谷崎潤一郎『陰翳礼讃』あらすじ 感想

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はじめに

『陰翳礼讃』は昭和8年に発表された谷崎潤一郎の随筆。

主に「明るさ」と「暗さ」をテーマに日本人の伝統的な美意識や、東洋と西洋の美的感覚の違いについて考察しています。

なお青蛍光ペンでラインを引いてある文章は原文には書かれていない、私の感想になりますのでご注意ください。

近代文明と純日本風家屋を調和させるのは難しい

今日、普請道楽の人が純日本風の家屋を建てて住まおうとすると、電気や瓦斯ガスや水道等の取附け方に苦心を払い、何とかしてそれらの施設が日本座敷と調和するように工夫を凝らす風があるのは、自分で家を建てた経験のない者でも、待合料理屋旅館等の座敷へ這入ってみれば常に気が付くことであろう。

陰翳礼讃が発表されたのは昭和8年。

しかしもうそのころには近代文明は日本全国に行き渡っていて、伝統的な日本家屋とは調和しなくなっていたようです。

純和風インテリアにこる趣味人は、電気やガス、水道、電話などを好みのインテリアと調和させるために、大変苦心しなければなりませんでした。

例えば電話ははしご段の裏とか、廊下の隅とかなるべく目だたないところに設置したり……

電線は地下にしたり、部屋のスイッチは押入れの中に隠したり……

コードは屏風の陰に這わすなど……

谷崎も純和風インテリアを好む人だったようで、家を建てた時は随分といろいろな工夫をしてお金を贅沢に使ったようです。

谷崎にとって特に目障りなのが扇風機でした。

または戸口にはガラス戸を嵌めたくなく、できれば障子だけにしたいと思っていたようです(となると、完全に締め切るには雨戸を閉めなければならないわけです)

現代人から見ると扇風機や、電話、ガラス戸もレトロな感じで十分素敵な和風インテリアだと思いますが、当時は明治維新前生まれ、明治生まれの純和風インテリアを知っている人がゴロゴロいたわけです。

求める「純和風」のレベルが今よりずいぶん高かったたんでしょうね。

さて谷崎によると浴室やトイレの白いつるつるのタイルも目障りでした。
天井、柱、などが木製なのに、浴槽や流しがタイルだと、木製の部分が年月を経ていい感じに古びていくのに、タイル部分だけいつまでもつるつるだとそれが不調和だというのです。

風雅な純和風トイレ

私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つく/″\日本建築の有難みを感じる。

茶の間もいゝにはいゝけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。

谷崎は昔風の和風トイレ(厠)を礼賛しています。

それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。

漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。

そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻うなりさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。

私はそう云う厠にあって、しと/\と降る雨の音を聴くのを好む。

殊に関東の厠には、床に細長い掃き出し窓がついているので、軒端や木の葉からしたゝり落ちる点滴が、石燈籠の根を洗い飛び石の苔を湿おしつゝ土に沁み入るしめやかな音を、ひとしお身に近く聴くことが出来る。

まことに厠は虫の音によく、鳥の声によく、月夜にもまたふさわしく、四季おり/\の物のあわれを味わうのに最も適した場所であって、恐らく古来の俳人は此処から無数の題材を得ているであろう。

されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。

総べてのものを詩化してしまう我等の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした。

これを西洋人が頭から不浄扱いにし、公衆の前で口にすることをさえ忌むのに比べれば、我等の方が遙かに賢明であり、真に風雅の骨髄を得ている。

このような純和風トイレは冬は寒いのが欠点ですが、かえってそれが風流なのだそうです。

スチームであためられているホテルの洋式トイレなどは谷崎は嫌いなのだそうです。

ではなぜそんな素敵な純和風トイレが昭和8年には廃れてしまっていたのでしょうか?

やはり板張りや畳のトイレというのは掃除が大変でした。

使う人が少ない家や、よほど掃除に手間をかけられる家ならともかく、一般家庭ではどうしても不潔になりがちでした。

やはりタイル張り、水洗式にしたほうが簡単に衛生的に保てたようです。

しかしそうなったらもうトイレは「風雅」や「花鳥風月」とは無縁な場所になってしまいます。

トイレとはやはり不浄な場所です。

薄暗く、また黒ずんだ木目のトイレはどこから清浄でどこから不浄になるかよくわからないのがよいのです。

真っ白なタイルのぴかぴかトイレはそれがありません。

谷崎は自分で家を建てるとき、現代のトイレと昔ながらのトイレのよい部分を合わせたようなものを作りたかったのですが、そうしようとすると、手間と費用がかかりすぎるのであきらめざるを得ませんでした。

そしてこんな不平を言っています。

照明にしろ、煖房にしろ、便器にしろ、文明の利器を取り入れるのに勿論異議はないけれども、それならそれで、なぜもう少しわれ/\の習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えないのであろうか

西洋から来たものを急場しのぎに使わなければならない日本人の悲哀

既に行燈式の電燈が流行り出して来たのは、われ/\が一時忘れていた「紙」と云うものの持つ柔かみと温かみに再び眼ざめた結果であり、それの方がガラスよりも日本家屋に適することを認めて来た証拠であるが、便器やストーヴは、今以てしっくり調和するような形式のものが売り出されていない。

谷崎は電気、水洗トイレ、暖房等の近代文明の生み出した便利なものは、まだ日本の生活にしっくりあうものになっていない、といいいます。

私たちは衣食住を風雅にするなんていうことは贅沢だと考えて、日本人の感覚にあっていない西洋から来たものを、ただただ実用のために急場しのぎに使っているのです。

私はそれを見るにつけても、もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれ/\の社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、と云うことを常に考えさせられるのである。

たとえば、もしわれ/\がわれ/\独自の物理学を有し、化学を有していたならば、それに基づく技術や工業もまた自おのずから別様の発展を遂げ、日用百般の機械でも、薬品でも、工藝品でも、もっとわれ/\の国民性に合致するような物が生れてはいなかったであろうか。

仮りに万年筆と云うものを昔の日本人か支那人が考案したとしたならば、必ず穂先をペンにしないで毛筆にしたであろう。

そしてインキもあゝ云う青い色でなく、墨汁に近い液体にして、それが軸から毛の方へ滲み出るように工夫したであろう。

さすれば、紙も西洋紙のようなものでは不便であるから、大量生産で製造するとしても、和紙に似た紙質のもの、改良半紙のようなものが最も要求されたであろう。

紙や墨汁や毛筆がそう云う風に発達していたら、ペンやインキが今日の如き流行を見ることはなかったであろうし、従ってまたローマ字論などが幅を利かすことも出来まいし、漢字や仮名文字に対する一般の愛着も強かったであろう。

いや、そればかりでない、我等の思想や文学さえも、或はこうまで西洋を模倣せず、もっと独創的な新天地へ突き進んでいたかも知れない。

そう云うことを考えるのは小説家の空想であって、もはや今日になってしまった以上、もう一度逆戻りをしてやり直す訳に行かないことは分りきっている。

だから私の云うことは、今更不可能事を願い、愚痴をこぼすのに過ぎないのであるが、愚痴は愚痴として、とにかく我等が西洋人に比べてどのくらい損をしているかと云うことは、考えてみても差支えあるまい。

つまり、一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代りに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ歩み出すようになった、そこからいろ/\な故障や不便が起っていると思われる。

谷崎は自分たちの伝統に会わない近代文明をそのまま取り入れなければならない日本の状況を嘆いています。

しかしこうも言っています。

尤もわれ/\を放っておいたら、五百年前も今日も物質的には大した進展をしていなかったかも知れない。

しかしもし日本が西洋の文明に出会わず自分たちの方法で緩慢にでも発展して今日の文明レベルに達していたら、もっと日本人の気風にあった文明をつくりあげていただろうといいます。

例えば写真、蓄音機、などはもともと西洋の芸術や文化に合わせて発達したものなので、近代の道具によってさらに引き立てられているけれど、日本古来の音楽はもっと控えめで気分本位のものです。

だから日本人の芸術家は近代の機会に合わせて、古来からの芸術を歪めなければいけません。

そういう点で日本人はずいぶん損をしています。

ぴかぴかした曇りのないものを好む西洋人、深みのある沈んだ、重々しいものを好む東洋人

紙と云うものは支那人の発明であると聞くが、われ/\は西洋紙に対すると、単なる実用品と云う以外に何の感じも起らないけれども、唐紙や和紙の肌理きめを見ると、そこに一種の温かみを感じ、心が落ち着くようになる。

同じ白いのでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。

西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は、柔かい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。

そうして手ざわりがしなやかであり、折っても畳んでも音を立てない。

谷崎は西洋紙と和紙の比較をして、西洋と東洋の美意識の違いを論じています。

西洋人はピカピカと光るものを尊びます。

例えばピカピカ光る銀器、ルビー、エメラルド、金剛石(ダイヤ)などです。

一方東洋人は、深みのある沈んだ、重々しいものを好みます。

中華料理の古びた錫製の食器、朱泥、玉(ギョク)、などですね。

水晶も日本製のに比べると、チリ製のものはあまりにも綺麗に透き通りすぎているといいます。

日本人の昔からある水晶は全体にほんのりとした曇りがあったり、中に不透明な固形物が入っているが日本人はかえってそれを喜びます。

ガラスだって中国人が作った乾隆グラスは、見た目がガラスというよりも、メノウやギョクに似ています。

日本人はそんな趣味をもつ東洋人であるのだから、日本の病院はああ真っ白にピカピカにしないほうがよいのではないだろうか?

もし病院の壁が砂壁で日本座敷の畳の上で治療を受けるのだったら、患者の興奮が鎮まるのは確かだろう。

と谷崎はそんな面白い意見を述べています。

薄暗い室内で味わうべきもの

京都に「わらんじや」と云う有名な料理屋があって、こゝの家では近頃まで客間に電燈をともさず、古風な燭台を使うのが名物になっていたが、ことしの春、久しぶりで行ってみると、いつの間にか行燈式の電燈を使うようになっている。

いつからこうしたのかと聞くと、去年からこれにいたしました。蝋燭の灯ではあまり暗すぎると仰っしゃるお客様が多いものでござりますから、拠んどころなくこう云う風に致しましたが、やはり昔のまゝの方がよいと仰っしゃるお方には、燭台を持って参りますと云う。

で、折角それを楽しみにして来たのであるから、燭台に替えて貰ったが、その時私が感じたのは、日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。

日本の伝統工芸、漆器、派手な蒔絵などを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱、などは薄暗い中でこそ美しさを発揮するものなのです。

「わらんじや」の座敷と云うのは四畳半ぐらいの小じんまりした茶席であって、床柱や天井なども黒光りに光っているから、行燈式の電燈でも勿論暗い感じがする。が、それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆら/\とまたゝく蔭にある膳や椀を視詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する。

金蒔絵は明るい下で見るとピカピカ、絢爛豪華ですが、それは本来の楽しみ方ではないというのです。

暗い中ともし火の下で、黒地に施された金色がきらりと光るのが言い知れぬ余情があるのです。

また漆器の吸い物椀も薄暗い中でその美しさを発揮します。

薄暗い中漆器の吸い物椀のふたをとっても、中の汁の身や色合いはよく見えません。

吸い物自体も暗闇に溶けやすい色でできていますから、更にその効果を強めています。

ほんのり湯気とにおいが立ち上ってきて、それを口に含む。

スープを浅いしらちゃけた皿に入れて出す西洋流に比べると、なんて神秘的で風雅でしょう。

和食も食器も薄暗い室内でこそ本領を発揮する

私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつゝこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。

茶人が湯のたぎるおとに尾上の松風を連想しながら無我の境に入ると云うのも、恐らくそれに似た心持なのであろう。

日本の料理は食うものでなくて見るものだと云われるが、こう云う場合、私は見るものである以上に瞑想するものであると云おう。

谷崎は羊羹の玉(ギョク)にも似た半透明の色の美しさをたたえています。

あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。

人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。

赤味噌や白いお米なども暗がりの中でこそもっともおいしそうに見えます。

お米がぴかぴか光る黒塗りの飯櫃に入れられて、暗いところに置かれていると、まるで一粒一粒真珠のように輝いて見えるのです。

日本の建築について、西洋との比較

私は建築のことについては全く門外漢であるが、西洋の寺院のゴシック建築と云うものは屋根が高く/\尖って、その先が天に冲せんとしているところに美観が存するのだと云う。

これに反して、われ/\の国の伽藍では建物の上にまず大きな甍を伏せて、その庇ひさしが作り出す深い廣い蔭の中へ全体の構造を取り込んでしまう。

寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も眼立つものは、或る場合には瓦葺き、或る場合には茅葺きの大きな屋根と、その庇の下にたゞよう濃い闇である。

時とすると、白昼といえども軒から下には洞穴のような闇が繞っていて戸口も扉も壁も柱も殆ど見えないことすらある。

これは知恩院や本願寺のような宏壮な建築でも、草深い田舎の百姓家でも同様であって、昔の大概な建物が軒から下と軒から上の屋根の部分とを比べると、少くとも眼で見たところでは、屋根の方が重く、堆く、面積が大きく感ぜられる。

左様にわれ/\が住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。

もちろん西洋の家屋にも屋根がない訳ではないが、それは日光を遮蔽するよりも雨露をしのぐための方が主であって、蔭はなるべく作らないようにし、少しでも多く内部を明りに曝すようにしていることは、外形を見ても頷かれる。

日本の屋根を傘とすれば、西洋のそれは帽子でしかない。

しかも鳥打帽子のように出来るだけ鍔つばを小さくし、日光の直射を近々と軒端に受ける。

もちろんそれは実用性や気候風土も関係があるでしょう。

日本にはガラスやセメント、煉瓦のようなものを使わないので横殴りの雨風を防ぐには、庇を深くする必要がありました。

また日本と谷崎が言う西洋(この時代の西洋=先進国は南欧ではなくてドイツフランス、イギリスでしょうね)では日照に関する考えたも違うでしょうね。

特にイギリスなど太陽の光は弱いのですから、とにかくたくさんとりいれたいという発想になるでしょう。

一方真夏の日本の日差しはものすごく強いですよね。

それをしのぐには屋根を大きくするのがよさそうです。

徒然草でも
「家の作りやうは、夏をむねとすべし」と言っています。

そういう実用面を別にしても日本人は家の中の暗闇、影を愛しました。

大きな屋根のために、ただでさえ暗い家をさらに暗くしようとして、砂壁にしたり、障子をはった戸をつけたり、するのでした。

ぴかぴかと光ることはこのまず、淡い間接的な光を愛したのです。

日本家屋は質素で西洋人から見るとただ灰色の壁があるだけです。

まるで墨絵のように影の濃淡が日本家屋の装飾なのです。

もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。

われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自おのずから生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。

薄暗い室内の中で金の装飾の美しさ。日本男性を一番美しく見せるのは能衣装

諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い/\庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。

その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。

日本芸術は決して渋好みだけではありません。
金ぴか趣味の系譜もありますね。
黄金の仏像、金屏風、お坊さんの金襴の袈裟、金のしゃちほこ等。

明るい光の下だとやもすれば、成金趣味のように見えてしまう金ぴか芸術は本来は暗闇の中で味わうものだったというのです。

暗闇の中、ともし火の下で金はわずかな明かりを反射して室内の闇を照らします。

ふんだんに使われた金も暗闇の中では決してけばけばしいものではなく、荘厳で幽玄なものでした。

さてここで能衣装や能の美しさについて触れています。

それから、これは私一人だけの感じであるかも知れないが、およそ日本人の皮膚に能衣裳ほど映りのいゝものはないと思う。

云うまでもなくあの衣裳には随分絢爛なものが多く、金銀が豊富に使ってあり、しかもそれを着て出る能役者は、歌舞伎俳優のようにお白粉を塗ってはいないのであるが、日本人特有の赧あかみがかった褐色の肌、或は黄色味をふくんだ象牙色の地顔があんなに魅力を発揮する時はないのであって、私はいつも能を見に行く度毎に感心する。

さてそんな能衣装ですが、若く美しい役者のみならず、中年のおじさん役者までも美しく魅惑的にみせてしまうというのです。

あるとき谷崎は能を見に行って、「楊貴妃」を演じる能役者の手の妖しいまでの美しさに感動します。

そして彼の手を見た後、自分の手を見たらあまり変わりません。

役者の手は一般的な日本の中年男性の手なのですが、能衣装をまとうとそれが非常に美しく魅惑的に見えてしまうのです。

ところで、能に附き纏うそう云う暗さと、そこから生ずる美しさとは、今日でこそ舞台の上でしか見られない特殊な陰翳の世界であるが、昔はあれがさほど実生活とかけ離れたものではなかったであろう。

何となれば、能舞台における暗さは即ち当時の住宅建築の暗さであり、また能衣裳の柄や色合は、多少実際より花やかであったとしても、大体において当時の貴族や大名の着ていたものと同じであったろうから。

私は一とたびそのことに考え及ぶと、昔の日本人が、殊に戦国や桃山時代の豪華な服装をした武士などが、今日のわれ/\に比べてどんなに美しく見えたであろうかと想像して、たゞその思いに恍惚となるのである。

まことに能は、われ/\同胞の男性の美を最高潮の形において示しているので、その昔戦場往来の古武士が、風雨に曝された、顴骨の飛び出た、真っ黒な赭顔にあゝ云う地色や光沢の素襖や大紋や裃かみしもを着けていた姿は、いかに凜々しくも厳かであっただろうか。

洋服を着ると西洋人に比べていまいち格好よくない日本人ですが、能衣装をまとえば非常に美しかったのですね。

能衣装に近いものを着ていたかつての日本人はどれだけ美しかったことでしょう。

そんなことを考えると確かに現代日本人は損をしていますね。

ここで谷崎は他の伝統芸能にも言及して、能の美しさはまだ暗闇の中で演じるということを守っているからだといっています。

一方歌舞伎については「西洋流の照明を使うようになった現代では派手な色彩が俗悪にみえ、また化粧も作りすぎ」と言っています。

また「今の歌舞伎の女形は昔に比べて女らしくない。それはおそらく過剰照明のせいだ」というような文句も言っています。

(つまり歌舞伎が問題というわけではなくて、照明が問題なのですね。この論法によれば歌舞伎も照明を落とせばよいわけです)

また文楽についても「昔の文楽はランプを使っていた、今は電灯を使っている。昔のほうが余情に飛んでいた」と言っています。

大阪の通人に聞いた話に、文楽の人形浄瑠璃では明治になってからも久しくランプを使っていたものだが、その時分の方が今より遙かに餘情に富んでいたと云う。

私は現在でも歌舞伎の女形よりはあの人形の方に餘計実感を覚えるのであるが、なるほどあれが薄暗いランプで照らされていたならば、人形に特有な固い線も消え、てら/\した胡粉のつやもぼかされて、どんなにか柔かみがあったであろうと、その頃の舞台の凄いような美しさを空想して、そゞろに寒気を催すのである。

まあともかくあまり明るくしないほうがよいということです。

さてここまでいえることはつまり日本の伝統的な芸術、芸能は暗闇の中で見るものとされていたわけです。

今だったらお客さんから苦情が来そうな暗さでも、かつてはそもそも明るくてらせるような照明が存在しないのですから、皆そんなものだと思って、暗闇の中で鑑賞したり味わったりしたのでしょう。

現代は照明の下で見ることが多いので、あれらはすべて暗闇の中で見るものだったのだ、明るい下で見るのは本来の鑑賞のしかたではないといわれるというのはとても新鮮ではっとする発見ですね。

ためしに家の電気を暗くして、漆器に入れた味噌汁を飲んだり、金刺繍のある帯を電気スタンドの下で眺めたりしたら面白いかもしれません。

昔の日本の女性には胴体が存在しなかった?

文楽の話題が出た後は昔の女性論になっています。

知っての通り文楽の芝居では、女の人形は顔と手の先だけしかない。

胴や足の先は裾の長い衣裳の裡に包まれているので、人形使いが自分達の手を内部に入れて動きを示せば足りるのであるが、私はこれが最も実際に近いのであって、昔の女と云うものは襟から上と袖口から先だけの存在であり、他は悉く闇に隠れていたものだと思う。

かつては中流階級以上の女性はめったに外出することもなく、薄暗い部屋の中にいました。

そして江戸時代の女性の着物と言うのは非常に地味です。

というのはかつては衣装というのは薄暗い屋内の闇の中の一部分、闇と顔とのつながりに過ぎなかったからです。

さらにお歯黒も顔以外の部分を暗闇にするための化粧ではなかったか、と谷崎は考察しています。

谷崎の明治20年代ごろの母の印象は顔と手のほかは足のみで胴体の記憶がなかったのだとか。

「かつての女性は非常に小柄だった」と言ったあと、谷崎はこう述べています。

いや、極端に云えば、彼女たちには殆ど肉体がなかったのだと云っていゝ。

谷崎によるとかつての日本の典型的な裸体像は中宮寺の観世音の胴体だといいます。

紙のように薄い乳房の附いた、板のような平べったい胸、その胸よりも一層小さくくびれている腹、何の凹凸おうとつもない、真っ直ぐな背筋と腰と臀の線、そう云う胴の全体が顔や手足に比べると不釣合に痩せ細っていて、厚みがなく、肉体と云うよりもずんどうの棒のような感じがするが、昔の女の胴体は押しなべてあゝ云う風ではなかったのであろうか。

そして谷崎はあれを見ると、人形の心棒を思い出すといいます。

そしてかつての日本の女性の胴体というのは衣装を着けるための棒であって、それ以外の何物でもない、といいます。

かつての女性というものは薄暗い屋内にほの白く浮かぶ顔や手や足、だけの存在だったそうです。

日本人女性の均斉をかいた平べったい胴体は西洋婦人のそれに比べれば醜いだろう。

しかしかつてはそれは闇の中にかくれている存在も同然のものだったのでそれでよかったのです。

そんなことをとやかく言うのは茶室を電灯でギラギラに照らすようなものです。

ところで、私がここで思い出したのは『細雪』の雪子の真夏のワンピース姿でした。

純和風美人の雪子は基本的に一年中着物を着ているのですが、真夏に相当暑くなり耐えられなくなると、ワンピースを着るのです。

その時の姿がまさに「人形の心棒」といえるような姿でした。

暦の上では秋に這入っているのだけれども、この二三日暑さがぶり返して、土用のうちと変らない熱気の籠こもった、風通しの悪い室内に、珍しく雪子はジョウゼットのワンピースを着ていた。

彼女は余りにも華奢な自分の体が洋服に似合わないことを知っているので、大概な暑さにはきちんと帯を締めているのであるが、一と夏に十日ぐらいは、どうにも辛抱しきれないでこう云う身なりをする日があった。

と云っても、日中から夕方迄の間、家族の者達の前でだけで、貞之助にさえそう云う姿を見られることを厭いとうのであるが、それでも貞之助は、どうかした拍子に見ることがあると、今日は余程暑いんだなと、心づいた。

そして、濃い紺色のジョウゼットの下に肩胛骨の透いている、傷々しいほど痩やせた、骨細な肩や腕の、ぞうっと寒気を催させる肌の色の白さを見ると、俄にわかに汗が引っ込むような心地もして、当人は知らぬことだけれども、端の者には確かに一種の清涼剤になる眺めだとも、思い思いした。

「―――明日にも帰って来て、皆と一緒に立ってほしい、云うてはるねんけど、―――」

雪子は黙って項垂うなだれたまま、裸体にされた日本人形のように両腕をだらりと側面に沿うて垂らして、寝台の下にころがっていた悦子の玩具の、フートボール用の大きなゴム毬に素足を載せながら、時々足の蹠うらが熱くなると毬を廻して別な所を蹈ふんでいた。
(『細雪 上巻』)

西洋人と東洋人の趣味の違いは肌の色に起因すのでは?

だが、いったいこう云う風に暗がりの中に美を求める傾向が、東洋人にのみ強いのは何故であろうか。西洋にも電気や瓦斯(ガス)や石油のなかった時代があったのであろうが、寡聞な私は、彼等に蔭を喜ぶ性癖があることを知らない。

昔から日本のお化けは脚がないが、西洋のお化けは脚がある代りに全身が透きとおっていると云う。

谷崎は東洋と西洋の美意識の違いは皮膚の色に起因していると言います。

以前谷崎が横浜の山の手に住んでいて西洋人の集まる宴会場や舞踏場に行くと、夜会服をまとった西洋婦人と日本人女性の肌の色の違いを見ることができました。

日本人のはどんなに白くとも、白い中に微かな翳かげりがある。

そのくせそう云う女たちは西洋人に負けないように、背中から二の腕から腋の下まで、露出している肉体のあらゆる部分へ濃い白粉を塗っているのだが、それでいて、やっぱりその皮膚の底に澱んでいる暗色を消すことが出来ない。

一方

ところが西洋人の方は、表面が濁っているようでも底が明るく透きとおっていて、体じゅうの何処にもそう云う(中略)蔭がささない。頭の先から指の先まで、交り気がなく冴え/″\と白い。

そして東洋人がどことなくくすんだ、陰のあるものを好み、西洋人が陰りのないものを好むのは自分たちの肌にに近いものを好むからではないか? と谷崎は考察しています。

暗い屋内の灯の下の女性美

われ/\の先祖は、明るい大地の上下四方を仕切ってまず陰翳の世界を作り、その闇の奥に女人を籠らせて、それをこの世で一番色の白い人間と思い込んでいたのであろう。

肌の白さが最高の女性美に缺くべからざる条件であるなら、われ/\としてはそうするより仕方がないのだし、それで差支えない訳である。

白人の髪が明色であるのにわれ/\の髪が暗色であるのは、自然がわれ/\に闇の理法を教えているのだが、古人は無意識のうちに、その理法に従って黄色い顔を白く浮き立たせた。

私はさっき鉄漿おはぐろのことを書いたが、昔の女が眉毛を剃り落したのも、やはり顔を際立たせる手段ではなかったのか。

そして私が何よりも感心するのは、あの玉虫色に光る青い口紅である。もう今日では祇園の藝妓などでさえ殆どあれを使わなくなったが、あの紅こそはほのぐらい蝋燭のはためきを想像しなければ、その魅力を解し得ない。

古人は女の紅い唇をわざと青黒く塗りつぶして、それに螺鈿を鏤ちりばめたのだ。豊艶な顔から一切の血の気を奪ったのだ。私は、蘭燈のゆらめく蔭で若い女があの鬼火のような青い唇の間からとき/″\黒漆色の歯を光らせてほゝ笑んでいるさまを思うと、それ以上の白い顔を考えることが出来ない。
(中略)
或はそう云う白さは、実際には存在しないかも知れない。
それはたゞ光りと闇が醸し出す悪戯であって、その場限りのものかも知れない。
だがわれ/\はそれでいゝ。それ以上を望むには及ばぬ。

屋内の闇について語られています。

昔の御殿や妓楼などでは、天井を高く、廊下を広く取り、何十畳敷きという大きな部屋が普通でした。

そういう日本家屋のなかでは、僅かな蝋台で照らされた広間の暗さは屋外の闇ともまた違った凄みのあるものでした。

分けても屋内の「眼に見える闇」は、何かチラチラとかげろうものがあるような気がして、幻覚を起し易いので、或る場合には屋外の闇よりも凄味がある。

魑魅とか妖怪変化とかの跳躍するのはけだしこう云う闇であろうが、その中に深い帳とばりを垂れ、屏風や襖を幾重にも囲って住んでいた女と云うのも、やはりその魑魅の眷属けんぞくではなかったか。

かつて暗闇を愛した日本人がなぜだか電灯ギラギラが大好きに……

先年、武林無想庵が巴里パリから帰って来ての話に、欧洲の都市に比べると東京や大阪の夜は格段に明るい。巴里などではシャンゼリゼエの真ん中でもランプを燈す家があるのに、日本ではよほど辺鄙な山奥へでも行かなければそんな家は一軒もない。恐らく世界じゅうで電燈を贅沢に使っている国は、亜米利加アメリカと日本であろう。

かつては、影と暗闇を愛する日本人でしたが、昭和8年には日本の町はヨーロッパの町より照明過多になってしまっていたようです。

「風情がないことはもちろんだが、夏など暑苦しくてたまらない」とホテルや観光地の過剰照明ぶりを嘆く谷崎でした。

結論。さあ! 電灯を消そう!

この間何かの雑誌か新聞で英吉利イギリスのお婆さんたちが愚痴をこぼしている記事を読んだら、自分たちが若い時分には年寄りを大切にして労いたわってやったのに、今の娘たちは一向われ/\を構ってくれない、老人と云うと薄汚いもののように思って傍へも寄りつかない、昔と今とは若い者の気風が大変違ったと歎いているので、何処の国でも老人は同じようなことを云うものだと感心したが、人間は年を取るに従い、何事に依らず今よりは昔の方がよかったと思い込むものであるらしい。

で、百年前の老人は二百年前の時代を慕い、二百年前の老人は三百年前の時代を慕い、いつの時代にも現状に満足することはない訳だが、別して最近は文化の歩みが急激である上に、我が国はまた特殊な事情があるので、維新以来の変遷はそれ以前の三百年五百年にも当るであろう。などという私が、やはり老人の口真似をする年配になったのがおかしいが、しかし現代の文化設備が専ら若い者に媚びてだん/\老人に不親切な時代を作りつゝあることは確かなように思われる。

近年の時代の変化は激しく

今日純日本風の町の情趣は、西宮、堺、和歌山、福山、あの程度の都市へ行かなければ味わわれない。
食べる物でも、大都会では老人の口に合うようなものを捜し出すのに骨が折れる。

森林が切り開かれ、奈良でも京都大阪の郊外でも名所と言う名所が大衆的になり、丸裸になる。

が、要するにこれも愚痴の一種で、私にしても今の時勢の有難いことは万々承知しているし、今更何と云ったところで、既に日本が西洋文化の線に沿うて歩み出した以上、老人などは置き去りにして勇往邁進するより外に仕方がないが、でもわれ/\の皮膚の色が変らない限り、われ/\にだけ課せられた損は永久に背負って行くものと覚悟しなければならぬ。

尤も私がこう云うことを書いた趣意は、何等かの方面、たとえば文学藝術等にその損を補う道が残されていはしまいかと思うからである。

私は、われ/\が既に失いつゝある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐のきを深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。

それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。

まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。

さて、以上のような『陰翳礼讃』でしたが、最後の一言にこの随筆の主旨は集約されているように思えます。

まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。

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