『母を恋ふる記』あらすじ 感想

三味線を弾く若い女性の後ろ姿

しだいに三味線の音は大きくなり、潤一はついに三味線を弾く人の人影を認めます。

今や其の三味線の音は間近くはっきりと聞えている。

 

さらさらと砂を洗う波の音の伴奏に連れて、

冴えた撥のさばきが泉の消滴のように、

 

銀の鈴のように、神々しく 私の脳に沈み入るのである。

 

三味線を弾いている人は、疑いもなくうら若い女である。

昔の鳥追いが被っているような編笠を被って、

少し俯向いて歩いている其の女の襟足が月明りのせいもあろうけれど、

驚くほど真白である。

 

若い女でなければあんなに白い筈がない。

 

時々右の袂の先からこぼれて出る、

転診を握っている手頸も同じように白い。

 

まだ私とは一町以上も離れているので、

着ている着物の縞柄などは分らないのに、其の襟足と手頸の白さだけが、

沖の波頭が光るように際立っている。

潤一はこう思いました。

あ。わかった!

あれは人間ではない。

きっと狐だ。

狐が化けているのだ。

潤一は、成る可く是音を立てないように恐る恐る其の人影に付いて行きました。

人影は相変らず三味線を弾きながら、振り向きもせずにとぼとぼと歩いています。

しかしあの若い女性がもしも狐だとすれば、潤一に後をつけられているのに気が付かないはずがありません。

きっとわざと知らんぷりをしているのでしょう。

女の後姿は次第次第に近づいて来ました。

女の踵は、――此の寒いのに女は素足で麻裏草履を穿いている。

 

――此れも襟足や手頸と同じように真白である。

(中略)

恐ろしく長い裾である。

 

其れはお召とか縮緬とか云うものでもあろうか、

芝居に出て来る色女や色男の着ているようなぞろりとした裾が、

足の甲を包んで、ともすると砂地へべったりと引き摺るほどに垂れ下っている。

 

けれども、砂地がきれいであるせいか足にも裾にも汚れ目はまるで付いていない。

 

ぱたり、ぱたりと、草履を挙げて歩く度毎に、

舐めてもいいと思われるほど真白な足の裏が見える。

 

狐だか人間だかまだ正体は分らないが、

肌は紛うべくもない人間の皮膚である。

 

月の光が編笠を滑り落ちて寒そうに照らしている襟足から、

前屈みに屈んでいる背筋の方へかけて、

きゃしゃな背骨の隆起しているのまでがありありと分る。

 

背筋の両側には細々とした撫肩が、

地へ曳く衣と共にすんなりとしている。

 

左右へ開いた編笠の庇よりも狭いくらいに、

其の肩幅は細いのである。

 

折々ぐっと俯向く時に、

びっしょり水に濡れたよ うな美しい葛の毛と、

其の毛を押えている笠の緒の間から、

耳朶の肉の裏側が見える。

 

しかし、見えるのは其の耳朶までで、

其れから先にはどんな顔があるのだか、

笠緒が邪魔になってまるっきり分らない。

 

なよなよとした、風にも堪えぬ後姿を、

視詰めれば視詰めるほど、

ますます人間離れがしているように感ぜられて、

やっぱり狐の化けているのではないかと訝しまれる。

 

いかにも優しい、か弱い美女の後姿を見せて置いて、

傍へ近寄ると、「わっ」と云って般若のような物凄い顔を此方へ向けるの じゃないか知らん。