夏目漱石『それから』あらすじ

代助の家族

代助の父は長井得といって明治維新の時に戦争に出た経験のあるような老人です。

今も元気に生きています。

明治維新後は役人になったのですが、それをやめた後、実業界に入り成功します。

ここ十数年でかなりの財産家になりました。

代助には兄がいて誠吾といいます。

学校を卒業後すぐに父の関係している会社へ入って、今ではそこの重役です。

誠吾には梅子という妻がいました。

誠吾と梅子には二人の子供がいて上は男の子で十五歳(誠太郎)下は女の子で十二歳(縫)といいます。

代助には姉もいましたが、彼女は外交官に嫁いで今は西洋にいます。

ちょっとしたエリート家系ですね。

代助の家は夏目漱石のほかの小説と比べても比較的裕福で成功しているといえるでしょう。

代助と外交官に嫁いだ姉を除いてはみな長井家の本家で一緒に暮らしています。

代助は無職ですから、月に一度は必ず本家にお金を貰いにいきます。

月に一度お金を貰いに行くとき以外にも退屈すると遊びにいきます。

本家で二人の子供をからかったり、書生と五目並べしたり、嫂の梅子と芝居の批評をしたりするのだとか……

本当にのんきな男です。

代助は嫂の梅子が好きでした。

梅子はわざわざフランスの高価な織物を取り寄せて帯に仕立てたり、西洋の音楽が好きで自分もピアノを弾いたりする西洋趣味をもつ女性です。

しかし易断を非常に信用する、という迷信深い面ももっています。

歌舞伎も大好きなようです。

誠太郎と縫もいかにも子供らしいかわいらしい面白い子です。

兄は仕事や社交でいそがしく不在がちです。

代助と兄の関係は表面的なものでした。

二人はいつも会うと新聞で読んだことがあるようなあたりさわりのない会話をします。

代助は嫂と甥と姪には大変好かれています。

兄には微妙なところでした。

自分が兄にどう思われているのかは代助にはちょっとわかりません。

代助が一番苦手なのが父親でした。

昔気質のお爺さんで、代助には自分の青年時代と代助の現在を混同しているように見えました。

代助は子供のころ非常な癇癪もちで十八九、のときは父親と取っ組み合いになったこともあるのですが、今はだいぶ落ち着いています。

父親はこれは自分の教育の結果だと思っていますが実際は違うのでした。

代助は今では父との間に何の情愛を感じていないのです。

父親は代助にしょっちゅうかつて自分が戦争に行ったことを自慢します。

そして代助は戦争にいったことがないからだめだ、と言うのでした。

また代助の父の考え方を表すエピソードして次のようなものがあります。

子供の時、親爺の使嗾しそうで、夜中にわざわざ青山の墓地まで出掛けた事がある。

気味のわるいのを我慢して一時間も居たら、たまらなくなって、蒼青まっさおな顔をして家へ帰って来た。

その折は自分でも残念に思った。

あくる朝親爺に笑われたときは、親爺が憎らしかった。

親爺の云う所によると、彼と同時代の少年は、胆力修養の為め、夜半に結束して、たった一人、御城の北一里にある剣つるぎが峯みねの天頂まで登って、其所の辻堂で夜明しをして、日の出を拝んで帰ってくる習慣であったそうだ。

今の若いものとは心得方からして違うと親爺が批評した。

父親は何よりも人間にとって度胸が大事と考えているのでした。

代助はそんなのは父親の若い頃のような命のやり取りの激しい野蛮時代には大切だったかもしれないが今の時代ではもっと他の能力のほうが大事だと考えています。

代助は嫂の梅子とこんな風に言って笑ったことがあります

御父さんから又胆力の講釈を聞いた。

御父さんの様に云うと、世の中で石地蔵が一番偉いことになってしまう様だねと云って、嫂と笑った事がある。

父親は代助が無職でぶらぶらしていることが気に食わない様子です。

父親は代助にこう言います。

そう人間は自分だけを考えるべきではない。

世の中もある。

国家もある。

少しは人の為に何かしなくっては心持のわるいものだ。

御前だって、そう、ぶらぶらしていて心持の好い筈はなかろう。

そりゃ、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んでいて面白い理由がない。

学んだものは、実地に応用して始めて趣味が出るものだからな

父は「代助に別に金を稼がなくてもよい。金は今迄どおり援助してやるから何か社会活動をしなさい」と言います。

代助はただ「そうですね」と言ってのらくら対応します。

代助がお説教を適当にやりすごしていると話は終わり、父はどこかへ出かけてしまいました。