三味線の音
潤一が歩き続けていると、遠くから三味線の音がしました。
それは
天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい
と言っているように聞こえています。
潤一が三味線の音が「天ぷら喰いたい」と言っているように聞こえるようになったのは、まだ日本橋で裕福な暮らしをしていたとき、ばあやが、家の近くを通った弾き流しをしている芸人の三味線を聞いて
ほら、ね、あの三味線の音を聞いていると、天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい、と 云っているように聞えるでしょ。
ねえ、聞えるでございましょ
と言っていたからでした。
天ぷら喰いたい……天ぷら喰いたい……
という三味線の音を聞きながら潤一は長い間歩き続けます。
もう二年も、三年も、ひょっとしたら十年も歩き続けたような気がしました。
潤一は歩きながら、
私はもう此の世の人間ではないのかしら?
人間が死んでから長い旅に上る、其の旅を私は今しているのじゃないかしら
人間が死んでから長い旅に上る、其の旅を私は今しているのじゃないかしら
と思います。