谷崎潤一郎『魔術師』耽美な名作

あらすじ

架空の異国の怪しい魅力を放つ公園

私があの魔術師に会ったのは、

何所の国の何と云う町であったか、

今でははっきりと覚えて居ません。

 

――どうかすると、其れは日本の東京のようにも思われますが、

或る時は又南洋や南米の殖民地であったような、

或は支那か印度辺の船着場であったような気もするのです。

物語はこのように始まります。

つまり舞台は実際には地球上には存在しない、架空の町なのです。

その町には怪しい魅力を放つ公園がありました。

それがどんな公園だったかというと……

あなたが、其の場性質や光景や雰囲気に関してもう少し明瞭な観念を得たいと云うならば、

まあ私は手短かに浅草の六区に似て居る、

あれよりももっと不思議な、

もっと乱雑な、そうしてもっと頽爛した公園であったと云って置きましょう。

 

若しもあなたが、浅草の公園に似て居ると云う説明を聞いて、

其所に何等の美しさをも懐しさをも感ぜず、

寧ろ不愉快な汚穢な土地を連想するようなら、

其れはあなたの「美」に対する考え方が、

私とまるきり違って居る結果なのです。

 

私は勿論、十二階の塔の下の方に棲んで居る“venal nymph”の一群をさして、

美しいと云うのではありません。

 

私の云うのは、あの公園全体の空気の事です。

 

暗黒な洞窟を裏面に控えつつ、

表へ廻ると常に明るい歓ばしい顔つきをして、

好奇な大胆な眼を輝やかし、

夜な夜な毒々しい化粧を誇って居る公園全体の情調を云うのです。

 

善も悪も美も醜も、笑いも涙も、

凡べての物を溶解して、

ますます巧眩な光を放ち、

炳絢な色を湛えて居る偉大な公園の、

海のような壮観を云うのです。

 

そうして、私が今語ろうとする或る国の或る公園は、

偉大と混濁との点に於いて、

六区よりも更に一層六区式な、

怪異な殺伐な土地であったと記憶して居ます。

 

浅草の公園を、鼻持ちのならない俗悪な場所だと感ずる人に、

あの国の公園を見せたなら果して何と云うであろう。

 

其所には俗悪以上の野蛮と不潔と潰敗とが、

溝の下水の澱んだように堆積して、

昼は熱帯の白日の下に、

夜は煌々たる灯火の光に、

恥づる色なく発き曝され、

絶えず蒸し蒸しと悪臭を醗酵させて居るのでした。

 

けれども、支那料理の皮蛋の旨さを解する人は、

暗緑色に腐り壊れた鵞の卵の、

胸をむかむかさせるような異様な匂いを堀り返しつつ、

中に含まれた芳欝な渥味に舌を鳴らすと云う事です。

 

私が始めてあの公園へ這入った時にも、

ちょうど其れと同じような、

薄気味の悪い面白さに襲われました。

かなり長い引用になりましたが、この架空の異国の町の雰囲気がわかったかと思います。

人間には明るく、清潔で整ったものを美しいと感じる一方、上記のような雰囲気に惹かれてしまうところがあるのですね。

例えば今は取り壊された香港の超巨大スラム街、「九龍城砦」なども、ゲームやレストランになったりして、日本人に人気がありますよね。

他にもごちゃごちゃしたカオス的な街、というのは人を引き付ける魅力があり、映画やアニメーションなどエンターティメントの中でよく使われます。

この小説はそんな異様な美しさを放つ公園を舞台とした耽美的ストーリーです。

恋人に公園に行くことを誘われる

さて、主人公の男性には恋人がいました。

ある日デート中に恋人は主人公にこう語りかけます。


(彼女)
ねえあなた、今夜これから公園へ行ってみようではありませんか?

(主人公)
公園? 公園に何があるのさ?

(彼女)
だってあなたはあの公園が大好きなはずじゃありませんか。

私は初めあの公園が非常に恐ろしかったのです。

娘の癖にあの公園へ足を踏み入れるのは、恥辱だと思っていたのです。

それがあなたを恋するようになってからは、いつしかあなたの感化を受けて、ああいう場所に言い知れぬ興味を感じ出しました。

あなたに会うことが出来ないでも、あの公園へ遊びに行けば、あなたに会っているような心地を覚えはじめました。

……あなたが美しいようにあの公園は美しいのです。

あなたが物好きであるように、あの公園は物好きなのです。
あなたはよもやあの公園を知らない筈はないでしょう。

おお知っている。知っている。

と主人公は答えました。

そうです。

その公園ではいつもいろいろな珍しい見世物が催されているのです。

それは

  • アムフィセアタア(円形劇場、古代ギリシャの遺跡にあるようなものですね)
  • スペインの闘牛
  • Hippodrome(古代ギリシャ・ローマの競馬・戦車競走の競技場)
  • 世界中の人間の好奇心をそそのかす、身の毛のよだつようなフィルムが、白昼の幻の如くさまざまと写されている活動写真。

恋人は主人公でそこで見たさまざまな活動写真について語ります。

恋人の話を聞いていると、彼女の語る活動写真の場面がありありと目に浮かび、主人公は恍惚とします。

主人公は恋人にこう言います。

しかしおそらくあの公園には、もっと鋭く我々の魂を脅かし、もっと新しく我々の官能を蠱惑する物があるだろう。

―物好きな私が、夢にも考えたことものない、破天荒な興行物があるだろう。

私にはそれがなんだかわからないが、お前は定めし知って居るに違いない。

恋人はこう答えます。

そうです。

私は知っています。

それはこの頃公園の池の汀(みぎわ)に小屋を出した、若い美しい魔術師です。

彼女はこう続けます。

私は度び度び其の小屋の前を素通りしましたが、

まだ一遍も中へ這入ったことがないのです。

 

其の魔術師の姿と顔とは、

余りに眩く美しくて、

恋人を持つ身には、近寄らぬ方が安全だと、

町の人々が云うのです。

 

其の人の演ずる魔法は、

怪しいよりもなまめかしく、

不思議なよりも恐ろしく、

巧緻なよりも奸悪な妖術だと多くの人は噂して居ます。

 

けれども小屋の入り口の、

冷い鉄の門をくぐって、

一度魔術を見て来た者は、

必ずそれが病み付きになって毎晩出かけて行くのです。

 

どうしてそれ程見に行きたいのか、

彼等は自分でも分りません。

 

きっと彼等の魂までが、

魔術にかけられてしまうのだろうと私は推量して居るのです。

 

――ですがあなたはその魔術師をまさか恐れはしないでしょう。

 

人間よりも鬼魅を好み、

現実よりも幻覚に生きるあなたが、

評判の高い公園の魔術を、

見物せずには居られないでしょう。

 

たとえいかなる辛辣な呪咀や禁厭を施されても、

恋人のあなたと一緒に見に行くのなら、

私も决して惑わされる筈はありません。

主人公も彼女に同意しました。

(主人公)
それではこれからすぐに公園へ行ってみよう。

われわれの魂が魔法にかかるかかからないか、お前と一緒にその男を試してやろう!

公園に向かう

主人公は恋人と通れ立ち、公園に向かいました。

街頭の人ごみを眺めていた主人公は、その雑踏に異様な現象が現れていることに気が付きます。

町の四方から四条の道路が、四つ辻の噴水に集まっています。

そのうち北、東、西から来た道路はみな四つ辻の広場に集まった後、皆そろって南の道路に向かうのです。

いったい南の道路の先には何があるのでしょう。

(彼女)
御覧なさい。

これ程大勢の人たちがみんな公園へ吸い寄せられて行くのです。

さあ! われわれも早くでかけましょう!

恋人にこう言われて。主人公は南の道路を進みます。

雑踏の中で彼女とはぐれないように、鉄の鎖の如く頑丈に腕を組みあって南に向かいました。

周りの人々は異常なほどバカ騒ぎをしています。

主人公は周りのバカ騒ぎをする人々と彼女を比べて、彼女のしとやかさ、純潔さにハッとします。

一時間程たち、公園にたどり着きました。

それまで同じ方向に一斉に進んでいた人々は散り散りになり、思い思いの方面へと散らばっていきます。

公園の異様な光景

たどり着いた公園は、公園といっても見渡す限り丘もなく、森もありません。

人工の極致をつくした、奇怪な形の巨大な高層建築が、フェアリーランドの都のように甍を連ね、電飾をギラギラさせてそびえているのでした。

広場の中心に范然と彳立したまま、

其の壮観を見渡した私は、

先づ何よりも、天の半ばに光って居る Grand Circus と云う広告灯のイルミネエションに胆を奪われました。

其れは直径何十丈あるか分らない極めて尨大な観覧車の如きもので、

ちょうど車の軸のところに、

グランド、サアカスの二字が現れているのです。

 

そうして、数十本の車の輻には、

一面の電球が赫爍たる光箭を放ち、

さながら虚空に巨人の花傘を拡げたような環を描いて、

徐々に雄大に廻輾を続けて居ます。

 

而も一層驚く可き事は、

素肌も同然な肉体に軽羅を纏うた数百人のチヤリネの男女が、

炎々と輝く火の柱に攀じ登りつつ、

車の廻るに従って、上方の幅から下方の輻へと、

順次に間断なく飛び移って居る有様です。

 

遠くから其れを眺めると、

車輪全体へ鈴なりにぶらさがって居る人間が、

火の粉の降るように、

天使の舞うように、衣を翩々と翻えして、

明るい夜の空を翺翔して居るのでした。

 

私の注意を促したのは、

此の車ばかりでなく、

殆んど公園の上を蓋うて居る天空のあらゆる部分に、

奇怪なもの、道化たるもの、

怪麗なものの光の細工が、

永劫に消えぬ花火の如く、

蠢き閃き、のたくって居るのを認めました。

 

若しあの空の光景を、

両国の川開きを歓ぶ東京の市民や、

大文字山の火を珍しがる京都の住民に見せたなら、

どんなにびっくりすることでしょう。

 

私が其の時、ちょいと見渡したところだけでも、

未だに忘れられない程の放胆な模様や巧緻な線状が数限りなくあるのです。

 

たとえて云えば、其れは誰か人間以上の神通力を具備して居る悪魔があって、

空の帳に勝手気儘な落書きを試みたとも、

形容することが出来るでしょう。

リオのカーニバルやディズニーランドのエレクトロニカルパレードのようなものでしょうか?

こういったエンターティメントが、もっと華やかにさらに豪華に、というのを突き進めていったなら…

そしてそれを実現させる技術上の制限がないとしたら…

ついには、こんなことになりそうですね。

建物の形もかなりカオスです。

  • 日本の金閣寺風の伽藍
  • アラビア風の建物
  • ピサの斜塔を更に傾けたような塔
  • さかづき型に上へ行くほど膨らんでいる殿堂
  • 家全体を人間に模した建物
  • 紙屑のように歪んだ屋根
  • タコの脚のように曲がった柱
  • 波打つもの
  • 渦巻くもの
  • 弯屈するもの
  • 反り返ったもの

種々雑多な変わった建物がそろっており、めちゃくちゃです!

主人公が公園の異様な光景に恍惚としていると恋人に話しかけられます。

(彼女)
あなたは何が珍しくて、そんなに見惚れていらっしゃるの?

この公園へは度々お出でになったのでしょう?

主人公はこう答えます。

私は此処へ何度も来ている。

……だがしかし何度来ても私は見惚れずには居られないのだ。

其れ程私は此の公園が好きなのだ。

口ではこういうものの、主人公は本当にここにしょっちゅう来ているのか、それとも今日が初めてなのかはっきりしない感じです。

魔術師の小屋はここにあるのです。

さあ早く行きましょう!


と恋人に導かれて主人公はある奇怪なアーチをくぐりました。

それは鎌倉の大仏ほども大きい、真っ赤な鬼の首が、鋭い歯を見せて口を大きく開いていた形をしています。

そして鬼の上顎と下顎の間がアーチになっています。

二人は、アーチをくぐります。

アーチをくぐった後の風景はいままでに輪をかけて奇怪でした。

その風景を主人公は

其処には妙齢の女の顔が、腫物の為に膿みただれて居るような、美しさと醜さとの奇抜な融合があるのです。

と表現しています。

主人公は、歩みを進めるうちに、底知れぬ恐怖と不安を覚えて、幾度も引き返そうとしたほどでした。

しかしそんな主人公を前に進ませたのは恋人でした。

彼女は、主人公の心の憶するに従い、ますます軽快に子供のような無邪気な足どりで、勇ましく進んでいくのでした。

空想の中、主人公と彼女の愛の会話

さて主人公は彼女と歩きながら、心の中でこんな彼女との会話を空想します。


(主人公)
君のような正直な、柔和な乙女が、この恐ろしい街の景色を、どうして平気で見て居られるのだろう

(彼女)
わたしにはあなたという恋人がいるからです。

恋の闇地に入った者には、恐ろしさもなく恥ずかしさもない。

(主人公)
僕にはとても、君のような優しい女の子の恋人になる資格はないのだ。

君は僕と一緒になってこの公園に遊びに来るには、あまりに気高い、あまりに正しい人間なのだ。

僕は君に忠告するよ。

君のためには、二人の縁を切ったほうが、どんなに幸福だかわからない。

僕は君がこんな所へ平気で足を踏み入れる程、大胆な女になったかと思うと、自分の罪が空恐ろしく感ぜられる。

(彼女)
私は覚悟しています。

今更あなたに聞かなくても、私にはよくわかっています。

あなたと一緒に、こうしてこの町を歩いている今の私が、自分にはどんなに楽しく、どんなに幸福に感ぜられるでしょう。

あなたが私を可哀そうだと思ったら、どうぞ私を永劫に捨てないでください。

私があなたを疑わないように、あなたも私を疑わないでいて下さい。

空想の中の会話となっていますが、この小説自体が夢かうつつかわからない夢想的な作品です。

この二人の会話は、実際に起こったことと同じ、と考えてよいでしょう。

魔術師の庭

さあ魔術師の小屋の前にたどり着きました。

彼女はにこにこしてこう言いました。

さああなた、これから私達は試しに行くのです。

 

二人の恋と、魔術師の術と、どっちが強いか試してやりましょう。

 

私はちっとも恐くはありません。

 

私は自分を堅く堅く信じていますから。

そこは今迄のにぎやかで騒々しさとは、うって変わった、うす暗い陰気な雰囲気でした。

今迄の公園には一切見られなかった、木とか森とか水といった自然的な要素があります。

しかしそれらの山水は、自然を模して居るけれどもあくまでも人工的に作られたものでした。

自然の形をとった建築物といったほうが適切かもしれない。

そんな風景でした。

魔術師の小屋

彼女に導かれて小屋の入口から中に入ると、また急に明るくにぎやかになります。

柱や天井に隙間なく施された装飾。

煌煌とした電灯。

そして小屋の中ののあらゆる座席は土間も二階も三階もぎっしりと塞がって、身動きもできない状態でした。

観客は中国人、インド人、ヨーロッパ人と種々雑多な服装、人種でしたが、日本人らしきひとは一人もいません。

特等席には上流階級に属するらしき人もいました。

ナポレオン、ビスマルク、ダンテ、バイロン、ネロ、ソクラテス……

などなど歴史上の有名人物に似ている人もいます。

主人公と彼女は土間の椅子席に座りました。

舞台の背景には、一面に黒幕が垂れ下っています。

中央の一段高い階段の上に、玉座の如き席が設けてありました。

其所には若く美しい魔術師が、腰掛けていました。

魔術師は、生きた蛇の冠を頭に戴き、古代ローマ風のトーガを身に着けて、黄金のサンダルを穿いています。

階段の下の玉座の右と左とは、三人づつの男女の助手がいました。

助手たちは奴隷のようにかしこまり、足の裏を観客の方へ曝して、さも賤しげに魔術師に額づいています。

主人公が小屋に入るときに渡されたプログラムを開きました。

そこに書かれていたプログラムの内容は二三十種類もありましたが、どれも前古未曽有な驚天動地の魔術のようです。

その中のいくつかを紹介しましょう。

催眠術

場内の観客全体に催眠作用を起させる。

劇場内のあらゆる人間が、魔術師の与える暗示の通りに錯覚を感ずる。

たとえば魔術師が、「今は 午前の五時だ。」と云えば、人々は爽かな朝の日光を見、自分たちの懐中時計がいつの間にやら五時を示している事に気が付く。

魔術師が「ここは野原だ。」と云えば 小屋内が野原に見える。

魔術師が「海だ。」と云えば小屋内が海に見える。

魔術師が「雨だ。」と云えば体がビショビショと濡れ始める。

時間の短縮

魔術師が一箇の植物の種子を取って土中に蒔き、呪文を唱える。

十分間で、それが芽を吹き茎を生じて花を咲かせ実を結ぶ。

しかもその植物の種子は、観客が好きな種類の種を持ってきたのを使う。

どのような植物にも魔術は効く。

雲をしのぐような高い幹でも、欝蒼として天をおおうような繁った葉でも必ず十分発育させることができる。

不思議な妊娠

呪文の力で、十分間で、一人の女性を妊娠させ分娩させる。

多くの場合魔術師の助手の女性が使われるが

もしも観客のご婦人の中にやりたい方がいらっしゃったら、大歓迎です!

とプログラムに書いてある。

これらの魔術は主人公が実際に見たわけではなく、プログラムに書いてあったものです。

残念なことに主人公が小屋に入った時点でプログラムの大部分の魔術が終わった後でした。

いま魔術師がやっているのはプログラムの最後の魔術だったのです。

魔術師の怪しい美貌

魔術師は子供のように顔を赤らめながら可愛らしい恥じらいを含んだ低い声で今から取り掛かる魔法の説明をしました。

……さて今晩の大詰の演技として、

私は茲に最も興味ある、最も不可解な幻術を、

諸君に御紹介したいと思います。

 

此の幻術は、仮りに『人身変形法』と名づけてありますが、

つまり私の呪文の力で任意の人間の肉体を即坐に任意の他の物体

鳥にでも虫にでも、

獣にでも、若しくは如何なる無生物、

たとえば水、酒のような液体にでも、

諸君のお望みなさる通りに変形させてしまうのです。

 

或は又全身でなくとも、

首とか足とか、肩とか臀とか、

ある一局部だけを限って、

変形させる事も出来ます….

主人公は魔術師の言葉よりも、むしろその美しい容貌に心を奪われました。

彼がたぐいまれなる美貌の持ち主であることは彼女から聞いていました。

しかし魔術師を目の前にしてみると、主人公が予想していたような美男子とはちょっと違います。

主人公は魔術師は若い男性と思っていたのですが、実際彼を目の前にしてみると、彼がいったい男か女かはっきりしません。

女性からみたら絶世の美男子に見えるのですが、男性から見たら絶世の美女に見えるのです。

彼の姿には男性美と女性美が見事に融合されているのでした。

十五六歳のまだ性的特徴が発達しきらない少女、あるいは少年の体質によく似ていました。

また彼の外見から彼がどの人種に属するか判別することはできないのでした。

しいて言えば世界の中でも美人の産地といわれているカフカス人に少し似ているといえるかもしれません。

彼の肉体はあらゆる人種の長所と美点ばかりから成り立った最も完全な人間美の表象といえました。

変身魔術

魔術師はこう語ります。

私は先づ試験的に此所に控えて居る六人の奴隷を使用して、

彼等を一々変形させて御覧に入れます。

 

しかし私の魔術のいかに神秘な、

いかに奇蹟的なものであるかを立証する為め、

私は是非共満場の紳士淑女が、

自ら奪って私の魔術にかかって頂く事を望みます。

 

既に私が此の公園で興行を開始してから、

今晩で二た月余りになりますが、

其の間毎夜のように観客中の有志の方々が、

常に多勢、私の為に進んで舞台へ登場され、

甘んじて魔術の犠牲となって下さいました。

 

犠牲――そうです。

 

其れはたしかに犠牲です。

 

尊き人間の姿を持ちながら、

私の法力に弄ばれ、犬となり豚となり、

石ころとなり糞土となって、

衆人環視のうちに恥を曝す勇気がなければ、

此の舞台へは来られない筈です。

 

にも拘らず、私は毎夜観客席に、

奇特な犠牲者を幾人でも発見する事が出来ました。

 

中には身分の卑しからぬ貴公子や貴婦人なども、

密かに犠牲者の間へ加わって居られると云う噂を聞きました。

 

それ故私は、今夜も亦例に依って、

沢山の有志家が続々と輩出せられる事を信じ、

且つ誇りとして居る次第なのです。

魔術師はそう誇らしげに言うと、玉座の前に膝まづいていた奴隷の中から一人の美女を呼び寄せました。

魔術師は美女奴隷にこう言いました。

お前は私の奴隷のうちでも、
一番私の気に入った、一番可愛らしい女だ。(中略)

 

お前は無かし、私の家来になった事を幸福に感じて居るだろう。

 

人間界の女王になるより、

魔の王国の奴隷になる方が、

遥かに幸福な事を悟っただろう。(中略)

 

お前は今夜は何になりたい?

私はお前が知って居る通り、

非常に慈悲深い王様だ。

 

何でもお前の望みのままにさせてやるから、

好きな物を言うがいい。

美女奴隷はこう答えました。

ああ王様、有り難うございます。

 

私は今夜美しい孔雀になって、

王様の玉座の上に輪を描きつつ、

飛び廻りとうこざいます。

美女奴隷はまるでインドの行者が神様に祈祷するように両手を高く天に掲げて合掌します。

魔術師は機嫌よく頷くと呪文を唱え始めました。

十分後には美女奴隷はすっかり孔雀にへと姿を変えました。

残りの五人の奴隷たちも同様にさまざまな物にすがたを変えます。

  • 豹の皮
  • 純銀の燭台
  • 二匹のちょうちょ

観客たちが呆然自失としていると魔術師は勝ち誇ったような顔をして観客たちに語りかけました。

どうですか皆さん、……誰方か犠牲者になる方はありませんか。

犠牲者たち

特等席にいた一人の貴婦人が魔術師の前に進みでて、こう言いました。

……魔術師よ、お前は 私を定めて覚えて居るだろう。

私はお前の魔術よりも、

お前の美貌に迷わされて、

昨日も今日も見物に来ました。

 

お前が私を犠牲者の中へ加えてくれれば、

それで私は自分の恋がかなったものだとあきらめます。

 

どうぞ私を、お前の足に穿いて居る金の草鞋にさせて下さい。

他にも魔術師の魅力に惑わされて、ふらふらと舞台に進み出た男女は数十人いました。

そしてそんな男女の列の二十番目には主人公がいました。

恋人は主人公の袖をとらえてさめざめと泣きます。
した。

ああ、あなたはとうとう魔術師に負けてしまったのです。

 

私のあなたを恋する心は、

あの魔術師の美貌を見ても迷わないのに、

あなたは彼の人に誘惑されて、

私を忘れてしまったのです。

 

私を捨てて、あの魔術師に仕えようとなさるのです。

あなたは何と云う意気地のない、

薄情な人間でしょう。

主人公は

私はお前の云う通り、

意気地のない人間だ。

 

あの魔術師の美貌に溺れて、

お前を忘れてしまったのだ。

 

成る程私は負けたに違いない。

 

しかし私には、負けるか勝つかと云う事よりもっと大切な問題があるのだ。

と彼女を振り切り、魔術師の前へと引き寄せられて行きます。

主人公は魔術師にファウン(ギリシャ、ローマ神話に登場する、上半身人間で下半身羊で、頭に羊のツノの生えている半羊神、歌や踊りが好きで陽気なお調子者のイメージ。パーン、サテュロス)になりたいと頼みます。

魔術師が

よろしい!

と魔法の杖で主人公の背中を一打ちすると、見る見るうちに主人公はファウンへと変身しました。

恋人が魔術師の前にやってきてこう言います。

私はあなたの美貌や魔法に迷わされて、

此所へ来たのではありません。

 

私は私の恋人を取り戻しに来たのです。

 

彼の忌まわしい半羊神の姿になった男を、

どうぞ直ちに人間にして返して下さい。

 

それとも若し、返す訳に行かないと云うなら、

いっそ私を彼の人と同じ姿にさせて下さい。

魔術師が

よろしい、そんならお前も半羊神にしてやる。

と言うと彼女もたちまちファウン(半羊神)に姿を変えました。

そして彼女は主人公にめがけて駆け寄ったかと思うと、いきなり自分の頭のツノを主人公のツノにしっかり絡みつけました。

そして二つのファウン(半羊神)の首は飛んでもはねても離れなくなってしまいました。

感想、考察

わお! 耽美!

というのが第一の感想です。

しかし決してふわふわした耽美小説ではなく、どこか人間の深層心理をとらえているようなところがあるのがさすがですね。

同じ傾向の作品にはやはり大正時代に書かれた『人魚の嘆き』があります。

この作品はところどころで夢と夢想、現実があいまいになるように工夫がされています。

例えば冒頭は

私があの魔術師に会ったのは、

何所の国の何と云う町であったか、

今でははっきりと覚えて居ません。

 

――どうかすると、其れは日本の東京のようにも思われますが、

或る時は又南洋や南米の殖民地であったような、

或は支那か印度辺の船着場であったような気もするのです。

という言葉で始めるのですが物語の最後まで読んだ人はちょっとおかしいと思うことでしょう。

たしか主人公は最後には魔術師に魔術をかけられてファウンになってしまったはずですよね。

また主人公はこの公園が大好きで何度も訪れているはずなのですが、公園へ行く道や公園を見て驚いているさまはまるで初めて行った人のよう。

彼女に連れられて魔術師の小屋へ向かう最中の、主人公の空想のなかの恋人との愛の会話も、空想なのか現実なのかは、重要ではなくなっています。

他にもところどころで夢と現実があいまいになるような工夫がされているので、ぜひ探してみてください。

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