谷崎潤一郎『鍵』 あらすじ

谷崎潤一郎『鍵』 あらすじ

お互いへの性的不満

一月一日(夫の日記)

夫は大学教授五十六歳、妻郁子は四十五歳です。

夫はセックスが弱いのですが、一方妻はもともと病弱で心臓も弱いのに、セックスは病的に強いのです。

妻は夫に不足しているわけですが、夫はもしそのために妻が別の男を作るのは絶えられないと考えていました。

夫は妻を愛しているのです。

夫は夫婦の行為は週一回ぐらいでちょうどよく、それも終わった後はぐったり疲れてしまいます。

しかし、いやいやだったり、妻のために義務としてやっているわけでは決してありません。

むしろその方面には興味津々で、ただ体力がついていかないというわけです。

また夫は妻は多くの女性の中でも極めて稀にしかいない「名器」の持ち主だと思っています。

彼女がもし昔の遊女だったら、必ず世間の評判になり、無数の男が競って彼女の客となり、天下の男子はことごとく彼女に悩殺されていたかもしれない、と考えています。

しかし、妻は夫以外の男性との経験はありませんし、夫が妻にそんなことを言ったこともないので、妻は自分が「名器」の持ち主だということは知りません。

また妻は精力絶倫ではあるわけですが、かといって夫婦の行為はあくまでもオーソドックスなものを好み、それ以外を夫に許しません。

彼女は京都の旧家に育ったたしなみぶかい女性で、変わったことをして快楽をもとめる、ということは嫌いなのでした。

例えば妻は美しい足の持ち主なので、夫はそれを愛撫したいのですが、妻は夏の暑い盛りでもいつも足袋を履いていて、見せてすらくれません。

一月四日(妻の日記)

妻も夫に負けじと日記を書きます。

一月四日、妻は夫の書斎で鍵が落ちているのを発見します。

妻は夫が長年日記をつけていて、それが入っている引き出し、引き出しの鍵をいろいろな場所に隠していることを知っていましたが、落ちている鍵を見るのは初めてでした。

しかし妻は夫が隠しているものを読むのはよくないと思っています。

日記帳の中を開けて見たりなんかしたことはありません。

妻は夫が鍵を落としていくなんて、夫が自分に日記を読んでほしいと思っているのだろうか?と思います。こんな複雑なことを考えます。

その夫が今日その鍵をあんな所に落して行ったのはなぜであろうか。

何か心境の変化が起って、私に日記を読ませる必要を生じたのであろうか。

そして、正面から私に読めと云っても読もうとしないであろうことを察して、「読みたければ内証で読め、ここに鍵がある」と云っているのではなかろうか。

そうだとすれば、夫は私がとうの昔から鍵の所在を知っていたことを、知らずにいたということになるのだろうか?

いや、そうではなく、「お前が内証で読むことを僕も今日から内証で認める、認めて認めないふりをしていてやる」というのだろうか?………

しかし妻はどのみち日記を読む気はありません。

妻はは自分でここまで、と決めている限界を越えて、夫の心理の中にまではいり込んで行きたくないのです。

私は自分の心の中を人に知らせることを好まないように、人の心の奥底を根掘り葉掘りすることを好まない。

ましてあの日記帳を私に読ませたがっているとすれば、その内容には虚偽があるかも知れないし、どうせ私に愉快なことばかり書いてあるはずはないのだから。

夫は何とでも好きなことを書いたり思ったりするがよいし、私は私でそうするであろう。

といいます。

妻も今年から日記をつけ始めました。

私のように心を他人に語らない者は、せめて自分自身に向って語って聞かせる必要がある。

ただし私は自分が日記をつけていることを夫に感づかれるようなヘマはやらない。

私はこの日記を、夫の留守の時を窺うかがって書き、絶対に夫が思いつかない或る場所に隠しておくことにする。

私がこれを書く気になった第一の理由は、私には夫の日記帳の所在が分っているのに、夫は私が日記をつけていることさえも知らずにいる、その優越感がこの上もなく楽しいからである。………

のだとか……

その後妻の夫への性の不満がかかれています。

内容は夫とそっくりです。

つまり彼女はセックスが強く、夫がすぐ疲れてしまうのを物足りなく思っています。

また彼女は夫が新奇な方法を好むのに、彼女はあくまでもオーソドックスな方法でしかやりたくないと思っています。

お互い日記を読んでいない割には考えていることが同じすぎて、ある意味気の合う夫婦のような気がしてしまいます。

夫が妻を熱愛しているのに対して、妻は夫をそれほど愛していないようです。

私と彼とは、性的嗜好が反撥はんぱつし合っている点が、あまりにも多い。

私は父母の命ずるままに漫然とこの家に嫁とつぎ、夫婦とはこういうものと思って過して来たけれども、今から考えると、私は自分に最も性の合わない人を選んだらしい。

これが定められた夫であると思うから仕方なく怺こらえているものの、私は時々彼に面と向ってみて、何という理由もなしに胸がムカムカして来ることがある。

と書いています。

そしてこのムカムカは今に始まったことではなくて、新婚旅行の時から始まっているというのです。

妻は結婚の第一夜、新婚旅行の晩、初めて眼鏡を外した夫の顔を間近で見て、ゾウッと身震いがしたというのです。

そしてそれ以来今でも夫の顔を明るいところで長い時間眺めているとゾウッとした気分になるそうです。

なるべく夫の顔を見なくてよいように夫婦の行為のとき、明かりを消そうとします。

しかし夫は明るくしたがり、また妻の体をじろじろ見ます。

特に夫は妻の足を見るのが大好きなのですが、妻はああしつこい、あくどい、べたべた、嫌だなあ、と思っています。