谷崎潤一郎『白昼鬼語』あらすじ 感想

『白昼鬼語』は大正4年(1915年)発表の短編。
大正時代の東京が舞台のミステリ小説です。
主人公の小説家には園村という物好きな友人がいました。
親の遺産で遊び暮らす園村は通常の刺激では物足りなくなり、探偵小説ばかり読み漁っています。
そんな園村から主人公はある日不思議な冒険に誘われます。
怪しげな美女とそれに支配される男性。
谷崎らしいミステリ小説です。
エドガー・アラン・ポーの推理小説とまったく同じ暗号を使う人が出てきたり……
人間の全身を一晩のうちにあとかたもなく溶かしてしまう薬剤が出てきたり……
古い時代のミステリ小説らしく、化学(えせ化学ですが)と暗号に関する素朴な好奇心がほほえましい作品です。
谷崎潤一郎らしい悪女も登場します。
あまり有名な作品ではありませんが、あらすじも描写も娯楽作品として一流です。
先を読む手が止まらない。
そんなワクワクさせる小説です。

あらすじ

呼び出される主人公

主人公には園村という友人がいました。
お金持ちの息子で無職。
金と暇に飽かせて退廃した生活を送っていました。
近頃はそれにも飽きてしまったようです。
探偵小説と活動写真に耽溺して、毎日のように朝から晩まで不思議な空想に耽っています。
前々から常識外れで気まぐれな男で主人公もそのことをよく知っていました。
ある日そんな園村から主人公に電話がかかってきました。

(園村)
すまないが、今から急いで、僕の所に来てくれ!
今日君にぜひとも見せたいものがあるんだ。

主人公は小説家で、その日は原稿の締め切りがありました。
(主人公)
悪いけど行けないよ。
今日の二時までに原稿を提出しなければばならないんだ。
僕は実は昨晩から徹夜しているんだよ


(園村)
それなら午後二時までにそれを書きあげたら、大急ぎでうちまで来てくれ。

(主人公)
いや、僕は昨晩は徹夜をしているんだから原稿を書き上げたら風呂に入ってひと眠りしたいんだ。
明日だっていいじゃないか?


(園村)
今日でなければ見られないものなんだ。
君が来れないなら僕一人で見に行くしかないんだが……

そんなに園村が主人公に見せたいものとはなんだったのでしょう?
(園村)
実は、今夜の夜一時ごろに東京のある町である犯罪が……人殺しが行われるんだ。
それで今から支度して君と一緒にそれに見に行こうと思ったんだ

(主人公)
なんだって!?
人殺し!?
どうして君はそれを知っているのかい?
いったい誰が誰を殺すのかい!?

(園村)
実は僕も誰が誰を殺すのかは知らない。
ただ今夜一時頃、人殺しが行われることと、場所がどのあたりか知っているだけさ。
この殺人は僕と何のかかわりのないもので、僕がそれを止めたりする義務はない。
けれど、僕は好奇心から人殺しの様子を犯人に気が付かれないようにこっそり見てみたいんだ。
それに君がついてきてくれたら心強いと思ったのだ。

園村には両親も妻子もなく、主人公以外に友達もいません。
毎日のように探偵小説や活動写真に耽溺し、不思議な空想に耽っています。
主人公は園村がついに発狂したのだ。
彼には自分以外面倒をみてやるものがいないのだからこれは見舞いに行ってやらねば、と思い、仕事が終わったら寝不足をおして園村を訪ねることにしました。
(主人公)
なるほどそういうことなら、僕も行くよ。
仕事が終わったら行く。
少し遅くなるかもしれないけれど、四時までにはいくから、必ず待っていてくれ。
ひとりで出かけたりしたらだめだよ!

主人公は園村に、「いいかね、きっとだぜ!」と念を押しました。
狂人の園村が一人で家を飛び出したりしたら危険だと思ったのです。
園村の突然の電話のせいで、主人公の集中力はとぎとぎれ。
なんとか原稿を書き上げると、くたくたの体に葡萄酒で元気をつけ、家を出ました。
四時に間に合うように園村の家に向かいます。
主人公は途中恐ろしい考えに取りつかれます。
もしかして園村は俺を殺すつもりでは……
『お前に殺人の光景を見せてやる』とか言って、彼自身の手で俺を殺して、その光景を俺に見せるという意味なのではないだろうか?

主人公は園村に恨まれるようなことをしたことはありません。
しかしなんといっても園村は狂人です。
荒唐無稽な探偵小説や犯罪小説を読み漁った園村が、不意に親友の命を奪ってみたいと思ったとしても不自然ではありません。
しかし主人公はこう思い直します。
こんなことを考えるなんて、もしかして俺も狂っているのではないか?
園村はさっき「この殺人と僕は何のかかわりがない。誰が誰を殺すのかも全く知らない」と言っていたじゃないか。

そうしてついに主人公は園村宅に到着しました。
「今ちょうど四時だ。よく来てくれたね」
と園村が出迎えてくれます。
園村はすらりとした瀟洒な洋服姿です。
園村は宝石が大好きで指やネクタイピンに色とりどりの宝石が輝いています。
「いったい君はどうやって今晩犯罪が起こると嗅ぎつけたのだい?」
と聞く主人公には園村はこんな話をします。
園村は時計を気にしながら話し始めました。

奇妙な三人組

園村は一昨日の晩の七時ごろ、活動写真を見ていました。
園村は彼の前に座っていた三人の男女(一人の女性、二人の男性)に目を止めました。
一番右が束髪の若い女性。
真ん中が髪の毛をてかてかと分けた男性。
一番左が角刈りの男性です。
園村は女性は真ん中の男性と夫婦あるいは愛人関係だろうと思います。
そして角刈りの男性が女性の夫(あるいは愛人)の友人か何かだろうと思います。
女性と左端の角刈りの男性が、真ん中の男性に知られないように、椅子の背中で手を握り合ったり、奇妙な合図をしあったりしています。
女性が角刈りの男の手の甲へ、指の先で文字らしきものを書きます。
すると今後は角刈りの男が女の手へ返事を書きます。
二人は長い間そんなことを繰り返しています。
園村は二人が何を書いているか読みたいと思って、じっと二人の指の動きを見つめました。
まもなく園村は二人が書いているのはカタカナだと気が付きます。
そして読み取れた言葉は……
女「クスリハイケヌ、ヒモガイイ」(薬はいけぬ、紐がいい)
男「イツガイイカ」(いつがいいか?)
女「二サンニチウチ二」(二三日のうちに)
園村は二人の男女が二三日のうちに殺人をくわだてているのだ、それは毒薬は使わずに、紐を使って締め殺すのだ、と考えます。
まもなく女が手の中に小さな紙を丸めて、男に手渡します。
男は紙切れを受け取ると、便所に行くようなふりをして席を立ちました。
男は五分ぐらいすると、戻ってきて、その紙切れをくちゃくちゃに口でかみました。
そして鼻紙を捨てるように無造作に園村の足元に投げ捨てました。
園村はそれをこっそりと靴の底で踏みつけます。
園村は活動写真が終わって室内が明るくなったら三人の風采を確かめるつもりでした。
しかしまもなく女が「この活動写真面白くない」と言いだします。
角刈りの男も「そうだもう出よう」と言い始めました。
真ん中の男も二人に言われて不承不承といった感じで、三人で出ていきました。
結局、園村は三人の外貌を確かめることはできずに終わったのです。
園村は三人がいなくなってしまうと紙切れを拾いました。
紙切れには暗号のようなものが書かれていました。
この暗号は園村がエドガー・アラン・ポーの推理小説の中で読んだものと書き方が同じでした。
園村が解読したその暗号に書かれていたのは次のような言葉でした。

in the night of the Death of Buddha,
at the time of the Death of Diana,
there is a scale in the north of Neptune,
where it must be committed by our hands.

日本語に訳すと……
「仏陀の死する夜、
ディアナの死する時、
ネプチューンの北に一片の鱗あり、
そこにおいてそれは我々の手によって行われる」
園村の解読は
「仏陀の死する夜」……仏滅
「月の女神ディアナが死ぬ時」……月の入り、今夜は午前一時三十六分
「ネプチューンの北に一片の鱗あり」……向島の水神(ネプチューンは海の神だから、また向島の水神の周囲は非常に寂しい区域で犯罪を行うのに都合の良い場所だから)
「それは我々の手によって行われる」……我々によって犯罪が行われる。
ところでその日は仏滅でした。
園村はの解釈はこういうものでした。
「今晩の午前一時三十六分に、
向島の水神で、
女と角刈りの男が、
真ん中にいた、てかてかと髪を分けた男を絞め殺す」
しかし園村には一か所だけ解読できていない部分がありました。
「ネプチューンの北に一片の鱗あり」の「一片の鱗」とは何かは園村にもわかりません。
彼は昨日向島を歩き回って「一片の鱗」を探したそうですが、見つかりませんでした。
しかし園村はそれについては楽観的でした。
園村はこう言います。


あんなに探しても、簡単に見つからないということは、おそらく犯罪の行われる当日につけるのに違いない。
きっとあの女が今朝、目印をつけたに違いない。
僕は昨日のうちにこの場所じゃないか?という場所を二三か所物色しておいた。
今日はそこに行って印があるかどうか、確認すれば大丈夫。

向島に行くもののガッカリして帰る

主人公と園村は向島に向かって出かけました。
主人公はおそらく印なんか見つからないだろうと思いました。
それでも園村について行ったのは、印が見つからなければ園村も妄想から覚めて納得して心を落ち着けるだろうと思ったのです。
二人で向島の水神の周りをぐるぐると探し回りましたが印は見つかりません。
それから三時間ほど過ぎた夜の八時半ごろでした。
「印を見つけないうちは家に帰らない」と言い張る園村をなんとかなだめて、主人公は園村をタクシーに乗せて園村の家に向かいました。
主人公はうなだれている園村をこうなだめます。

やっぱり君の思い違いだったんだよ。
どうやら君はこの頃少し興奮しているみたいだから、なるべく神経を落ち着かせるようにしたまえ。
明日からどこかに転地をしたらどうだろう?

園村を家に送り届けたのち、自宅に帰り、こんこんと眠りました。
主人公は昨晩徹夜だったのです。

ついに鱗の正体がわかったぞ!

それから何時間かぐっすりと眠った後でした。
家の戸をしきりにとん、とん、と叩く物音に主人公は目を覚ましました。
家にやってきたのは園村でした。
「めんどうくさいなあ」と思いながら門口へ出ると、園村はいつになく興奮した様子でした。


(園村)
ついに場所を突き止めたよ!
ネプチューンというのは向島の水神ではなくて、水天宮のことだったんだ!
水天宮の北側で鱗の目印を見つけたんだ!

その時の時間は夜の十二時五十分でした。
「もう時間がない! 早く!」という園村に引っ張られて主人公は家を出ました。
園村に連れていかれたのは、むさくるしい長屋の両側に並んでいるどぶ板のある行き止まりの路地の奥でした。
小さな家がくっつきそうに並んでいる貧しい地域です。
ごみ溜めからいろいろなものの発酵したような嫌な臭いがただよってきます。
園村に導かれてたどり着いた家の、雨戸は節穴や隙間だらけでした。
そこから室内の明かりが漏れています。
園村に促されて親指が入るぐらいの大きさの、一つの節穴に眼をあてがいました。
中は電球で煌煌と照らされています。
主人公の目の前には真っ白な柱のようなものがありました。
まもなくそれが、なんであるか主人公は気が付きます。
それは雨戸に背を向けて座っている、一人の女の襟足とうなじでした。
髪を潰し島田に結った芸者風の姿です。
女は雨戸のすぐ近くに座っていたので、腰から下はよく見えません。
漆喰で塗ったような真っ白なうなじ。
結いたてのようなつやつやとした髪。
後ろ姿を見ただけで色っぽい美女であることがわかります。
美女は節穴に艶やかな後ろ姿を向けて座ったまま、じっとしています。
足音がしました。
女は壁ぎりぎりの場所から部屋の中央に動きます。
視界をふさいでいた彼女が動いた結果、主人公は節穴から部屋の中を見渡すことができました。
内装は長屋らしく粗末です。
壁は剥げかかっています。

美女と若者と不思議な光景

部屋の中には女以外にももう一人いました。
十八九歳の髪を角刈りにした、若者です。
きりりと引き締まったおしょうゆ顔の美男子でした。
髪結新三や鼠小僧を連想させるような、ちょっと下賤な雰囲気を漂わせていました。
部屋の中にはかかしのようなものが立っていました。
よく見るとそのかかしのようなものには、黒いびろうどの布がかぶせられています。
主人公はこれは写真機だと思います。
主人公はこれからこの女と若者は写真を撮るのだろうか?
こんなふうにこっそりと撮影するのは密売品の写真だからだろうか? と思います。
確かにこれは犯罪は犯罪だけれど、「殺人」に比べればなんともせこい。
なんだばかばかしいと主人公は思います。
まもなく主人公は部屋の右側に大きな金盥(かなだらい)が置かれていることに気が付きます。
その金盥(かなだらい)は西洋風呂のバスタブほどの大きさもある、深い細長いものでした。
主人公はこれからこの美女が着物を脱いで、金盥に入り、「美女の入浴シーン」の写真を撮るのだろうか? と思います。
(ヌード写真だから密売品なのですね)
そろそろ美女がしたくのために着物を脱ぐだろうか? とどきどきしていましたが、女はいつまでもうつむいて座ったままです。
若者も棒のようにつっ立ったまま、女を睨んでいます。
若者は女の胸のあたりから、膝のあたりをじろじろ見ているだけで、視線を外しません。
女も自分の胸と膝のあたりに眼をくぎ付けにしているのでした。
女は左右の肘を少し張っています。
女はあたかも裁縫をするときのような形で両手を膝の上に持っていきつつ、膝にのせてある何物かをいじくっているようでした。
主人公は女の不思議な動作に気が付いて彼女の膝に注目します。
女の膝の上には何か黒いかたまりのようなものがもくもくとしていました。
そしてその黒いかたまりが女の体の陰にある前方の畳のほうまで伸びているのでした。
主人公はこう思います。

誰か男が、彼女の膝を枕にして寝ているのかしらん?

ついに殺人が行われた!

そのとたん突然ずしん!という重いものを引きずるような地響きを立て、女が写真機の方に向き直りました。
女の膝の上には一人の男が首を乗せたまま仰向けに、死骸になって倒れていたのです。
主人公が男が死骸だとわかったのは、寝ているのに、男が眼を開いていて、燕尾服を着ているのにカラーが乱暴にむしり取られていて、その首には深紅の縮緬の紐がぐるぐると巻き付けられていたからです。
断末魔の苦悶の状態をとどめたまま逃げ去った自分の魂を追いかけるがごとく両手を伸ばしています。
殺された男はよく太っていました。
髪型は園村が活動写真館で見たように、綺麗に真ん中で分けられててかてかと光っています。

ねえさんもうよござんすかね。

角刈りの男がそう言いました。
女が言います。
ああ、もういいのよ。さあ写してちょうだい。

女はずるずると死骸をもちあげます。
角刈りの若者が写真を撮ります。
若者は女ではなく、男の死骸を撮影しているのでした。
まもなく水道の栓をひねる音が聞こえました。
水をバケツに注いでいるような音が聞こえてきます。
嗅ぎなれない薬品の臭いがただよいます。
若者が両手にガラスの試験管を持ってでてきて、女に尋ねます。
(若者)
やっと調合ができたようです。
どうでしょう?
このくらい色がついたら大丈夫でしょうか?

若者の持つ試験管には一本にはペパーミント色の、もう一本には紫色の薬剤らしき液体が入っています。
まあ、なんと綺麗な色をしているんだろう?
まるで紫水晶とエメラルドのようだわね。
その色が出れば大丈夫だよ

と女は花やかに笑います。
若者が言います。
これさえあれば安心だ。
この薬で溶かしてしまえば何も跡に残りっこはない。
証拠になる物はみんな消えてなくなるのだ。

若者は試験管の中の薬剤を金盥(かなだらい)に注ぎ込んだ後、バケツの水を五六杯運んできて、金盥に入れました。
若者と女は二人で協力して死骸を持ち上げます。
二人は死骸を燕尾服を着せたままで金盥にどんぶりと放り込みました。
こうしておけば、明日の朝までには大概溶けてしまうでしょう。

だけどこんなに太っているから、いつぞやの松村さんのようなわけにはいきはしない。
体がすっかりなくなる迄にはだいぶ時間がかかるだろうよ

若者と女はこんな風に言います。
金盥は深いので、主人公は金盥の中で死骸が溶けていく様子を見ることができませんでした。
ただ死骸の太鼓腹とその周りのぷつぷつと細かい泡だけが見えます。
若者が金盥の中に視線をやってこういうのが聞こえました。
はは、今日の薬は非常によく効くようじゃありませんか。
御覧なさい。
この大きな腹がどんどん溶けていきますぜ。
この具合じゃ明日の朝までもかかりやしますまい。

主人公が金盥を見ていると、遺体の太鼓腹がしだいに縮まっていきます。
ついには白いチョッキの端が完全に水に沈んでしまいました。
うまくいったね。
あとは明日のことにしてもういい加減に寝るとしよう。

女がそう言うと角刈りの男が押し入れから立派な夜具を出して、部屋の中央に敷きました。
角刈りの若者は夜具を敷いてしまうと次の間の玄関に行きます。
若者は別に自分用の寝床を敷いています。
女は白羽二重の寝門着に着替えて布団の上に乗っかると、立ち上がり、手をあげて電灯のスイッチをひねりました。
ぱっとあたりが暗くなり、主人公も園村も我に返りました。
まもなく女の寝息と、若者の大きないびきが聞こえました。
女と角刈りの若者に気が付かれないように息をひそめてそこを逃げ出します。
逃げだす前に園村がこう言って軒下を指さします。
ちょいと待ちたまえ。
ほら、ここを見てごらん。
白い三角の印が書いてあるだろう。

たしかにそこには鱗の印が描いてありました。

園村の暴走

帰り際園村は主人公にこんなことを言います。


これから大いに面白くなるのだ。
僕は彼らたちに気取られないようにそっと接近してやるぞ。
まあなにをやりだすか見ていたまえ。

家に向かう帰りの車の中で園村はあの女の正体について考察します。
(園村)
一見芸者風だけど、英語ができるような教養がある。
彼女は上流階級に属するような女性かもしれない。
あの女はあの松村子爵の事件の犯人ではないだろうか?

松村子爵とは麹町に住んでいた華族です。
松村子爵はふた月前ほどに行方不明になりました。
子爵が行方不明になる前に、京都の停車場で子爵そっくりの紳士を見たという人がいました。
子爵は年の若い貴婦人風の女性と連れだって歩いていたそうです。
(園村)きっとその若い貴婦人風の女とはさっきの女だよ。
松村子爵はあいつらに殺されたんだ。

そういえば殺人を犯した女と角刈りの若者はこう言っていました。
こうしておけば、明日の朝までには大概溶けてしまうでしょう。

だけどこんなに太っているから、いつぞやの松村さんのようなわけにはいきはしない。
体がすっかりなくなる迄にはだいぶ時間がかかるだろうよ。

園村はこの「松村さん」とは松村子爵のことだろうと推測します。
そして今晩殺された太った男は、女と角刈りの若者が所属する犯罪組織の団長だろうと言います。
園村は「あの女は自分に惚れた男、それも自分より上の立場の男を殺すことに悦楽を覚える変態性欲の持ち主なのだろう」と言います。
園村はこの「恐るべき殺人鬼、そして同時に美しい魔女」である女に近づきたいと言い出します。
「あの女こそ生きた探偵小説のヒロイン!」とべたぼれなのです。
主人公は園村の酔狂をを止めようとしますが、園村は聞く耳を持ちません。

殺人犯と付き合いだした園村

数日後、主人公が園村の家に様子を見に行きました。
するとなんとあの女が園村の書斎にいるではないですか!
園村によると、彼はあの夜以来、水天宮の近所を徘徊して彼女を探しまわったそうです。
そして晴れて念願かなって彼女と交際を始めたというのです。
園村は主人公に女を紹介すると言います。
主人公は関わり合いになりたくないと断りました。
物陰から主人公はそっとあの女を眺めました。
服装や髪型が少し違いましたが、たしかにあの晩の女でした。
それからというもの主人公は園村が女とつれだって町で遊んでいるのをよく見かけます。
女は会うたびに雰囲気の違う恰好をしています。
一月後のことでした。
主人公は園村にあの女だけでなく、あの角刈りの男まで付き添っているのを発見します。
主人公は「あの男まで出てきたら園村はどんな危険な目に会うかわからない」と考え、園村に忠告するために、園村の家を訪れました。
すると玄関から取次の書生が出てきたのですが、なんとそれがあの角刈りの若者だったのです。
主人公が園村に「これはどういうことだい?」とくってかかると、園村は

うん、あの若者は彼女によると彼女の従弟だそうだ。
法科学生らしい。
もっともそれが本当かどうか知らない。
けれども彼女も彼もそう言っているから、僕もそういうことにして付き合っている。

園村は角刈りの若者が学費に困っている、と二人から聞いたので、書生に使ってやったというのです。
主人公が園村に忠告します。
あまりにも危険だ。
せめて角刈りの若者だけでも遠ざけろ。

しかし園村はこう言います。
僕だってあの若者が危険なことはよく知っている。
しかし僕はあの若者の面倒を見るように、彼女からくれぐれも頼まれたのだ。
僕はもう彼女の言葉に背くことができなくなったのだ……

主人公が口を酸っぱくして忠告しても園村は聞きません。
主人公はしかたなく
「もう君とはかかわりあいになりたくないよ」
と園村に絶交を言い渡しました。

園村からの手紙

主人公は園村に絶交を言い渡したもののそれほど本気ではありませんでした。

きっと寂しくなってしばらくしたら謝ってくるだろう。
私を怒らしたことを後悔しているに違いない。

そう思ってひと月が過ぎました。
しかし園村からは電話も手紙もありません。
主人公は心配になります。
ひょっとしたら、あの夜のあの太った男のように、殺されてしまったのでは?

そう心配しているうちに、園村から手紙が届きました。
封を開けてみると、こんなことが書かれていました。
これを僕の遺書だと思って読んでくれ。
僕は多分今夜のうちに彼女に殺されるだろう。
そしてこれはいかに逃れようとしても逃れられない運命だ。
また僕としてもそれほど逃れたいとは思っていない。
どうして彼女に殺されることになったか話そう。
彼女が僕に近づいたのは僕の財産目当てだった。
そして彼女は今もう僕の財産を巻き上げてしまった。
だから僕はもう彼女にとって用のない男になってしまった。
これが彼女が僕を殺す理由の一つだ。
また彼女は僕が彼女たちの秘密を知っていることに気が付いた。
それが彼女が僕を殺すもう一つの理由だ。
ゆうべ僕は庭先で暗号文字のメモを拾った。
それには彼女たちの僕を殺す計画が書かれていた。
暗号を解読すると、彼らは今夜の十二時五十分に例の場所で僕を殺すつもりらしい。
今夜の十二時五十分に水天宮のあの場所に来てくれ!
君に僕の最期を見届けてほしいのだ。
僕は彼女に喜んで殺されるわけだけど、僕は子孫があるわけでもなく、君のように著作があるわけでもない。
そのうえ死骸を溶かされてしまうのだから、僕がこの世に存在した痕跡は完全に影も形もなくなってしまうわけだ。
それはやはり寂しい。
せめて君だけには僕の生前の印象を少しでも深く頭の中に刻み付けておいてほしい

そういうわけで園村は自分が殺される現場を主人公に見に来てほしいと頼んだわけでした。
園村は主人公にこう注意を与えています。
お願いだから僕の命を救ってやろうだとは決して考えないでほしい。
たとえその動機が友情からであっても、君がそんなことをしたら僕はその時こそ君と絶交する。

主人公は園村に言われた通りに、十二時五十分に例の水天宮の路地に出かけていきます。
そして園村が女と角刈りの若者に殺されていく様子を見たのです。
園村の殺され方は、この前、太った男が殺されたのとまったく同じ方法でした。
最後に女と角刈りの若者がこう言うのを聞きました。
こやつも松村さんのように痩せているから、溶かしてしまうのに、造作はないね。

ですがこの男は幸せですよ。
惚れた女の手にかかって命を捨てれば、まあ本望じゃあありませんか。

ことの真相

それから二日目の朝でした。
主人公に差出人のない手紙が届きます。
中には園村の死に顔の写真と手紙が入っています。
手紙にはこう書かれています。

我々は園村氏の遺言をあなたに伝える。
園村氏の邸宅の書斎の机の引き出しに若干の金子が入っているから、それをあなたにさしあげる。

主人公はすぐに園村の家に向かいました。
ところがどうでしょう。
玄関に入ると、角刈りの若者が書生の恰好をして出迎えてくれました。
若者の案内で園村の書斎に入ると、そこには園村がぴんぴんと生きています。
(主人公)
俺をだましていたのか!

(園村)
いや、悪かったよ、実はこういうわけなのだ。

園村は種明かしをしてくれました。
あの女はもと女優の不良少女でした。
品行不良で劇団を追い出された彼女は、今は、金のある男をだまして生計をたてています。
角刈りの若者は以前園村の屋敷の書生でした。
若者も不良少年で、女と知り合いです。
女は角刈りの若者から「園村という男は金があって暇があって、変わった女が好きだ」と耳にします。
そこで女は園村を獲物に定めます。
園村が映画館で見た彼らの様子。
水天宮の長屋での殺人事件。
それらはすべて、女と角刈りの若者が園村を騙すために、しくんだ芝居だったのです。
殺された太った男も、女と角刈りの男の仲間で、ただ殺された演技をしただけでした。
もちろんあの「人を溶かす」という宝石色の薬剤もすべてでたらめです。
園村は女と知り合ってまもなく、あの殺人が狂言であったことを知ります。
しかし園村はそこまでして、男をだまそうと試みる女に、ますます思いを募らせます。
園村は女にこう頼みました。
僕の財産は残らずお前に上げるから、何卒僕をお前の手で、この前のようにして本当に殺してくれ。
これが、僕のお前に対するたった一つの願いだ。

園村は女に熱心に頼みました。
しかし女がいかに物好きな不良少女でも、まさかこんな願いをかなえてやることはできません。
そこで園村はこう女にお願いしたのでした。

そんならせめて僕を殺す真似だけでもやってくれ。
僕はその光景を僕の友だちに見せてやりたいのだから。

そういうわけで今度は三人で芝居をして主人公をだましたわけです。
園村はこう言います。
別に君をかつぎだくって、こんなことをしたわけではない。
僕という人間が彼女に殺された事実を、僕もできるだけ君と同様に真に受けていたかったのだ。
君に節穴から覗いていてもらったら、あの晩の気分や光景が余計真に迫るだろうと考えたのだ。
彼女が承知してくれれば、僕はいつでも本当に死んでみせる。

感想

刺激を求めて、ついに殺人事件を見物に出かけ、殺人犯の女性とつきあおうとする園村。
まるで『秘密』の主人公の後日談のようです。
谷崎潤一郎『秘密』より引用

私の心はだんだん「秘密」などと云う手ぬるい淡い快感に満足しなくなって、もッと色彩の濃い、血だらけな歓楽を求めるように傾いて行った。

殺人を犯すことに悦楽を覚える異常性欲の美女。
その女に殺されたいと思う男。
谷崎らしい作品です。
探偵小説に憧れる園村は永遠の少年のような素直さもあります。
人体を溶かしてしまう薬剤を素直に信じてしまうあたり、素朴さもありますね。
また犯行中の女と角刈りの若者が、被害者の体格について話す会話にそこはかとないユーモアを感じませんか?
(太っているから溶かすのに時間がかかるとか、痩せているからすぐに溶けるとか)

PR

本の要約サービス SUMMARY ONLINE(サマリーオンライン)月額330円で時短読書 小説の要約も多数あり!!

谷崎潤一郎 まとめ記事
谷崎潤一郎|おすすめ作品|代表作品|日本近代文学の最高傑作たち