生母と継母
五十四帖を読み終り侍りて
ほととぎす五位の庵に来啼く今日
渡りをへたる夢のうきはし
(源氏物語五十四帖を読み終えた
ほとどぎすが五位の庵(主人公の家系が先祖代々住む屋敷)に来て鳴く今日「夢浮橋(源氏物語の最後の帖)」を読み終えた)
これは糺(ただす)の今はあの世の人となった母が残した歌です。
近衛流という万葉仮名をたくさん使う書道の流派の書法で色紙に書かれています。
しかしこれが糺(ただす)の生母なのか継母の作品なのかわかりません。
歌の書かれた色紙には「茅渟(ちぬ)女」とと書かれていますが、主人公の母も継母も二人とも「茅渟(ちぬ)」という名前を使っていたのです。
糺(ただす)の生母は戸籍上の名前も「茅渟(ちぬ)」でした。
継母は本名は別にありましたが、父に嫁いで以来、「茅渟(ちぬ)」という名前を使い、本名を使ったことはありませんでした。
父親が継母に書いた手紙はすべて「茅渟(ちぬ)殿」宛になっています。
また実母も継母も女性には珍しく近衛流の書道を稽古していたので、糺(ただす)はこの色紙が実母によるものか継母によるものか判断できないのです。
(近衛流の書体は漢字をたくさん使い、また肉厚な男性的な書体)
そして糺(ただす)の幼い頃の母に対する思い出も、それが実母のものだったのか、継母のものだったのかあいまいなのです。
糺(ただす)の生母の記憶
糺(ただす)は京都の郊外の風光明媚な屋敷で育ちました。
親子三人と乳母、三人の女中さんの七人で暮らしていています。
父は有閑階級で、かつ交際嫌い。
ときどき関係の銀行に顔を出す以外は、外部とのつきあいがほとんどありません。
お客さんもほとんどいない静かな暮らしです。
父は母さえいれば他に何もいらない、という男性で、趣味らしい趣味もありませんでした。
父の娯楽と言えば母に琴を奏でさせ、それを聴くことぐらいでした。
屋敷は千坪ほどですが、造園の技術のすぐれた庭師が丹精を凝らしたため、実際よりずっと奥深く幽邃な感じがします。
そんな屋敷で世間との交わりがほとんどなく、ただ妻だけを愛して暮らす男性……
それが糺(ただす)の父でした。
糺(ただす)が幼い頃、母はときどき池に面した奥座敷の勾欄から池の魚にお麩を投げてやります。
その時糺(ただす)は母に寄り添って一緒にお麩を投げます。
また糺(ただす)は母のやや太り気味な暖かで、厚みのある腿の肉の感触を味わいながら、母に抱かれて彼女の膝に腰かけていることもありました。
夏の夕暮れには家族三人で池の周りで夕食をとることもありました。
母が池に足を垂らして池の水に浸します。
水の中で見る母の足は外で見るよりも美しいものでした。
白くて丸っこいつみれのような足でした。
またある時、糺(ただす)が吸い物椀に浮いているジュンサイを見て
このねるぬるしたもんなんえ
と母に尋ねると、母は
これは、『ねぬなわ』よ
と答えます。
それを聞いていた父が、
『ねぬなわ』なんて言ったって今の人はわからない。 それはジュンサイというものだ
と笑うと。
母が
そうかて、『ねぬなわ』ちうたらいかにもぬるぬるしたもんらしい気イがしますやおへんか。 昔の歌にはなあ、みんなねぬなわて云うたありますえ。
と言った後、『ねぬなわ』の古歌を口ずさみます。
夜は父と母は奥座敷で眠り、糺(ただす)は両親の寝室から廊下を一つ隔てた部屋で乳母と一緒に眠りました。
糺(ただす)が母と一緒に眠りたくて、
お母ちゃんと寝さしてえな
と駄々をこねると、
母が
まあややさんやこと(まあ赤ちゃんだこと)
と糺(ただす)を抱き上げて、自分の閨へ連れていきます。
寝室には夫婦の寝床がすでにのべられていますが、父はまだ来ていません。
糺(ただす)は母と一緒に眠ります。
糺(ただす)は母の襟の間に顔をうずめます。
母の髪の匂いがします。
糺(ただす)は口で母の乳首のありどころを探り、それを含んで舌の間でもてあそびます。
母は黙っていつまでもしゃぶらせます。
糺(ただす)は母の乳首を握ったりなめずったりしながら、母の子守歌を聞いているうちに夢の中にはいります。
さて、糺(ただす)はこれらのことは「生母の思い出」だと思っていますが、実は確信しているわけではありません。
というのは糺(ただす)の生母は糺(ただす)が数え年六つの年に亡くなっているのです。
糺(ただす)は
自分の生母の記憶が、四つか五つの幼少時代の回想にしては詳しすぎる、ことによると、継母の印象とと生母の印象が重なり合って自分の記憶を混乱させているのではないか?
と考えています。
糺(ただす)の生母は主人公が数え年六つの年に、二番目の子供を胎内に宿しました。
そして妊婦特有の病気にかかり二十三歳で亡くなりました。
糺(ただす)は生母の顔立ちをはっきりと思い出すことができません。
ぽっちゃりとした丸顔が朦朧と浮かぶだけで、具体的にどんな顔立ちだったのかは記憶にないのです。
また生母と継母の印象と重なってしまっているというのも生母の顔をはっきりと思い出せない原因でした。
生母は写真嫌いでした。
家にある生母の写真は仏壇にある一枚だけ。
しかもそれは生母の嫁入り前の十六七歳の頃のものです。
糺(ただす)はその写真を見ましたが、思い出の中の生母と重なりません。
糺(ただす)が知っている生母とは髪型も違うし、写真の方が随分と太っていました。
母が亡くなってから、幼い糺(ただす)は母が恋しくてたまりません。
特に母に抱かれて眠った時の、髪の匂いと乳の匂いの入り混じった、生暖かい懐の中の甘いほの白い夢の世界、がなつかしくてたまりません。
継母がやってきた
糺(ただす)が小学校二年生の春です。
ある日学校から帰ってくると、屋敷の奥から琴の音が聞こえました。
糺(ただす)の生母は琴が上手で、よく池に面した勾欄で琴を弾いていました。
そのそばで父が母の琴に聞き惚れていたものです。
しかし母亡きあとは家の中で琴の音が聞こえることなどありませんでした。
どうしたのだろう?
と思って琴の音のするほうまで行くと、そこでは見知らぬ若く美しい女性が琴を弾いていました。
そばでは父が琴に聞き入っています。
女性が琴を弾いている場所は、母が生前、琴を弾いていた場所と同じです。
池に面した勾欄の上でした。
糺(ただす)さんてお云やすの? お父さんによう似ましといやすこと。
と女性は糺(ただす)に話しかけます。
女性のゆったりとしたこせつかないようすに糺(ただす)は好感を持ちます。
ふっくらとした丸い輪郭、小柄な背格好、悠々とした様子がなんとなく母に似ているような気がしました。
糺(ただす)が
あの人だれ?
と乳母に聞くと、乳母は
わたしもよく知りません。 今日でいらっしゃるのは三遍目です。 お琴を弾いたのは今日が初めてですけど。
と言います。
それからしばらくしてまたその女性は屋敷にやってきました。
琴を弾いたり父と糺(ただす)と一緒に三人で池の魚にお麩をやったりします。
糺(ただす)が九つになった年の三月のことでした。
糺(ただす)、ちょっとおいで。
糺(ただす)は父に呼ばれました。
なにか、あらたまった話があるようです。
父の話は、父があの若い女性と再婚することになったというものでした。
父はこう言います。
お父さんはお母さんをとても愛していた。
お母さんが亡くなってしまったときは、お父さんはどうしたらよいかわからなかった。
そんなときにあの人と知り合ったのだ。
あの人はいろいろなところでお母さんによく似ている。
顔の感じやら、ものの言い方やら、体のこなしぐあいやら、優しいだけやのうて奥行きの深いゆとりのある性分やら……
お前はお母さんの顔をはっきり覚えていないだろうが、今にきっといろいろなとこであの人がお母さんに似ていることを思い当たるようになるだろう。
お父さんはあの人に会わなかったら再婚する気になんてならなかっただろう。
ひょっとするとお母さんがお父さんや糺(ただす)のためを思って、お父さんとあの人をめぐり合わせてくれたのかもね。
それから父は糺(ただす)にこんな不思議なことを言いました。
父あの人が来たら、お前は、二度目のお母さんが来たと思たらいかん。
お前を生んだお母さんが今も生きてて、暫くどこぞへ行てたんが帰って来やはったと思たらええ。
わしがこんなこと云わいでも、今に自然そう思うようになる。
前のお母さんと今度のお母さんが一つにつながって、区別がつかんようになる。
前のお母さんの名ア茅渟(ちぬ)、今度のお母さんの名アも茅渟(ちぬ)。
その他、することかて、云うことかて、今度の人は前のお母さんとおんなしやのやぜ
客の少ない質素な結婚式のあくる日から、父は新しい妻を
茅渟(ちぬ)、茅渟(ちぬ)
と前の妻と同じ名で呼ぶようになります。
父に
さあ、お母ちゃんと呼ぶのや
と父に言われて糺(ただす)も継母を
お母ちゃん
と呼ぶようになります。
そして生母が生きていたときとほとんど変わらないような暮らしが始まりました。
生母の遺品の琴が持ち出されて、継母がそれを弾きます。
それを傍らに座った父がうっとりと聞き惚れます。
夏は池に床を出して親子三人で夕餉をとります。
継母は床から足を垂らして、池の水に浸します。
池の中ですき取っている継母の足を見ると、糺(ただす)は生母の足を思い出しました。
大人になった糺(ただす)の回想池の中で透き通っているその足を見ると、私は図らずも昔の母の足を思い出し、あの足もこの足と同じであったように感じた。
いや、もっと正確な表現をするなら、昔の母の足の記憶は既に薄れて消え去っていたのであるが、たまたまこの足を見て、正しくこれと同じ形であったことを思い起こした、と云った方がいいであろう。
そして継母も椀の中のジュンサイを「ねぬなわ」と言って、「ねぬなわ」の出てくる古歌を読みます。
糺(ただす)は大人になってから、過去を回想してみると、この足のことや「ねぬなわ」のことは生母の記憶が初めてで、継母の記憶は二回目だったのか、それとも継母が初めてだったのかはっきりしないのです。
父はつとめて生母の言ったことと、継母の言ったことを糺(ただす)が混同するようにしむけていたようでした。
継母も父の意向をくんで、そうするようにしていたようです。
継母に甘える糺(ただす)
継母が父の元にお嫁に来た年の秋のことです。
糺(ただす)が乳母と寝ようとしていると、継母が部屋に入ってきてこう言いました。
糺(ただす)さん。 あなた五つぐらいまでお母さんのお乳を吸っていたらことを覚えている? そしていつもお母さんに子守唄を歌ってもらっていたことを覚えている?
糺(ただす)が
うん。覚えているよ
と言うと、継母はこう尋ねます。
あなた、今でもお母さんにそうして欲しい?
糺(ただす)は
して欲しいことは、して欲しいけど。
と胸をときめかせて、顔を赤らめてそう答えました。
すると継母は
それなら、今晩はお母さんと一緒に寝ましょう。こっちへおいで。
と糺(ただす)の手をとって、自分の寝室に連れて行きました。
継母の寝室にはまだ父はいませんでした。
継母はごろりと横になり、頭を枕に乗せると、
お入り。
と言って掛け布団を上げて糺(ただす)を入れてくれました。
ちょうど糺(ただす)の鼻のところに継母の着ている半襟の合わせ目がありました。
継母はこう言います。
継母糺さん、お乳吸いたいか
継母長いことばあとばっかりねんねしてて、ほんまに淋しかったやろえな。
お母ちゃんと寝たかったら、何でそうやと早う云うておくれやへなんだんえ。
あんた、遠慮しといたのか
糺(ただす)が頷くと
継母けったいな児オえなあ、さあ、早お乳のあるとこ捜しとおみ
糺(ただす)は継母の半襟の合わせ目を押し開き、乳房と乳房の間に顔を押しつけて両手で乳首をもてあそびました。
糺(ただす)は継母の右と左の乳首を代わる代わる口の中に含みます。
しきりに舌で吸い上げてみたけれども、乳はどうしても出てきません。
糺(ただす)ちっとも乳出て来やへん、吸い方忘れてしもたんやろか
と糺(ただすが)不思議がると、継母はこう言います。
継母堪忍え、今にややさん生んで、乳が仰山出るようになるまでまっててやv
継母にそう言われても糺(ただす)は継母の乳を離そうとしませんでした。
いつまでもいつまでも継母の乳を舐り続けていました。
昔の生母の懐に漂っていた髪の油の匂いと乳の匂いの入り混じった世界が、乳の匂いはする筈がないのに、糺(ただす)には連想作用でそこにあるように感じられたのです。
大人になった糺(ただす)の回想あの、ほの白い生暖かい夢の世界、昔の母がどこか遠くへ持ち去ってしまった筈の世界が、思いがけなくも再び戻って来たのであった。
継母は子守唄を歌ってくれました。
糺(ただす)は感動のあまりその夜は寝付けず、ひたすら継母の乳首にかじりついていました。
継母が嫁に来て半年ほどの間に、糺(ただす)は生母と継母の切れ目がわからなくなります。
生母の顔を思い出そうとすると、継母の顔が浮かび、生母の声を思い出そうとすると、継母の声が聞こえました。
次第に生母の印象が継母の姿に変わり、それ以外の母というものが思い浮かばなくなりました。
父の思惑とおりになったのです。
糺(ただす)は十三四歳になってもときどき母の懐が恋しくなり、
お母ちゃん、一緒に寝させて
と頼んで、継母の布団に潜り込みます。
そして継母の半襟の合わせ目を押し開き、出ない乳を吸い、子守唄を聞きました。
そうしているうちに、すやすやと眠ってしまい、目が覚めるといつの間に運ばれたのか、自分の部屋で一人で寝ています。
糺(ただす)が「一緒に寝させて」と言うと継母は喜んで言われるままにします。
父もそれを許していました。
継母の経歴
糺(ただす)は長い間継母の本名もどういう経歴の人であるかも知りませんでした。
糺(ただす)は高等学校に入学するときの手続きで戸籍謄本が必要になりました。
戸籍謄本を取り寄せて、初めてそのとき継母の本当の名前が「茅渟(ちぬ)」ではなくて「経子(つねこ)」であることを知ります。
糺(ただす)が高等学校の一年生のときでした。
長年糺(ただす)の世話をしていた乳母が、五十八歳で暇を貰って故郷に帰ることになりました。
別れを目前にして二人で近くの神社にお参りいくと乳母が糺(ただす)にこう尋ねました。
坊ちゃんは今のお母さんのことについてどのくらい知っていらっしゃるのですか?
本当の名前は経子(つねこ)だっていうことを去年初めて知ったよ。
それしかご存知ないんですか?
うん。 お父さんも知ったらいけない、と言うし、お前だって何も教えてくれないんだから、僕はもうこのことは聞かないことに決めてるんだ。
私はご奉公している間はこのことは黙っていることにしましたが、まもなく故郷に帰ったら今度はいつ坊ちゃんにお目にかかれるかわかりません。 それにいずれは坊ちゃんもお分かりになることですしお話しましょう。
糺(ただす)は
このことはお父さんが話したがらないのだから、僕は知らないほうがいいだろう、
とは思いましたがやはり気になってしまいます。
乳母が「いずれはおわかりになることですし……」と話しだすのを強く止めはしませんでした。
乳母によると、継母の実家は京都の二条の色紙、短冊、筆墨を扱う裕福な商家でした。
しかし継母が十歳の時に倒産して、現在はその跡も残っていません。
その後、継母は十二歳のときに祇園に売られ、十三歳から十六歳まで舞妓をしていました。
そして十六歳のとき、富裕な木綿問屋の若主人に身請けされました。
正式な妻だったか、そうでなかったかはわかりません。
正式な妻ではなかったとしても、本妻同様の待遇を受けていたことは確かなようです。
継母十九歳ののときに、どういうわけか若旦那に離縁されてしまいます。
理由ははっきりしません。
夫の親や親戚たちが花柳界出身の彼女を嫌って追い出したのかもしれません。
道楽者の夫に飽きられたためかもしれません。
継母は離縁されるときには、相当な手当てをもらったようです。
夫に離縁されたのち、継母は実家に戻りました。
そこで隣近所の娘たちに茶の湯や生け花を教えて生計をたてていたのです。
継母が父に出会ったのはその頃でした。
ちなみに糺(ただす)の生母が亡くなったのは二十三歳。
継母は二十一歳で父と結婚しました。
父は三十四歳の時に継母と結婚しました。
父と継母が結婚したとき糺(ただす)は九歳。
糺(ただす)と継母の年齢差は十二歳です。
糺(ただす)は継母がたとえ数年にせよ花柳界にいたことを聞いて驚きます。
というのは継母は鷹揚で品がよく、昔の富裕な町家の伝統を残した女性です。
継母には花柳界の雰囲気などもみじんも感じられないのです。
糺(ただす)は継母が花柳界にいたことを知ったものの、継母の過去を総合して聞いた結果、むしろ好感を持ちました。
そして自分にこのような新しい母を与えてくれた父への感謝の念と、継母への尊敬と愛情をいよいよ強めたのです。
糺(ただす)に弟ができる。しかし……
乳母が実家に帰った次の年の正月のことでした。
糺(ただす)はもう二十歳になっています。
継母は身重になります。
二十年間一人っ子だった、糺(ただす)は初めて兄弟ができると聞いて大喜びです。
しかし父と継母そんなに嬉しそうではないのです。
継母は
今になってこんな大きいお腹して恥しことやわ
とか
三十越えてからの初産は重いちうやあらしまへんか
と不満そうです。
また
私には糺(ただす)さんという息子がいるから、それで結構だわ。 こんな年行ってから赤ちゃんを産みたいと思わない。
と言うのです。
父も継母も糺(ただす)の前で生まれて来る子の話をしたがらないのでした。
糺(ただす)がその話題を出しても二人とも浮かぬ顔をしています。
やがて継母は無事に男の子を生みました。
男の子は「武」と名づけられました。
しかしお産があってから半月ばかり後のことでした。
糺(ただす)が学校から帰ってくると武が家にいません。
糺(ただす)が
お父さん、武はどこへ行ったんです
と尋ねると、父は武は養子にやってしまったといいます。
父によると
父これにはいろんな訳があってなあ、いずれお前にも分って貰える時があると思うけど、まあ今のとこ、あんまりひつこう聞かんといとくれ。
これはわし一人の考から出たこっちゃない、あの児が生まれると決った日イから、お母さんとも毎晩毎晩相談し合うた上のこっちゃさかい、わしよりもお母さんの方がそうして欲しい云うてたんや。
とのことでした。
糺(ただす)が継母にこのことを尋ねます。
お母さん、これは一体どういうこと?
しかし継母はいつも通りの落ち着いた様子です。
子供は糺(ただす)さん一人で結構っていつも言っていたじゃないの。
かけがえのない生まれたばかりの最愛の息子を奪い去られた母親の悲しみらしいものを強いて押し隠しているにしては、あまりにも曇りのない眼をしています。
糺(ただす)はショックでその晩は眠れませんでした。
武が養子に行った家は田舎の農家でした。
交通が不便で、あたりいっぺんがススキがぼうぼうと生い茂った淋しい場所でした。
糺(ただす)の先祖の誰かがこの家に養子に行ったことがあったらしく、数代前から糺(ただす)の家と付き合いがあります。
糺(ただす)は数日後、武が養子に行った家を一人で訪れます。
糺(ただす)は何も知らない赤子の弟が、暮らしぶりも家柄も格差がありすぎる家に養子にやらされたことが不憫でなりませんでした。
朝早く家をたって、昼前にはその農家につきました。
すると野良から帰ってきた主人夫婦に会うことができましたが、彼らの答えは
武さんはここにいやはりまへん。
というものでした。
聞くと、武はもっと遠い田舎に預けられたというのです。
わけを聞くと夫婦はこう言います。
あいにく私たちの家には、今乳の出る女がいない。
それにお宅の旦那様も奥様も、ここよりもっと遠いところへ養子にやりたいとおっしゃるので。
糺(ただす)が、それはいったいどこですか?と夫婦にたずねても
旦那様と奥様が万が一若旦那様がいらっしゃっても、言ってはいけないとおっしゃってたのです
と教えてくれません。
糺(ただす)がなんとか聞き出すと、武はこの村よりもさらに山奥に預けられたとのことでした。
夫婦が教えてくれたのは村の名前だけでした。
家の名前は教えてくれません。
手掛かりが村の名前だけでは、武の居場所をつきとめるのは難しいだろうとあきらめ、糺(ただす)はその日は家に戻りました。
それから二三日の間、糺(ただす)は父母と、気まずい気持ちで夕餉の膳に向かい、互いにあまり話しませんでした。
お互いに武の話題を出すことはもうありませんでした。
継母は乳が張って困るらしく、ときどき姿を隠して搾乳機で乳を搾っています。
また父は最近体調がよくない様子です。
糺(ただす)は近いうちにやはり弟が預けられたという山村にいってみたい、どうやって両親に内緒で行こうか? と考えています。
なんと継母の! 衝撃の場面
ある日のことでした。
糺(ただす)がある部屋に置いてある本を読みたいと思って、その部屋に入ろうとすると、継母が搾乳機で乳を搾っているのに出くわしました。
継母がいつもとは違う場所で乳を搾っていたので思いがけなく居合わせてしまったのです。
胸をはだけている継母の二つの乳房を真正面から見てしった糺(ただす)は、はっとして庭へ降りようとします。
継母は
糺さん、まあそこにおいいな
といつもの落ち着いた様子です。
糺(ただす)が
また後でくるよ、こんなとこにお母さんがいると思わなかった
と狼狽しながら部屋を出ようとすると
継母は
行かいでもええ、もう直き済む、そこにおいいな
と止めます。
そして
これ見て御覧なさい、こんなに乳が張って、痛くて痛くてたまらないの
と糺(ただす)に話しかけます。
糺(ただす)が黙っていると、継母は左の乳房に当てていた搾乳機を右の乳房に当て、こう言いました。
あなた十三か十四のころまで、この乳を舐っていたのを覚えているでしょう? どんなに吸っても出ないって、駄々をこねていたわね。
ガラスの容器の中で乳房がいっぱいに膨れ上がり、乳が乳首から幾筋にもなって吹き出ました。
継母はそれをコップに移して糺(ただす)の前に差し出します。
継母今にややが出来て、乳が仰山出るようになったら糺さんにも吸わしたげるて、云うたことがあったえな、なあ糺さん
継母そな、これ飲んどおみ
継母にそう言われると、糺(ただす)の手が本人の意思とは関係なく勝手に動きました。
糺(ただす)は継母の乳の入ったコップを受け取り、甘く白い乳を口の中に含んでいました。
継母はこう言います。
継母どうえ、昔の味思い出したか。
あんた五つになるまで前のお母さんの乳吸うておいたそうやないか継母あんた今でも乳吸うたりお出来るやろか、吸えるのやったら吸わしたげるえ
そして自分の乳房をつかんで乳首を糺(ただす)の方へ向けます。
継母吸えるかどうか試しとおみ
糺(ただす)は継母の乳を口に含むとそれを舐りました。
最初はなかなか乳が出てきてくれなかったのですが、舐っているうちに昔の動作を思い出して、こんこんと舐り吸いました。そして思わず
お母ちゃん!
と、甘ったれた声を出しました。
ちなみに、この時糺(ただす)二十歳、継母三十二歳。
糺(ただす)の背の高さは継母より四五寸高い。
二人はこうやって半時間ほど抱き合っていました。
継母が
もう今日はこれでええやろ
と乳房を糺(ただす)の口から引き離すと、糺(ただす)は継母を突き抜けるようにして縁側から降り、物も言わずに庭へ逃げました。
糺(ただす)は継母はいったいどういうつもりだったのだろう? と考えます。
僕と継母が搾乳中に出くわしたのは偶然だから継母が計画的に仕組んだことではないだろう。
すると継母は突然僕に行き会い、急に僕を狼狽させて困らせてみたくなったのだろうか?
一種の出来心であんな悪戯をする気持ちになったのだろうか?
それにしては継母はずいぶんと落ち着き払っていた。
僕をからかおうとか誘惑しようという気はなくて、僕のことを身なりは大きくなっても十三四の時と同じように思っているのかもしれない。
継母が何を考えているかは謎です。
いっぽう自分がとった行動も自分でも思いがけないものでした。
思いもかけず継母の乳房を真正面から見た瞬間、たちまち懐かしい夢の世界が戻ってきて、さらに継母に誘われてあんなことをしてしまった。
といっても自分でも異常なことをしたのはわかっている。
僕にあんな狂気じみた心があったのだ。
という驚きと恥かしさに身の置き所がありません。
糺(ただす)は池の周りを一人でぐるぐると回っていました。
恥かしい、もうあんなことをしたくないと思いつつも、もう一度、いや二度、三度もあんなことをしてみたいという気もしました。
またあの状態に置かれて、継母から誘いをかけられたら僕は拒む勇気はないだろう
とも思います。
父の遺言
ところで最近父の体の調子が悪いようなのです。
去年の暮れのあたりから血色が悪く、痩せてきました。
咳や痰はありませんが、微熱があるらしいところを見ると、胸の疾患のようです。
父はちょっと散歩にいってくると言っては、こっそり病院に診察に行きます。
糺(ただす)はそれをかぎつけて医者に父の症状を聞きにいきました。
医者によると、父は不治の病でもう長くはないとのことでした。
糺(ただす)はこう疑います。
あの搾乳機の事件は父がしくんだことではないか?
若くして未亡人になる継母のことを考えて、血のつながらない妻と息子の関係を強くするために父がしくんだことなのではないか?
また武を里子に出したことも、それと関係があるのではないか?
まもなく父は危篤となりました。
父はこんな奇妙な遺言を残しました。
父わしはもう長いことはない。
これが定命やさかい諦めている。あの世へいったら、前のお母さんが待ってるやろさかい、久し振で逢えると思うと嬉しい。
それよりは、わしはこのお母さんが気の毒でならぬ。
このお母さんはまだまだ先が長いのに、わしがいんようになったら、もうお前より外に頼りにするもんは一人もない。ついてはお前、このお母さんを、このお母さん一人だけを、大事にしたげてくれ。
お前の顔はわしの顔によう似てると皆がそう云う。
わしもほんにそうやと思う。お前は年を取れば取る程わしに似て来る。
お母さんはお前がいたら、わしがいるのと同じように思う。
お前はお母さんをそう云う風にして上げることを、この世の中での唯一の生き甲斐にして、外に何の幸福も要らぬ、と云う心になってくれんか
糺(ただす)が頷くと父はさらにこう続けます。
父それで、お母さんを仕合せにするためには、お前が嫁を貰う必要があるが、それはお前のための嫁ではのうて、夫婦でお母さんに仕えるための嫁でないといかん。
それにはあの、梶川の娘のお沢と云う子、あの子を考えてるのやが
梶川の娘のお沢というのは、沢子ともいい、糺(ただす)の住む屋敷の庭師の娘でした。
梶川家は祖父の代から糺(ただす)の家の庭師をしています。
娘の沢子(お沢)も毎年葵祭の時に屋敷に遊びに来るので、糺(ただす)とは顔見知りでした。
細面の色白のうりざね顔の美少女です。
糺(ただす)と同じく二十歳でした。
父は糺(ただす)に沢子と結婚するように言ったのち、さらにこう付け加えます。
お母さんがお前のために自分の生んだ子をよそへ預けたように、お前ももし子供が生まれたら家に置かないことだ。
ただこんなことは、嫁や嫁の親たちに今から知らすに及ばない。
その必要が起こるまで、お前の胸に収めておけばよい。
結婚は早いに越したことはない。
お父さんの一周忌が終わったらただちに式を挙げなさい。
まもなく父は亡くなりました。
継母と糺(ただす)と沢子
糺(ただす)は大学生になりました。
もともとお客の少ない家でしたが、父が亡くなってからはさらに来客が減りました。
訪ねてくるのは、糺(ただす)の婚約者の沢子とその親だけでした。
継母は常にしゃんとしていて琴を弾いたり、来客を応対していましたが、今頃になって少し疲れがでてきたのでしょうか? 時々女中さんたちに肩や足腰を揉ませていました。
そんな場面に沢子が居合わせて、
奥さん、私にさしとくりやす
と申し出ます。
そして沢子が継母の按摩をするのでした。
継母はこう言って喜びます。
沢子さんは按摩が上手ですね。
本物の按摩さんだってここまで上手ではない。
こうやって揉んでもらっていると、とろとろ眠くなってくる。
継母が
継母これやったらくろうと裸足どすえ。糺さんあんたもして貰とおみ
というと、糺(ただす)はこう断ります。
僕は按摩なんかしてもらわなくていいよ。
それよりも僕は沢子さんの弟子になって揉み方を教えてもらおう。
それでお母さんを揉んであげるよ。
それからしばらくは、糺(ただす)と沢子は継母の体を稽古台にして、揉み療治の稽古をしました。
結婚を間近にして沢子はたびたび糺(ただす)の家を訪れます。
糺(ただす)は沢子に物足りなさを感じます。
というのは沢子は糺(ただす)にも継母にも封建的で、控えめすぎる態度をとるのでした。
糺(ただす)は
もう少し打ち解けてくれたらいいのに、女学校を出た娘にしては時代遅れだ
と思います。
糺(ただす)は沢子の態度を不満に一方で、
こういう古風で控えめな娘だからこそ、お父さんのお眼鏡にかなったのでは
とも考えます。
まもなく糺(ただす)はひととおりの按摩術を習得しました。
今では沢子がいない時もしばしば継母の体を揉みます。
沢子がいるときでも、沢子を押しのけて、
僕にさしてんか、あんた見てなさい
と母を揉みます。
継母に乳を吸わせて貰った昔が忘れられない糺(ただす)にとっては、継母の肉体を着物の上から揉みほぐすことが、今では唯一の楽しみでした。
父の一周忌が来ました。
一周忌の来客の継母や糺(ただす)に対する態度は非常に冷淡でした。
親戚たちは父親が舞子あがりの後妻をもらったときから、父に反感を持っていたのです。
さらに息子の糺(ただす)が身分違いの植木屋の娘と婚約したので、糺(ただす)の一家を軽蔑するようになっていたのでした。
しかしそれにしても冷淡すぎる、彼らの態度の理由について、糺(ただす)は法事にやってきた乳母から聞かされます。
乳母によれば、親戚たちは糺(ただす)と継母の間に不倫な関係があると信じているというのです。
そしてその関係は父の存命中からで、父が自分が長生きできないことを悟ってから、それを大目にみていたらしい。
さらに田舎に里子にやられた武は本当は父の子ではなくて、糺(ただす)の子ではないのか? という噂がささやかれているといいます。
糺(ただす)の結婚相手が沢子なのは、丙午(ひのえうま)の植木屋の娘でもなければ嫁の来てがないからである……
また嫁を迎えるのも、形式的にでも結婚すれば、世間を欺いて、今後も糺(ただす)と継母の不倫な関係を続けられるからである……
梶川家や沢子はそれを承知で糺(ただす)と結婚するわけであるが、それは糺の家の財産が目当てである……
乳母からそう聞かされた糺(ただす)は
糺(ただす)無責任な人の噂みたいなもん、直に忘れられてしまうもんやぜ、何とでも勝手に云わしとくねやな
と答えます。
まもなく糺(ただす)と沢子は結婚式を挙げました。
花婿の糺(ただす)の服装は母のいいつけで父の形見の紋付でした。
糺(ただす)の親戚は父方も、母方も一人も来ませんでした。
来たのは沢子の実家の親戚と、父の主治医だけでした。
結婚後も沢子の糺(ただす)と継母に対するかしこまった態度は変わりませんでした。
糺(ただす)は沢子との間に子供ができないように努め、いちどもそれを怠ったことがありませんでした。
表向きは継母と新婚夫婦たちの関係は至極円満に見えます。
継母はのんびりとした屈託のない暮らしをしています。
暇があれば近衛流の習字をし、国文学の書を繙き(ひもとき)、琴を弾き、庭を散歩し、くたびれれば昼夜の分かちなく私達に足腰を揉ませた。
というのがその頃の継母の生活でした。
夜の按摩は糺(ただす)が呼ばれたことはなく、いつも沢子に限られていました。
たまには三人で観劇や遊山にも出かけます。
もともと色つやがよかった継母はますます色つやがよくなり、顎が二重顎になりかけます。
継母はこれ以上太ったら醜くなる程度まで肥えてきました。
継母の死
糺(ただす)が沢子と結婚して三年、糺(ただす)が大学三年生の初夏でした。
夜十一時頃、糺(ただす)は沢子に強く揺り起こされて眼を覚ましました。
沢子お母さんがえらいこってすのや、起きとくりやす
沢子に連れられて、母の寝室に急ぎます。
継母はうつ伏せに寝て、枕を両手で苦しそうにつかんでいます。
微かなうめき声を漏らしていました。
沢子あんた、これやのどすがな
沢子はそう言って、継母の枕もとの畳の上に伏せてある団扇をとってのけてみせました。
団扇の下には一匹の大きなムカデが押しつぶされて死んでいました。
沢子に事情を聴くと、その夜沢子は、十時過ぎから継母のいいつけで継母の体を揉んでいました。
肩から腰を揉み終わって、右足の踝を揉んでいる時でした。
それまですやすやと寝息を立てていた継母が、にわかに苦悶の声を発して、足の指先を痙攣させます。
沢子が驚いて、仰向きに寝ている継母の顔を覗き込もうとすると、ムカデが継母の心臓部に近い所をはっていました。
仰天して沢子は近くに転がっていた団扇で払いのけます。
ムカデが畳に落ちたので、沢子は団扇の上から手で押しつぶしたというのです。
すぐに医者が駆け付け、応急の措置を取りました。
しかし母の苦悶は刻刻に増していき、最後には亡くなってしまいました。
医者の言葉は
ショック死と考えるより外考えようがありません
というものでした。
沢子は
沢子うちがもうちょっと気イつけてたらよかったのに、……
ついうっかりしてお御足やの方ばっかり揉んでまして、……沢子私が悪おしたんや、私が悪おしたんや
と声を上げて泣きました。
しかし糺(ただす)は沢子にこのような疑いを持っています。
沢子が継母を按摩していた部屋にはムカデがしばしば出ました。
だからたびたびこの部屋で母を按摩していた沢子が
今度ムカデが出たらああしよう
というような考えを持ってもおかしくないのでした。
もっともムカデを人の肌に這わせても、その人が亡くなることなんてめったにないでしょう。
しかし母はもともとあまり心臓がよくないので、沢子がそれに望みをかけたということもありえます。
また、沢子の言葉も不審な点が沢山あります。
お母さんの足をさすっていたら、お母さんが苦しがる声がしました。
驚いてお顔を見ようとしたときに、お母さんの心臓の付近にムカデが這っているのを見つけました。
というのですが、そのとき継母は胸をあらわにしていたわけではありません。
継母は寝間着を着ていたわけですから、寝間着の下を這っていたはずのムカデを偶然見かけたというのはおかしいのです。
沢子は前からムカデが継母の胸の上にいたことを知っていたのではないでしょうか?
糺(ただす)は
もっともこの疑いは僕の単なる空想でなんの証拠もない
と思っています。
しかし糺(ただす)は長い間、こういうわけだったのではないか? と沢子を疑っていたのでした
その後
継母が亡くなってから三年がたちました。
糺(ただす)は大学を卒業し、父が重役をしていた銀行の行員になりました。
また考えるところがあって沢子と離縁しました。
沢子と離縁すると同時に、子供のころからの思い出いっぱいの屋敷を人に譲って、小さな家に移りました。
そして山奥に養子にやられていた弟の武を連れ戻して一緒に暮らすことにしました。
武の世話は故郷に帰っている乳母に頼むことにしました。
乳母は
乳母そう云うことなら、もう一度ちっさいぼんちゃんのお相手をさせて戴きましょう。
と出てきてくれました。
武は今年七歳、小学校の一年生です。
連れ戻した当初はなかなか糺(ただす)や乳母になついてくれなかった武でしたが、今ではすっかり親しみ深くなりました。
糺(ただす)にとって一番嬉しいことは、武の顔が継母にそっくりなこと。
それのみならず武は継母のあの鷹揚な、物にこせつかない性分を受け継いでいるらしいのでした。
糺(ただす)は二度と妻を娶るつもりはありません。
継母の形見の武とともにこの先長く暮らして行きたいと考えています。
糺(ただす)は幼くして生母をなくし、若くして父と継母をなくしました。
せめて武が一人前になるまでは生きながらえて、弟には自分のような寂しい思いをさせたくないと願っているのです。
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