代は、この前三千代を訪ねてお金をあげたときに恋人になっていたのだ、と思います。

そして代助は三千代のことをずっと過去にさかのぼって考えます。

そして代助はもう三千代が平岡に嫁ぐ前に二人は愛し合っていたことに気が付き愕然とするのでした。

代助は、平岡に三千代にちゃんと生活費を渡すように説得しよう、と思い平岡を訪ねます。

平岡の勤めている新聞社に行きます。

平岡と話すことができましたが、もし経済的なことを言ったら三千代に迷惑がかかる、という思いから、結局あまり意味のない会見となってしまいました。

代助は平岡の「家には帰ったり帰らなかったなり」「家にいたっておもしろくない」という言葉から夫婦の仲が冷め切っていることを伺い知ります。

代助の決断

代助はこれからどうするかぐるぐると悩みます。

そして少しでも前に進めるためにまず縁談を断ることにしました。

実家に行って、嫂に「あの縁談は断ってください」と言います。

嫂は縁談を断ってばかりの代助に「そんなことを言っていたらあなたが気に入るお嫁さんなんかどこにもいないじゃないですか!」と激高します。

その時代助は

「姉さん、私は好いた女があるんです」

と深刻な様子で打ち明けます。

そして父親には会わずに実家を出ます。

代助はこんなことを嫂に言ったからには近いうちに父や兄から呼び出されるだろうと予感します。

その前に三千代に愛を打ち明けようと思い、三千代を家に呼びました。

三千代が来るのを待つ間、家に百合の花を沢山飾ったのです。

三千代を待ちながら甘い香りの中こうつぶやきます。

「今日始めて自然の昔に帰るんだ」

さてついに三千代がやってきました。

三千代は呼ばれた理由をなんとなくわかっていたようで緊張した面もちです。

二人は過去の話をします。

三千代は代助の学生時代の友人の妹とだったわけですが、代助が現在考えてみると、三千代の兄は三千代と代助を結びつけようと考えていたのではないかと思われるのです。

しばらく昔話をした後、代助はとうとう三千代に愛を打ち明けました。

僕の存在には貴方が必要だ。

どうしても必要だ。

僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」

三千代は涙をぽろぽろ。

僕はそれを貴方に承知して貰いたいのです。

承知して下さい」

三千代はまたぽろぽろ。

「あんまりだわ」と答えます。

三千代も代助が好きだったのでしょう。

しかしそんなこと平岡と結婚した今になって言われてもしかたがないのです。

三千代「打ち明けて下さらなくってもいいから、何故、何故捨ててしまったのです(なぜ私がお嫁に行く前に結婚を申し込んでくれなかったのです?)」

代助「僕が悪い。堪忍して下さい」

三千代「残酷だわ」

代助「でも僕はそれだけの罰を受けています、あなたが結婚してから三年以上になりますが、僕は独身でいます。家族から何度も結婚を勧められていますが、僕はみんな断ってしまいました。その結果僕と父の間の関係が悪くなるかもしれません。それはあなたから僕への復讐です」

三千代「そんな……私は平岡と結婚してから、いつもあなたに早くお嫁さんをもらってほしいと思っています」

代助はこう答えます。

いや僕は貴方に何処どこまでも復讎して貰いたいのです。

それが本望なのです。

今日こうやって、貴方を呼んで、わざわざ自分の胸を打ち明けるのも、実は貴方から復讎されている一部分としか思やしません。

僕はこれで社会的に罪を犯したも同じ事です。

然し僕はそう生れて来た人間なのだから、罪を犯す方が、僕には自然なのです。

世間に罪を得ても、貴方の前に懺悔する事が出来れば、それで沢山なんです。

これ程嬉うれしい事はないと思っているんです

三千代は代助に「もうあやまらなくて結構、ただもう少し早く言って下さると……」と言います。

代助は「それじゃ僕が生涯黙っていたほうがあなたは幸福だったのですか?」と聞きます。

三千代は「そうじゃないのよ、私だってあなたがそう言ってくださらなければ、生きていられなくなったかもしれないわ」

代助は相思相愛だったことを知ります。

代助が「じゃあ構わないでしょう?」と尋ねると三千代は「でも平岡にすまないわ」言います。

代助が三千代に「三千代さん、正直に云って御覧。貴方は平岡を愛してゐるんですか」「平岡は貴方を愛してゐるんですか」と尋ねると三千代は否と答えます。

代助はこう言います。

「仕様がない。覚悟を極めませう」

その日は代助は三千代を家まで送りました。

未来への予感

代助はまた実家から呼び出されました。

今度は父から呼び出されたのです。

父が話すのは縁談の話でした。

父としてはあの娘の家は地主で、実業家としてはああいう親戚がひとりは欲しいというのです。

代助は断ります。

父は「じゃあなんでもお前の勝手にするがいいさ、そのかわりもうお前の世話はせんから」と不機嫌です。。

代助はもうじき実家からの仕送りがなくなることを覚悟します。

何か仕事をもたなければ、とは思うのですが、何をするのか思いつかないのでした。

もし三千代と一緒になれても、経済的な問題を考えると気分が沈みます。

代助は三千代を訪ねます。

代助の愛の告白を受けてからの三千代は微笑みと輝きに満ちていました。

代助は代助の状況をしらない三千代に申し訳ないと思います。

代助はたびたび三千代を訪ねますが、いつも三千代は幸せそうでした。

その時の三千代のいきいきとした美しさは、代助の愛の告白を受ける前の陰気臭い三千代とは別人のようでした。

「その後貴方と平岡との関係は別に変りはありませんか」

三千代はこの問を受けた時でも、依然として幸福であった。

「あったって、構わないわ」

「貴方はそれ程僕を信用しているんですか」

「信用していなくっちゃ、こうしていられないじゃありませんか」

代助はこれから三千代に自分が物質的に困るであろうことを話します。

三千代はそんなこと覚悟はできていると言います。

三千代はもう何が起こっても構わないという口ぶりでした。

三千代によれば自分はもうそんなに長く生きられる体ではないのだから、何が起こってもかまわない、と言います。

代助はすこしぞっとして、彼女がヒステリーの発作に襲われたのではないかと疑います。

代助は平岡に三千代のことを話す決意をします。

平岡に会いたいという手紙を出しますがなかなか返事がきません。

そんなことをしながら、これからもう仕送りがもらえなくなるのを考えて、蔵書を売るために古本屋と連絡をとったり、仕事について考えたりします。

返事がなかなかこないので代助はしびれを切らせます。

書生の門野を平岡の家に使いにやって手紙の返事について聞いてこさせました。

平岡の返事は「明日会いに行く、ほんとうはもっと早く会う日を設定したかったが、家に病人がでたので遅くなった」というもの。

その病人とは三千代のことでした。

その日代助は嫂から手紙を受け取ります。

嫂は代助を心配して小切手を送ってくれていたのでした。

翌日平岡がやってきます。

代助はまず平岡に三千代の病気の様子を聞きました。

平岡によれば、この前三千代が代助のところに来た翌朝、三千代は出勤まえの夫の着替えの世話をしているところ卒倒したのでした。

その後三千代は意識を取り戻します。

しかし顔色がひどく悪く、医者には強い神経衰弱にかかっていると言われます。

平岡が会社を休んで看護をするようになってから、三千代が涙をながして平岡にこう言ったとか……

「あなたにあやまらなければならないことがある。そのことは代助さんのところに行って聞いてください」

君の用事と三千代の云う事と何か関係があるのかい」

そういう平岡に代助はついに三千代のことを打ち明けました。

平岡は「そんなことになるなら、なぜ三年前自分と三千代の仲を取り持ったりしたんだ! こんなことになるぐらいならそんなことしてくれなければよかったじゃないか」と代助につめよります。

「君は三年前の事を覚えているだろう」と平岡は又句を更かえた。

「三年前は君が三千代さんと結婚した時だ」

「そうだ。その時の記憶が君の頭の中に残っているか」

代助の頭は急に三年前に飛び返った。

当時の記憶が、闇を回めぐる松明たいまつの如ごとく輝いた。

「三千代を僕に周旋しようと云い出したものは君だ」

「貰いたいと云う意志を僕に打ち明けたものは君だ」

「それは僕だって忘れやしない。今に至るまで君の厚意を感謝している」

平岡はこう云って、しばらく冥想していた。

「二人で、夜上野を抜けて谷中やなかへ下りる時だった。雨上りで谷中の下は道が悪かった。博物館の前から話しつづけて、あの橋の所まで来た時、君は僕の為に泣いてくれた」

代助は黙然としていた。

「僕はその時程朋友を難有ありがたいと思った事はない。嬉しくってその晩は少しも寐られなかった。月のある晩だったので、月の消えるまで起きていた」

「僕もあの時は愉快だった」と代助が夢の様に云った。

それを平岡は打ち切る勢で遮さえぎった。

「君は何だって、あの時僕の為に泣いてくれたのだ。なんだって、僕の為に三千代を周旋しようと盟ちかったのだ。

今日の様な事を引き起す位なら、何故あの時、ふんと云ったなり放って置いてくれなかったのだ。

僕は君からこれ程深刻な復讎かたきを取られる程、君に向って悪い事をした覚がないじゃないか」

代助はその時は自分はまだ若くて友のために自分を犠牲にすることに酔っていたと答えました。

平岡は代助に三千代をやる、と認めます。

しかし三千代は今病気だからすぐにやることはできない、と言います。

また平岡はこんなことになった以上、俺とおまえは絶交だ、と言います。

すなわち代助は三千代の病気が治り、平岡が三千代を代助に引き渡すときがくるまで三千代に会えなくなりました。

それを聞いた代助は興奮気味にこう言います。

「あっ。解った。三千代さんの死骸だけを僕に見せる積りなんだ。それは苛ひどい。それは残酷だ」

代助は洋卓の縁を回って、平岡に近づいた。

右の手で平岡の脊広の肩を抑えて、前後に揺りながら、「苛い、苛い」と云った。

平岡はそんなつもりはない、落ち着け、と代助をなだめます。

もちろん怒ってはいるでしょうが平岡の方が代助より冷静なのでした。

代助は平岡から三千代をもらう約束をしました。

しかしそれは三千代の病気が治ってからのことです。

またこれより、代助と平岡は絶交状態になり、平岡が代助に三千代を引き渡すその時になるまで、三千代に会うこともできないのでした。

代助はこっそり平岡と三千代の家を訪ねます。

家から誰から出てきたら三千代の病状を尋ねようと思いましたが、誰も出てこないのでした。

代助は三千代が命の危機に瀕しているのではないかという妄想にとりつかれます。

そんな不安な状態にいるとき、代助の兄の誠吾が訪ねてきました。

兄は平岡が代助の父に送った手紙を代助に見せます。

そこには代助と三千代の関係について書かれていました。

兄はかんかんです。

「まあ、どう云う了見で、そんな馬鹿な事をしたのだ」(中略)

「どんな女だって、貰もらおうと思えば、いくらでも貰えるじゃないか」(中略)

「御前だって満更道楽をした事のない人間でもあるまい。こんな不始末を仕出かす位なら、今まで折角金を使った甲斐かいがないじゃないか」
(中略)
「姉さんは泣いているぜ」
(中略)
「御父さんは怒っている」

今日はおれは御父さんの使に来たのだ。

御前はこの間から家へ寄り付かない様になっている。

平生なら御父さんが呼び付けて聞き糺ただす所だけれども、今日は顔を見るのが厭だから、此方こっちから行って実否を確めて来いと云う訳で来たのだ。

それで――もし本人に弁解があるなら弁解を聞くし。

又弁解も何もない、平岡の云う所が一々根拠のある事実なら、――御父さんはこう云われるのだ。

――もう生涯代助には逢わない。

何処へ行って、何をしようと当人の勝手だ。

その代り、以来子としても取り扱わない。

又親とも思ってくれるな。

――尤もっともの事だ。

そこで今御前の話を聞いてみると、平岡の手紙には嘘うそは一つも書いてないんだから仕方がない。

その上御前は、この事に就て後悔もしなければ、謝罪もしない様に見受けられる。

それじゃ、おれだって、帰って御父さんに取り成し様がない。

御父さんから云われた通りをそのまま御前に伝えて帰るだけの事だ。

「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。

代助は俯向うつむいたまま顔を上げなかった。

「愚図だ」と兄が又云った。

「不断は人並以上に減らず口を敲く癖に、いざと云う場合には、まるで唖の様に黙っている。そうして、陰で親の名誉に関かかわる様な悪戯いたずらをしている。今日こんにちまで何の為に教育を受けたのだ」

代助は自分のしたことがまちがっているとは全く思っていません。

そしてそのことを理解してくれるのはこの世に三千代ただ一人でもよいと思っているのです。

代助はおそらく結婚しても自分に何もメリットのないような病弱な女性との愛に生きるために、今時分の持っているものをすべて捨ててもよいと思っているのです。

しかしそんな代助の純愛は父、兄、には理解の範疇外でした。

父や兄からみれば、代助の行為は「悪戯いたずら」の一言でかたづけられてしまうのです。

「おれも、もうお前には会わないから」と兄は言い捨てて家を出ていきます。

兄の去った後、代助はしばらく呆然としたあと急に立ち上がって書生にこうつぶやきます。

門野さん。僕は一寸職業を探して来る

代助はそのまま炎天下の真夏の町に飛び出したのでした。