『母を恋ふる記』あらすじ 感想

女の正体は?

(潤一)
小母さん、小母さん、私は小母さんの云う通りにして、一緒に泣いているんです。

だから其の代り小母さんの事を姉さんと呼ばしてくれませんか。

ねえ、小母さん、此れから小母さんの事を姉さんと云ったっていいでしょう?

(女性)
なぜだい?

なぜお前はそんな事を云うのだい?

(潤一)
だって私には姉さんのような気がしてならないんですもの。

きっと小母さんは私の姉さんに違いない。

ねえ、そうでしょう?

そうでなくっても、此れから私の姉さんになってくれてもいいでしょう

(女性)
お前には姉さんがある訳はないじゃないか。

お前には弟と妹があるだけじゃないか。

――――お前に小母さんだの姉さんだのと云われると、私は猶更悲しくなるよ。

(潤一)
それじゃ何と云ったらいいんです。
(女性)
何と云うって、お前は私を忘れたのかい?

私はお前のお母様じゃないか。

こう云いながら、女は顔を潤一の顔に近づけました。

その瞬間に潤一ははっと思 います。

云われて見れば成る程彼女はお母さんに違いない。

僕のお母さんががこんなに若くきれいな筈はないけれど、それでもたしかに彼女は母に違いない。

どう云う訳か潤一はそれを疑うことができませんでした。

潤一は

自分はまだ小さな子供だ。

だから母が此のくらい若くて美しいのは当り前かも知れない、

と思います。

(潤一)
ああお母さん、お母さんでしたか。

私は先からお母さんを捜していたんです。

(お母さん)
おお潤一や、やっとお母さんが分ったかい。

分ってくれたかい。

母は潤一をしっかりと抱きしめました。

母の懐には甘い乳房の匂が暖かく籠っていました。

依然として三味線の音が聞こえます。

月の光と波の音とが身にしみわたります。

二人の頬には 涙が止めどなく流れています。

潤一はふと眼を覚ました。

夢の中で泣いていたと見えて、枕は涙で湿っていた。

眼を覚ました潤一は今年三十四歳です。

そして潤一の母は、一昨年の夏此の世の人ではなくなっていたのです。

母がもうこの世の人でないことを思い出すと、潤一はまたぽたりと涙を落としました。

「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」

三味線の音が、まだ潤一の耳の底で響いています。