谷崎潤一郎『春琴抄』あらすじ、感想、文体

谷崎潤一郎『春琴抄』春琴

春琴抄の簡単なあらすじ

昭和初期、東洋一の工業都市となった大阪の片隅に、琴と三味線の師匠である春琴とその門弟である温井検校(佐助)の墓が存在する。春琴と温井検校(佐助)は師弟関係でありながら、実は夫婦同然の関係にあった。物語の語り手は、この墓に興味を抱き、彼らの墓を探し出して手を合わせる。

物語は、春琴の幼少期から始まる。幼いころ盲目となった彼女は師匠の元で琴と三弦の修行を積み才能を発揮する。十三歳で春琴の実家に仕えるため故郷から大阪に出てきた温井検校(佐助)は盲目の春琴の世話をしながら彼女に深い敬意を抱くようになる。

やがて、春琴は佐助を弟子として迎え入れ、彼らは師弟関係を超えた男女の関係に発展する。しかし、表向きには佐助は使用人あるいは弟子として扱われ、公然の秘密として二人の関係が保たれる。

春琴は厳格で我儘な性格であり、佐助は彼女に尽くす。春琴は美貌と才能を持ちながらも、弟子に厳しく、経済的にも豊かな生活を送る。

春琴は三十代後半で顔に大やけどを負い、美貌を失う。春琴が美貌を失ったことを知った佐助は自ら目をつぶし盲目となる。その後盲目の春琴がやはり盲目の佐助によって世話される日々が続く。やがて春琴は亡くなる。佐助も春琴の死後、彼女を偲びながら生き、二十一年後に亡くなる。

春琴抄の詳しいあらすじ、感想

語り手は現代人(この小説が発表された昭和初期でしょう)

すでに大阪の街はビルディングの立ち並ぶ東洋一の工業都市です。

その一番閑静な場所に琴と三味線の師匠春琴とその門弟温井検校(ぬくいけんぎょう)の墓があります。

二人の墓は師匠と弟子らしく温井検校(ぬくいけんぎょう)の方が少し小さめに作られています。

春琴の本名は鵙屋琴(もずやこと)温井検校は(温井佐助)といって夫婦同然に暮らしていたそうです。

夫婦同然の師匠と弟子、師匠の方が女性で、弟子の方が男性。

この時点ですでに色っぽいですね。

語り手はどういうきっかけか、ふたりに興味を持ち、縁もゆかりもない二人の墓を探して、その前で手を合わせるのでした。

並んだ墓の様子から生前の関係がうかがわれます。

(前略)その枝の先が届かなくなった左の方の二三尺離れたところに検校の墓が鞠躬如(きっきゅうじょ)として侍座するごとく控えている。
それを見ると生前検校がまめまめしく師に事えて(つかえて)影の形に添うように扈従(こしょう)していた有様が偲ばれ(後略)

語り手が春琴に関心をもったきっかけは「鵙屋春琴伝」という小冊子がきっかけでした。

これは春琴の三回忌に弟子の温井検校が作ったものだろう、と語り手は考えています。

それによると春琴の家は七代続く大阪の薬屋の娘、幼い頃から賢く、容姿端麗、四歳の頃から舞を習い、舞の腕前が優美なことは舞子もおよばないほど。

良家の子女に生まれたのはかえって惜しいぐらいだ、と舞の師匠にいわれたほどでした。

九歳の時に盲目になりますが、理由ははっきりしません。

それ以来、舞の道を断念し、やはり五六歳の頃から習っていた琴と三弦に専念します。

天分の才能があり、十五歳のころ師匠の春末検校の門下生の中では肩並べるものがいなくなります。

春末検校は芸人の子供らに「別に芸で身を立てなくてもよい良家の御嬢さんなのに、おまえたちよりずっと上を行っている。今に腕一本で身をたてなくてはならないおまえたちがそのようでは心細いぞ! とはっぱをかけるほどです。

佐助(温井検校)十三歳、春琴九歳の時に二人は出会います。

十三歳の時、佐助は田舎から大阪に出てきて、春琴の家の丁稚となったのでした。

佐助は他の使用人と交代で、春琴を琴や三弦の師匠のところに連れて行く役割をしていたのです。

当初から佐助は美しく才能のある春琴を崇拝していたようです。

一年後には佐助は春琴から指名がかかるほどのお気に入りになります。

それは春琴のことばどおりになら「誰よりもおとなしゅうていらんこと云えへんよって」(誰よりもおとなしくて余計なこといわないから)という理由でしたが、もしかしたら春琴も佐助の好意を感じ取っていたからかもしれません。

春琴は我儘で気難しく、自分で要求を言わないくせに、相手は察しなければ機嫌が悪くなります。

しかし佐助はそんな春琴の気に入るように努め、その苦労をむしろ楽しんでいるほどです。

間もなく佐助も春琴に憧れて三味線の稽古を始めます。

苦心して貯金し、粗末な三味線を手に入れ、毎晩朋輩が寝静まるのを待って天井裏の押入れで稽古を始めるのでした。

真っ暗闇の中の稽古でしたが、盲目の春琴と同じ条件だと楽しむほどでした。

半年ほどで稽古をしているのを春琴の母に聞かれてしまい、人に知られてしまうことになります。

番頭に三味線を取り上げられますが、なんと春琴がどれだけ弾けるのかみせてみろ! と佐助に命じます。

佐助が練習の成果を披露したところ、短期間で独学、しかも最悪な練習環境にしてはなかなか上手で、皆に感心されます。

春琴は佐助に三味線を教えてやる、と言いだし、佐助は春琴の弟子となります。

といってもまだ春琴は少女でありこれは一種の「学校ごっこ」で、佐助に春琴の遊び相手をさせるているというのが本質であっただろう、と語り手は考察しています。

このときより佐助の仕事内容はほぼ春琴の付き添いがすべてとなります。

春琴の教授方法は激しく「阿呆、何で覚えられへんねん」と罵りながら撥で佐助を殴ることも珍しくありませんでした。

春琴に打たれるたびに佐助がしくしく声をあげて泣き出します。

佐助は十八歳の年に春琴の両親の世話で春末検校に弟子入りします。

またそのころから春琴の両親は佐助を春琴の婿にすることを考え出しました。

盲目の春琴に、同レベルの家柄の息子との結婚は難しいだろうと考えた春琴の両親は、佐助をちょうど良い婿と思ったようです。

春琴十六歳、佐助二十歳の時に両親は春琴にこの考えを話します。

けれども春琴は自分は一生夫を持つ気はない、ましてや使用人の佐助と結婚する気などさらさらない! 不機嫌になります。

しかしそれから一年後春琴は妊娠し、その父親はどう考えても佐助なのでした。

春琴も佐助も春琴のお腹の子の父親が佐助であることを否定します。

親は「佐助の子供であることを認めて、佐助と結婚しないなら、子供をよそにやってしまうよ!」と春琴を脅します。

春琴はわが子にまったく興味がないようで、「なにとぞどこへなとお遣りなされて下さりませ一生一人身で暮らす私に足手まといでござります」と涼しい顔つきで言います。

その後も夫婦同然の暮らしを長年続けた春琴と佐助には何人か子供ができます。

しかし二人ともわが子にまったく愛情がないようで、みな養子に出してしまったそうです。

春琴が佐助の子供を産んでから二三年の後、春琴の師匠が亡くなります。

春琴は独立して師匠の琴と三弦の看板を掲げることになりました。

それと同時に春琴は親の家を出て、独立します。

その時に佐助も春琴についていったのでした。

春琴と佐助が男女の仲であることは公然の秘密になっていました。

しかし春琴は人目のあるところでは佐助をあくまでも弟子、あるいは使用人、つまり完全に目下として扱います。

佐助の春琴に対する態度も師匠、主人に対するものでした。

そんな二人を見て、周囲の人々は「あれではこいさんはどんな顔をして佐助どんを口説くのだろうこっそり立ち聴きしてやりたい」と陰口を言います。

春琴は佐助に入浴、下の世話もさせていました。

また潔癖で匂いにうるさく、大変おしゃれだった春琴の面倒を佐助は彼女の気に入るようにしました。

佐助は手のかかる春琴の身の回りの世話を一人でこなし、その合間に春琴に稽古をつけてもらい、時には春琴に代わって春琴の弟子に教えることもしました。

大変忙しい日々だったことでしょう。

また春琴は大変グルメ、(食事は品数が多くなければならない、たくさんの種類のおかずにほんの一箸ずつ手を付ける)

しかものぼせ性の癖に冷え性。

春琴が快適に暮らすには大変な手間がかかるわけですが、佐助はすべてかなえてやるために頑張ります。

それだけやっても佐助の暮らしは物質的には決して豊かではありませんでした。

社会的な地位も高くなく(春琴が認めないのです)師匠の代稽古はするけれど、特別の地位は認められません。

門弟や女中たちには「佐助どん」と呼ばれ、出稽古の供をする時は、玄関先で待たされます。

春琴は使用人の佐助と男女の仲になってしまったことを恥じており、佐助を目下として扱うことによって、プライドを保っているのでした。

あるとき佐助は虫歯になります。

右の頬がはれ、苦しくてたまらないのにこらえて、春琴に気取られないようにします。

佐助はいつものように寝床で春琴のマッサージをしていると、春琴が「もうマッサージはいいから胸で足をあっためてくれ」と言います。

いつも佐助は自分の胸板で春琴の足を温めます。

しかしその時虫歯を患っていた佐助は頬がかっかっと熱い。

そこで春琴の氷のように冷えた足を自分の火照った頬にあてて、虫歯の苦痛から逃れようとしたのでした。

すると春琴が佐助の頬を蹴っ飛ばします。

春琴は「もし正直に言えばいたわってやったのに。自分の言うことを聞くふりをしてだますなんてゆるせない」と怒ります。

春琴は佐助が年若い女弟子に親切にしたり稽古をしてやったりするのを何よりも嫌いました。

そんな時は特に佐助に意地悪くあたりました。

春琴の生活費はものすごい額だったようです。

それは春琴一人に五六人もの奉公人が使われているというのもありましたが、小鳥道楽も一つの原因でした。

鶯を飼っていましたが、美しい声で鳴くようにさせるには別の美しく鳴く鶯に鳴き方の稽古につけてもらわないといけません。(鳥かごを並べておいて鳴き声を真似させるようにするのでしょう)

また餌やりも手間がかかり、飼育小屋にも贅をつくします。

また春琴は弟子と小鳥を比べ、小鳥の方が勝っているなどと言うので、弟子たちはやりきれなかったことだろう、といいます。

また春琴はひばりも好きでした。

ひばりの楽しみかたは、ひばりを空に放って、空中に舞いあがらせ、雲の奥深く分け入りながら鳴く声を聴くそうです。(ひばりの習性により通常はちゃんと戻ってくるそうです)

春琴は贅沢なわりにケチで欲張りでした。

弟子に月謝や歳暮の付け届けを一流の師匠と同等の額を要求して、少ないと嫌味を言います。

貧しさゆえに払えない弟子は破門にします。

また佐助や奉公人たちには倹約を強いて、自分だけは大名のような暮らしをします。

実家からの仕送りのあった春琴は琴と三弦の師匠で生活費を稼ぐ必要はありませんでした。

弟子は少なく、また春琴の体罰もある、厳しすぎる教授法でやめていく人も多かったようです。

春琴も弟子がいなくても生活には困らないわけですから、長く弟子でいてもらうために機嫌をとる、ということもありませんでした。

しかし春琴は当時琴においても三弦においても大阪第一流の名手であったようです。

中には美しい春琴目当てで習いに来る弟子もいました。

あるとき金持ちの若旦那、利太郎が春琴の弟子となります。

月謝や付け届けが多いので春琴の態度も甘めでした。

利太郎は下心を持って、父親の隠居所で梅見の宴を開いて、春琴を招待します。

利太郎は春琴と佐助を酔わせて、春琴をどうにかしようとします。

あやういところで佐助が気がつき逃れます。

それ以来、春琴は利太郎に舐められないように、ビシバシ教えるようになります。

利太郎はあまり気にせずに、不真面目な態度をとりつづけます。

春琴はついに堪忍袋の緒が切れて、撥で利太郎をぶちます。

利太郎は怪我をして、「覚えていろ!」と捨て台詞を残して去っていきます。

それからまもなく、春琴三十七歳の三月末でした。

佐助が春琴の苦吟する声を聴いて、馳せつける、と春琴は顔に熱湯を浴びて大やけどをしているのでした。

何者かが春琴の顔に熱湯をかけたわけですが、その犯人はわかりません。

春琴に振られた利太郎が一番の容疑者でしたが、他にも疑わしい人は大勢いるのでした。

春琴は弟子への体罰で将来芸者になる予定の少女の顔に傷をつけたこともあります。

また春琴と佐助の仲を妬んで、春琴の美貌が損なわれたら佐助がどんな顔をするか見てやりたい、という者がいた可能性もあります。

また春琴の才能と美貌を妬んだ、同業の女検校のしわざかもしれません。

犯人はわからないのですが、顔に大やけどを負った春琴はその日より美貌を失ってしまったのです。

春琴はそれ以来、常に顔を縮緬の頭巾で覆い、人前に出ることはなかったそうです。

春琴の美貌が戻らないことを知った佐助は、自分の目を針で刺し自分も盲目になります。

春琴は

よくも決心してくれました嬉しゅう思うぞえ、私は誰の恨みを受けてこのような目に遭うたのか知れぬがほんとうの心を打ち明けるなら今の姿を外(ほか)の人にはみられてもお前にだけはみられとうないそれをようこそ察してくれました。

と喜びます。

盲目になった佐助は今まで通り春琴を世話しつづけました。

それと同時に実家からの仕送りが途絶えがちになっていた(そのころ春琴の実家は落ち目になったのです)春琴を養うために多くの弟子をとりました。

経済的に苦しくなったため使用人も減り、春琴の世話をしていたのは佐助と内弟子の少女のみになります。

(春琴を直接世話をするのは佐助のみでした)

盲目になって十数年後の六月上旬のことです。

春琴と佐助はいつものようにひばりを空に放って遊んでいましたが、いつもは戻ってくるひばりが一時間以上たっても戻らず、ついには戻ってきませんでした。

それから数日後、春琴は病気になり、秋には重体になり、十月四日に心臓麻痺で亡くなりました。

佐助は春琴のいなくなった後、結婚することはありませんでした。

春琴との間に生まれた子供はみな養子にだして、一切関心をもちませんでした。

春琴亡き後、佐助は春琴の皮膚がいかに滑らかで柔らかかったことを人に自慢したといいます。

それが佐助の唯一の老いの繰り言であったそうです。

春琴が鬼籍に入った後は春琴との思い出にのみ生き、それから二十一年の後、佐助は八十三歳で亡くなりました。

春琴抄の文体

『春琴抄』は句読点、改行のきわめて少ない独特の文体で書かれています。

谷崎潤一郎の他の作品でも見られない『春琴抄』独特の文体です。

通常このような書き方は非常に読みにくいのですが(私は文章を書くときはこれの反対をいくように気を付けています、つまりなるべく短く区切る、改行を多くする)なぜか春琴抄は非常に読みやすいのです。

また読んでいると心地よくなるような不思議なリズムがあります。

また本文を引用してみるとわかるのですが、使われている言葉も難しいのです。

鞠躬如(きっきゅうじょ)とか扈従(こしょう)とか現代ではまず使いませんよね。

しかし読んでいるときは、ほぼ気になりません。

どこにこの読みやすさの秘訣があるのか摩訶不思議です。

まさしく天才の技だといえるでしょう。

この独特な美しい文体が、この小説の価値の半分以上を占めていると思います。

最後に『春琴抄』の特徴的な文体を一番よく表している箇所を引用しておきましょう。

谷崎潤一郎の『文章読本』にも引用されている部分です。

女で盲目で独身であれば贅沢ぜいたくと云っても限度があり美衣美食をほしいままにしてもたかが知れているしかし春琴の家にはあるじ一人に奉公人が五六人も使われている月々の生活費もなまやさしい額ではなかったなぜそんなに金や人手がかかったと云うとその第一の原因は小鳥道楽にあったなかんずく彼女はうぐいすを愛した。今日きごえの優れた鶯は一羽一万円もするのがある往時といえども事情は同じだったであろう。もっとも今日と昔とでは啼きごえの聴き分け方や翫賞がんしょう法が幾分異なるらしいけれどもまず今日の例をもって話せばケッキョ、ケッキョ、ケッキョケッキョとくいわゆる谷渡たにわたりの声ホーキーベカコンと啼くいわゆる高音こうね、ホーホケキョウの地声の外にこの二種類の啼き方をするのが値打ちなのであるこれは藪鶯やぶうぐいすでは啼かないたまたま啼いてもホーキーベカコンと啼かずにホーキーベチャと啼くからきたない、ベカコンと、コンと云う金属性の美しい余韻よいんを曳くようにするにはある人為じんい的な手段をもって養成するそれは藪鶯のひなを、まだ尾のえぬ時にって来て別な師匠の鶯に附けて稽古させるのである尾が生えてからだと親の藪鶯の汚い声を覚えてしまうのでもはや矯正きょうせいすることが出来ない。

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