富美子との出会い
画学生が初めて富美子に会ったのは、塚越老人がまだ東京に住んでいた時のことでした。
画学生が塚越老人の隠居部屋がある、奥まった離れ座敷に通されると塚越老人が
さあ、まおはいり。
さあ、まあずっとこっちへ。
と出迎えてくれます。
江戸っ子特徴の巻き舌で落語家のような滑らかな声です。
塚越老人に対面する形で、一人の見慣れない意気な女が座っていました。
彼女が塚越老人の妾の富美子です。
富美子は
となよなよとなまめかしく挨拶しました。
富美子がどんな美女であるかは次のように事細かに描写されています。
卵なりにすぼんでいる頤の中に、
釣合よく収まるくらいな可愛らしい小いさな口で、
殊に最も可愛らしいのは江戸児の特長ともいうべき受け口の下唇でした。
そうです、
あの下唇がもし尋常に引込んでいたとしたら、
あの顔はもっと端厳にはなっても、
あの媚びるような味わいと、
狡猾そうな、
利口そうな趣は失せてしまうだろうと思います。
利口といえば何よりも利口そうなのはその眼でした。
パッチリとした、
青貝色に冴えた白眼の中央に、
瑠璃のように光っている偉大な黒眼は、
いかにも利口そうに深く沈んでいて、
ちょうど日光を透き徹している清洌な水底に、
すばしこい体をじっと落ち着けて、
静かに尾鰭を休めている魚のようでもありました。
そうして、魚の体を庇うている藻のように、
その瞳の上を蔽うている睫毛の長さは、
眼を瞑ると頰の半ばの所にまでその毛の先が懸るほどでした。
僕は今まであんなに立派な、
あんなに見事な睫毛を見たことはありません。
あんなに睫毛が長くては、
かえって瞳の邪魔になりはしないかと思われるくらいでした。
眼を睜いていると、
睫毛と黒眼との繫がりがハッキリ分らないで、
黒眼が眼瞼の外へはみ出しているようにさえ見えました。
殊にその睫毛と瞳とを際立たせているのは、
顔全体の皮膚の色でした。
この頃の若い女としては、
(殊に芸者上りの女としては、)
極めてあっさりとした薄化粧の地肌が、
そんなにケバケバしくなく、
曇硝子のような鈍味を含んで、
血の気のない、夢のようなほの白さを拡げている中に、
その黒眼だけがくっきりと、
紙の上に這っている一匹の甲虫のように生きているのです。
画学生はいつもの年は適当に挨拶したらさっさと帰ってしまうのですが、こんな美女がいたため、ついつい長居してしまいます。
その日は朝から午後の二三時ごろまでごちそうになりました。
富美子のおしゃくで塚越老人も画学生もだいぶ酔いました。
お酒を飲んでいい気持ちの塚越老人がこんなことを言います。
宇之さんや、失礼ながら私はまだお前さんの画いた絵というものを見たことはないんだが、西洋画を習っていなさるんだから、油絵の肖像画を画くことなんかはうまかろうね。
すると富美子がこう言います。
うまかろうねだなんて、随分ですわね。
あなた怒っておやんなさいよ。
うまかろうねといったって、何も私は宇之さんを馬鹿にした訳じゃあごわせんよ。
私はご承知の通り旧弊な人間で、油絵なんて物はうまいもまずいも分からない方だもんだから……
まあおかしいこと、分からないなら猶更あなた、そんないい方するッてえ法はありゃしないわ。
こんな風なませた口ぶりで塚越老人の言葉を冷かしたりたしなめたりしている富美子はこの時やっと十七歳でした。
富美子にたしなめらえるたびとごに塚越老人は、目元口元に何ともいえない嬉しそうな微笑みを浮かべます。
その嬉しそうな表情があまりにむき出しなので、画学生はなんだか自分が恥ずかしくなってしまいました。
塚越老人はときどき
と頭をかいてわざと大げさに恐縮してみせます。
その様子がすっかり富美子の手の中に丸め込まれて、好人物になりきってしまっていて、大きな赤ん坊のようにたわいがないのです。
年齢の順は当時の塚越老人の年が六十一、画学生が十九、富美子は十七歳。
三人の中で富美子が一番若いのですが、口の利き方から判断すると、ちょうど順序がその逆であるかのようでした。
富美子の前にでると塚越老人も画学生も子ども扱いにされてしまうのです。