谷崎潤一郎『少年』あらすじ

谷崎潤一郎『少年』
初めに

『少年』は谷崎潤一郎が明治44年(1911年)発表した、珠玉の小編。
谷崎潤一郎も自信作だったという傑作です。
少年たちのマゾヒズムと官能への目覚めを書いた作品です。
かなり衝撃的な作品ではありますが、それだけではなくて子供たちが無邪気で非常に可愛い(^^)
また谷崎潤一郎の生まれ故郷である明治中期の東京の下町が舞台と言うのも物語の味となっています。
『春琴抄』『細雪』等の代表作を読んだ後にはぜひ手に取りたい一作です。

あらすじ

信一に誘われて……

栄ちゃんは10歳の男の子。
日本橋蛎殻町から水天宮裏の有馬小学校に通っています。
比較的いい家のおぼっちゃんのようです。
ある春のぼかぼかとした日のことでした。
学校が終わって下校しようとすると、後ろから「萩原の栄ちゃん」と名前を呼びながら追いかけてきた男の子がいました。
その子は同級生の塙信一(はなわしんいち)。
入学してから尋常小学校4年生の今日まで付添い人の女中さんを片時もそばから離したことのない、甘やかされたお坊ちゃんです。
みなに意気地なし、弱虫、泣き虫と馬鹿にされていました。
「何か用かい」と栄ちゃんが聞くと、
信一は
「今日あたしの家へ来て一緒にお遊びな。家のお庭でお稲荷様のお祭があるんだから」
と東京の下町のお坊ちゃんらしい言葉づかいで答えます。

緋の打ち紐で括ったような口から、優しい、おず/\した声で云って、信一は訴えるような眼差まなざしをした。

栄ちゃんはそれまで信一を馬鹿にしていじめていたのですが、こうしてあらためてみると信一は美少年です。
服装も立派で良家のお坊ちゃんらしい気品があるのでした。

糸織の筒袖に博多の献上の帯を締め、黄八丈の羽織を着てきゃらこの白足袋に雪駄を穿いた様子が、色の白い瓜実顔の面立とよく似合って、今更品位に打たれたように、私はうっとりとして了った。

信一の女中さんがこう言います。
ねえ、萩原の坊ちゃん、家の坊ちゃんと御一緒にお遊びなさいましな。
実は今日こんにち手前共にお祭がございましてね、あの成る可く大人しいお可愛らしいお友達を誘ってお連れ申すようにお母様のお云い附けがあったものですから、それで坊ちゃんがあなたをお誘いなさるのでございますよ。
ね、いらしって下さいましな。
それともお嫌でございますか
女中さんに可愛らしい大人しい子といわれて、栄ちゃんは内心得意になります。
10歳の男の子が「大人しい」「可愛い」といわれて嬉しがるというのは、栄ちゃんも何だかんだいって信一と同類のお坊ちゃんなのでしょう。
栄ちゃんは今日からあの立派な子供と仲良しになるのかと思うと、嬉しい気持ちがします。
4年間馬鹿にしていたのに、一瞬ですごい変わりようですね。

広大な屋敷

家に戻り着替えをすると、信一の家に遊びに行きます。
たどりつくとそこはすごいお屋敷。
今日は信一の家の屋敷の中にあるお稲荷さんのお祭りです。
この界隈に住む貧乏人の子供が沢山裏木戸(裏門)の中からお屋敷に入っていきます。
栄ちゃんは最初屋敷の門番を呼んで信一を呼んでもらおうかと思いましたが、門番が恐ろしい気がして、ほかの子供たちと一緒に裏木戸から邸内に入りました。
入ってみてその庭の広大さに栄ちゃんは驚きます。
瓢箪型をした池、遣り水、築山、雪見灯篭、飛び石……立派な日本庭園でした。
そして遥かかなたに御殿のような屋敷が見えました。
庭には屋台が設営されています。
出会う大人たちは次々に、栄ちゃんに、甘酒や、おでんや、お菓子をただでくれるといいますが、栄ちゃんは断ります。
信一の家は屋敷内でお祭りを開催して、近所の子供に無償で食べ物を配るようなお金持ちなのですね。
栄ちゃんはこんな大きなお屋敷で、人が多いのではもう今日は信一に会えないのではないかと思い心細くなりましたが、まもなく信一の女中さんにでくわします。
女中さんに信一のいる場所につれていってもらいました。

内弁慶な信一

信一は「此方へお上がんな」と甲高い声で怒鳴りながらやってきます。
学校では弱虫なこの子がどうしてこんな元気な声をだせるのだろう? と栄ちゃんは不思議に思います。
信一は見違えるほど立派に盛装していました。

黒羽二重の熨斗目のしめの紋附に羽織袴を着けて立った姿は、縁側一杯に照らす麗かな日をまともに浴びて黒い七子なゝこの羽織地が銀沙ぎんすなごのようにきら/\光って居る。

にぎやかなお祭りの音を聞きながら、出されたお菓子をほおばります。
信一によると、今二人がいる部屋は、信一の姉の部屋らしいのです。
「ここには沢山姉さんの面白い玩具があるから見せてあげるよ」と信一は言います。
ここで昔風の玩具が沢山登場します。

信一は地袋の中から、奈良人形の猩々や、極込細工の尉じょうと姥うばや、西京の芥子人形、伏見人形、伊豆蔵人形などを二人のまわりへ綺麗に列べ、さま/″\の男女の姿をした首人形を二畳程の畳の目へ数知れず挿し込んで見せた。
二人は布団へ腹這いになって、髯ひげを生やしたり、眼をむきだしたりして居る巧緻な人形の表情を覗き込むようにした。
そうしてこう云う小さな人間の住む世界を想像した。
「まだこゝに絵双紙えぞうしが沢山あるんだよ」
と、信一は又袋戸棚から、半四郎や菊之丞の似顔絵のたとうに一杯詰まって居る草双紙を引き擦り出して、色々の絵本を見せてくれた。

二人が心惹かれたのは残酷なシーンを描いた絵草紙でした。

丁度此の屋敷のような御殿の奥庭で、多勢の腰元と一緒にお姫様が蛍を追って居るかと思えば、淋しい橋の袂で深編笠の侍が下郎の首を打ち落し、死骸の懐中から奪い取った文箱の手紙を、月にかざして読んで居る。
其の次には黒装束に覆面の曲者くせものがお局つぼねの中へ忍び込んで、ぐっすり寝て居る椎茸髱しいたけたぼの女の喉元へ布団の上から刀を突き通して居る。
又ある所では行燈の火影かすかな一と間の中に、濃艶な寝間着姿の女が血のしたゝる剃刀かみそりを口に咬くわえ、虚空こくうを掴んで足許に斃れて居る男の死に態ざまをじろりと眺めて、「ざまを見やがれ」と云いながら立って居る。
信一も私も一番面白がって見たのは奇怪な殺人の光景で、眼球が飛び出して居る死人の顔だの、胴斬りにされて腰から下だけで立って居る人間だの、真っ黒な血痕が雲のように斑ふをなして居る不思議な図面を、夢中になって覗き込んで居ると、

二人が絵草紙に夢中になっていると、友禅の振袖を着た、栄ちゃんや信一より少し年上の女の子が現れます。
信一の姉の光子でした。
光子は自分の玩具や本で勝手に遊んでいる信一に怒りを表します。
しかし信一も負けていません。
まもなく光子と信一は喧嘩になります。
二人とも非常に気が強いのです。
最後に信一は人形を足で滅茶々々に蹴倒します。
光子が「お父さまに言いつけてやる……」と泣きながら行ってしまいました。
栄ちゃんは女の子の涙をみて心が痛みます。
一方信一はまったくへいちゃら

泣いたっていゝんだよ。
毎日喧嘩して泣かしてやるんだ。
姉さんたって彼あれはお妾の子なんだもの

ピアノの音色と西洋館

「お庭へ行って遊ぼう」と信一に誘われて、庭に出ると美しい音色が聞こえてきます。

信一は西洋館の二階を指さした。
肉色の布のかゝった窓の中から絶えず洩れて来る不思議な響き。
………或る時は森の奥の妖魔が笑う木霊(こだま)のような、或る時はお伽噺(とぎばなし)に出て来る侏儒(こびと)共が多勢揃って踊るような、幾千の細かい想像の綾糸で、幼い頭へ微妙な夢を織り込んで行く不思議な響きは、此の古沼の水底で奏でるのかとも疑われる。
奏楽の音が止んだ頃、私はまだ消えやらぬ ecstasy の尾を心に曳きながら、今にあの窓から異人や姉娘が顔を出しはすまいかと思い憧れてじっと二階を視つめた。

「この綺麗な音色はなんだろう?」と 栄ちゃんが思っていると、「あれは姉さんが弾いているピアノの音だよ」と信一が教えてくれました。
信一の姉、光子は庭の中に建てられた西洋館の2階で、外国人の女性にピアノを習っているのです。
栄ちゃんは西洋館やピアノに心惹かれ、信一に「君はあそこへは遊びにいかないのかい?」
と聞きます。
信一によると、信一はあそこに入ることを禁じられているそうです。
信一も入ってみたくて、一人でこっそり行ったことがあるけれども、錠が下りていたといいます。

仙吉

二人が西洋館の2階を見上げていると、「坊ちゃん、三人で何かして遊びませんか」
という声がしてそこには二人より少し年上の少年が立っていました。
仙吉といって、栄ちゃん、信一が通う学校の上級生で、毎日のように年下の子供をいじめているガキ大将です。
なぜ仙吉がこここにいるかというと、仙吉は信一の家の馬丁の子だったのです。
信一が「仙吉、仙吉」と呼び捨てしているのに対して、仙吉は信一に「坊ちゃん、坊ちゃん」とご機嫌をとっています。
親に身分の差があるとはいえ、この女の子のような信一が、年上で乱暴ものの仙吉を従えている様子を見て栄ちゃんは

其の時私は、猛獣遣いのチャリネの美人を見るような眼で、信一を見ない訳には行かなかった。

と思います。

そんなら三人で泥坊ごっこしよう。
あたしと栄ちゃんがお巡査まわりさんになるから、お前は泥坊におなんな

信一がこう言うと、仙吉は

なってもいゝけれど、此の間見たいに非道ひどい乱暴をしっこなしですよ。
坊ちゃんは縄で縛ったり、鼻糞をくッつけたりするんだもの

栄ちゃんはこんな二人の会話を聞いて驚きます。
この女の子のように可愛らしい信一が荒くれた熊のような仙吉を縛ったり苦しめたりしたというのでしょうか?

泥棒ごっこ

さて泥棒ごっこが始まりました。
栄ちゃんは信一と巡査になって泥棒の仙吉を追い掛け回します。
年上の仙吉はなかなかつかまりません。
二人はやっと高いところに登っている仙吉を見つけます。
信一が竹竿で仙吉をつっつくと、仙吉は「あいた、あいた」と言いながら降りてきました。
その後、信一と仙吉は尋問ごっこを始めます。
そして最後に拷問ごっことなります。

「まだ其の外にも人を殺したろう。よし、よし、云わないな。云わなければ拷問にかけてやる」
「もう此れだけでございますから、堪忍しておくんなさい」
信一は、手を合わせて拝むようにするのを耳にもかけず、素早く仙吉の締めて居る薄穢い浅黄の唐縮緬の兵児帯を解いて後手に縛り上げた上、其のあまりで両脚の踝くるぶしまで器用に括った。
それから仙吉の髪の毛を引っ張ったり、頬ぺたを摘まみ上げたり、眼瞼まぶたの裏の紅い処をひっくりかえして白眼を出させたり、耳朶みゝたぶや唇の端を掴んで振って見たり、芝居の子役か雛妓おしゃくの手のようなきゃしゃな青白い指先が狡猾に働いて、肌理きめの粗い黒く醜く肥えた仙吉の顔の筋肉は、ゴムのように面白く伸びたり縮んだりした。

それにあきると、信一は今度は「お前は罪人だから刺青してやる!」と言い出し、仙吉の額に木炭で絵を描きます。
栄ちゃんはガキ大将の仙吉が信一にいじめられている様子を間のあたりにします。

狼ごっこ

さて泥棒ごっこが終わるとまた別のごっこ遊びになります。
それはまた信一の提案で

あたしが狼になるから、二人旅人にならないか。
そうしてしまいに二人共狼に喰い殺されるんだよ

栄ちゃんは薄気味悪くなりますが仙吉が「やりましょう」と即答したので、しかたなく従うことにしました。
信一は本当に狼になったつもりで大真面目に狼を演じます。
栄ちゃんは狼になりきった信一の気迫に気おされます。
信一に

「おい仙吉、お前はもう足を喰われたから歩いちゃいけないよ」

さあもう二人共死骸になったんだからどんな事をされても動いちゃいけないよ。
此れから骨までしゃぶってやるぞ

に言われると栄ちゃんと仙吉はそれに従います。
信一は

此奴の方が太って居て旨そうだから、此奴から先へ喰ってやろう

とまず仙吉を食べるまねをします。
信一が草履を履いたまま仙吉の体に乗っかるので、仙吉の体は泥だらけ。
それでも仙吉は信一にされるがままです。
こんどは栄ちゃんの番になりました。
自分の番が来るのを待っている間は怖がっていた栄ちゃんでしたが、信一に食べられているうちにそれが楽しくなってしまいます。

信一は私の胸の上へ跨がって、先ず鼻の頭から喰い始めた。
私の耳には甲斐絹の羽織の裏のさや/\とこすれて鳴るのが聞え、私の鼻は着物から放つ樟脳しょうのうの香を嗅ぎ、私の頬は羽二重の裂地きれじにふうわりと撫でられ、胸と腹とは信一の生暖かい体の重味を感じている。
潤おいのある唇や滑かな舌の端が、ぺろ/\と擽ぐるように舐めて行く奇怪な感覚は恐ろしいと云う念を打ち消して魅するように私の心を征服して行き、果ては愉快を感ずるようになった。
忽ち私の顔は左の小鬢から右の頬へかけて激しく蹈み躪られ、其の下になった鼻と唇は草履の裏の泥と摩擦したが、私は其れをも愉快に感じて、いつの間にか心も体も全く信一の傀儡となるのを喜ぶようになってしまった。

そんなことをしていると信一の女中さんが現れて「坊ちゃん何をなさっているのですか?」と聞くので三人はびっくりして起き上がります。
そしてその日は家に帰ったのでした。

私は恐ろしい不思議な国から急に人里へ出て来たような気がして、今日の出来事を夢のように回想しながら家へ帰って行ったが、信一の気高く美しい器量や人を人とも思わぬ我が儘な仕打ちは、一日の中にすっかり私の心を奪って了った。

翌朝学校に行ってみれば、昨日信一の家で起こったことがまるで夢のようでした。
相変わらず信一はおとなしいおぼっちゃんですし、仙吉はガキ大将です。

狐ごっこ

それから四五日たったある日、栄ちゃんはまた信一の女中さんに誘われます。

「今日はお嬢様のお雛様が飾ってございますから、お遊びにいらっしゃいまし」

と誘ってくれたのです。
屋敷に入ると仙吉も現れ、一緒に座敷に上がります。
仙吉と一緒に座敷に通されるとひな壇の前に信一、光子がいました。
こうして四人の子供が勢ぞろいしたのです。
白酒を飲んでいるうちに四人の子供は酔っ払ってしまいます。
四人の子供は

「エーイッ、あゝ好い心持だ。己は酔って居るんだぞ、べらんめえ」

などとふざけだします。
正気ではなくなってふざけまくっていると、仙吉が遊びの提案をしました。

「あッ、坊ちゃん/\、狐ごっこをしませんか」
仙吉がふと面白い事を考え付いたようにこう云い出した。
私と仙吉と二人の田舎者が狐退治に出かけると、却って女に化けた光子の狐の為めに化かされて了い、散々な目に会って居る所へ、侍の信一が通りかゝって二人を救った上、狐を退治してくれると云う趣向である。

酔った子供たちがふざけながらごっこ遊びをします。
狐役の光子に

二人とも化かされてるんだから、糞を御馳走のつもりで喰べるんだよ

これは小便のお酒のつもりよ。―――さあお前さん、一つ召し上がれ

と言われると、栄ちゃんと仙吉は光子が作った

自分の口で喰いちぎった餡ころ餅だの、滅茶滅茶に足で蹈み潰した蕎麦饅(そばまんじゅう)だの、鼻汁で練り固めた豆妙りだの

や痰やつばきを吐きこんだ白酒を「おいしい、おいしい」と食べてしまいます。
最後に光子が退治される場面となりました。
信一、栄ちゃん、仙吉は

獣の癖に人間を欺すなどゝは不届きな奴だ。ふん縛って殺して了うからそう思え

と三人で光子を後手に縛り上げ、縁側の欄干に括りつけます。
最後に「さるぐつわをはめてしまえ!」と、光子の顔の口のあたりを縮緬のしごき帯で締め付けます。
そして菓子を口に含んではぺっと光子の顔に吐き散らし、餡ころを押し潰したり、大福の皮をなすりつけたりして、光子の顔をまんべんなく汚してしまいます。
ついにはこんな状態になってしまいました。

濃艶な振り袖姿をしている所は、さしずめ百物語か化物合戦記に出て来そうで、光子はもう抵抗する張合もなくなったと見え、何をされても大人しく死んだようになって居る。

犬ごっこ

光子がお風呂で顔を洗ってきた後、また信一の提案で別の遊びが始まります。

「今度は私あたしが人間で三人犬にならないか。私がお菓子や何かを投げてやるから、皆みんな四つ這いになって其れを喰べるのさ。ね、いゝだろ」
と云い出した。
「よし来た、やりましょう。―――さあ犬になりましたよ。わん、わん、わん」
早速仙吉は四つ這いになって、座敷中を威勢よく駈け廻る。
其の尾について又私が駈け出すと光子も何と思ったか、
「あたしは雌犬よ」
と、私達の中へわり込んで来て、其処ら中を這い廻った。
「ほら、ちん/\。………お預け/\」
などゝ三人は勝手な藝をやらせられた揚句、
「よウし!」
と云われゝば、先を争ってお菓子のある方へ跳び込んで行く。

信一が「あゝ好い事がある。待て、待て」と狆を二匹連れてきました。
信一は喰いかけの餡ころ、鼻糞や唾のついた饅頭だのを畳にばらばら振りまきます。
それを四つん這いになった三人の子供と二匹の犬が、奪い合います。
お菓子を平らげてしまうと犬と子供たちは今度は信一の指の先や足の裏をぺろぺろ舐めました。

「あゝ擽ぐったい、擽ぐったい」と、信一は欄干に腰をかけて、真っ白な柔かい足の裏を迭る/″\(かわるがわる)私達の鼻先へつき出した。
「人間の足は塩辛い酸っぱい味がするものだ。綺麗な人は、足の指の爪の恰好まで綺麗に出来て居る」
こんな事を考えながら私は一生懸命五本の指の股をしゃぶった。
狆はます/\じゃれつき出して仰向きに倒れて四つ足を虚空に踊らせ、裾を咬えてはぐい/\引っ張るので、信一も面白がって足で顔を撫でゝやったり、腹を揉んでやったり、いろ/\な事をする。
私も其の真似をして裾を引っ張ると、信一の足の裏は、狆と同じように頬を蹈んだり額を撫でたりしてくれたが、眼球の上を踵で押された時と、土蹈まずで唇を塞がれた時は少し苦しかった。

栄ちゃん、信一のとりことなる

その日以来栄ちゃんは毎日のように信一の家に遊びに行くようになりました。
早く遊びに行きたくて、授業が終わるのが待ち遠しいほどです。
そして明けても暮れても信一や光子の顔が頭から離れません。
お雛祭りの日以来、信一のわがままは募り、行けば必ず信一にぶたれたり、縛られたりします。
光子も今ではすっかり信一の手下で、いじめられ役でした。
信一はおもちゃの刀を振り回すので私も、光子も、仙吉も体に痣の絶えたことがありません。
毎日乱暴なごっこ遊びをします。

私と仙吉が光子を縊め殺して金を盗むと、信一が姉さんの仇と云って二人を殺して首を斬り落したり、信一と私と二人の悪漢がお嬢様の光子と郎党の仙吉を毒殺して、屍体を河へ投げ込んだり、いつも一番いやな役廻りになって非道い目に合わされたのは光子である。
しまいには紅や絵の具を体へ塗り、殺された者は血だらけになってのた打ち廻ったが、どうかすると信一は本物の小刀を持って来て、
「此れで少うし切らせないか。ね、ちょいと、ぽっちりだからそんなに痛かないよ」
こんな事を云うようになった。
すると三人は素直に足の下へ組み敷かれて、
「そんなに非道く切っちゃ嫌だよ」と、まるで手術でも受けるようにじっと我慢しながら、其の癖恐ろしそうに傷口から流れ出る血の色を眺め、眼に一杯涙ぐんで肩や膝のあたりを少し切らせる。

栄ちゃんと仙吉光子をいじめる

ひと月ほど毎日のように、そんなふうにして過ごしました。
ある日いつものように信一の家に遊びに行くと信一は歯医者に行って留守でした。
栄ちゃんが仙吉に「光ちゃんは?」と聞くと、光子はピアノの稽古中だそうです。
仙吉につれられてピアノのある西洋館に行きます。
始めて信一の家に遊びに来たときにも聞いたピアノの音色に栄ちゃんはうっとりします。
うっとりと西洋館を眺めながら、栄ちゃんが仙吉に「君は西洋館に行ったことはあるの?」と聞くと、仙吉もないそうです。
西洋館に入れるのは光子と一部の使用人だけのようで、信一ですら西洋館には入ったことがないらしいのです。
ピアノの音色がやみました。
光子のお稽古が終わったのだと思った二人は、西洋館に向かって叫びます。

「光ちゃん、お遊びな」
「お嬢さん、あそびませんか」

しかし返事がありません。
仕方がなく、栄ちゃん、仙吉の二人だけで遊んでいると、光子に出くわしました。
「あっ光ちゃん、さっきは何で返事してくれなかったの?」
と尋ねると、光子は、
「あたし西洋館になんかいなかったわよ。あそこへはあたしだって入れないのよ」
「でもさっき、ピアノを弾いていたじゃないか?」
と聞いても光子は、
「知らないわ、誰か他の人が弾いていたんじゃないの」
仙吉は

お嬢さん、嘘をついたって知ってますよ。
ね、栄ちゃんと私を彼処へ内證で連れて行って下さいな。
又強情を張って嘘をつくんですか、白状しないと斯うしますよ

と、にやにや底気味悪く笑いながら、光子の手首をつかみます。
そして光子の手首をじりじりと捻じ上げにかかるのでした。
光子のか細い青白い肌、仙吉の頑丈な鉄のような指先。
二人の子供の血色の快い対照は、栄ちゃんの心を怪しくときめかせます。
栄ちゃんも光子いじめに加わりました。
「光ちゃん、白状しないと拷問にかけるよ」
と、仙吉と一緒に光子を帯で木の幹に縛り付けました。
その後二人はつねったりくすぐったりと、夢中になって光子を折檻します。
光子の喉を締め付けたり、木から解いて光子を地面に仰向けに寝かせます。
「へえ、此れは人間の縁台でございます!」と二人で光子の上に腰を掛けたりしました。
光子はついにさっきまで彼女が西洋館にいたことを白状しました。
光子は仙吉に「西洋館に連れて行け」とねだられるのが嫌で、自分も西洋館には行ったことがないと嘘をついたといいます。

あゝ、お前が又連れて行けって云うだろうと思って をついたの。
だってお前達をつれて行くと、お母さんに叱られるんだもの

仙吉と栄ちゃんは光子をなおも折檻します。
そしてとうとう光子に二人を西洋館に連れていく約束をさせたのでした。
光子によれば昼間行けば見つかってしまうそうなので、夜に行くことにしました。

夜の西洋館

栄ちゃんは「水天宮の縁日に行く」と嘘をついて家を出ました。
光子、仙吉とは

暗くなった時分に表門から西洋館の玄関へ忍び込み、光子が鍵を盗んで仙吉と一緒にやって来るのを待ち合わせる。
但し私が時刻に遅れるようであったら、二人は一と足先に這入って、二階の階段を昇り切った所から二つ目の右側の部屋に待って居る

という約束でした。
さて栄ちゃんは西洋館に行ってみましたが光子と仙吉の姿は見えません。
夜の人気のない広大な屋敷の中、栄ちゃんは恐ろしくなります。

神様、私は悪い事を致しました。
もう決してお母様に をついたり、内證で人の家へ這入ったり致しません

と夢中で口走り手を合わせ、家に帰ろうとしましたが、その時、西洋館の扉の向こうに小さな灯りを発見します。

おや、二人共先へ這入ったのかな

と栄ちゃんが玄関の取っ手を回すと、鍵は開いていて中に入ることができました。
中に入ると、正面にらせん階段が見え、ろうそくの明かりが灯っていました。
栄ちゃんはらせん階段を上りますが、上がるにつれて暗くなります。
階段を上ると、約束の「二階の階段を昇り切った所から二つ目の右側の部屋」を見つけます。
扉の外から様子を伺うと、その部屋はひっそりと静まり返っています。
ドキドキしながら扉を開けると、こんな部屋でした。

ぱっと明るい光線が一時に瞳を刺したので、クラクラしながら眼をしばたゝき、妖怪の正体を見定めるように注意深く四壁を見廻したが誰も居ない。
中央に吊るされた大ランプの、五色のプリズムで飾られた蝦色の傘の影が、部屋の上半部を薄暗くして、金銀を鏤めた椅子だの卓子だの鏡だのいろ/\の装飾物が燦然と輝き、床に敷き詰めた暗紅色の敷物の柔かさは、春草の野を蹈むように足袋を隔てゝ私の足の裏を喜ばせる。

部屋には美しい西洋の乙女の半身像がかかっています。

厚い金の額縁で、長方形に劃(しき)られた畫面の中に、重い暗い茶褐色の空気が漂うて、纔(わず)かに胸をお納戸色の衣に蔽い、裸体の儘の肩と腕とに金や珠玉の鐶(わ)を飾った下げ髪の女が、夢みるように黒眼がちの瞳をぱッちりと開いて前方を視つめて居る。
暗い中にもくッきりと鮮やかに浮き出て居る純白の肌の色、気高い鼻筋から唇、頤、両頬へかけて見事に神々しく整った、端厳な輪廓、―――これがお伽噺に出て来る天使と云うのであろうかと思いながら、私は暫くうっとりと見上げて居た

光子の逆襲

部屋には重たい緞子のカーテンがかかっていました。
それが動いて、カーテンの向こう側から西洋の乙女の半身像とそっくりの恰好をした光子がにやにや笑いながら現れます。
光子「栄ちゃん、ヒヒヒ……さっきからお前の来るのを待って居たんだよ」
栄ちゃん「光ちゃん一人なの?」
光子「仙吉に会わせて上げるから、あたしと一緒に此方へおいでな」
栄ちゃんは光子に手を引かれてカーテンの向こうに行きます。
カーテンの向こうは真っ暗な部屋でした。
光子はマッチで壁や、栄ちゃんの着物をすって青白い光を散らします。
ついにマッチは火をおこします。
光子は部屋の中にある燭台にマッチの火を移しました。

西洋蝋燭の光は、朦朧と室内を照して、さま/″\の器物や置物の黒い影が、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)するような姿を、四方の壁へ長く大きく映して居る。

そんなおそろしげで幻想的な光景の中、光子が
「ほら仙吉は此処に居るよ」
と蝋燭の下を指さします。
見ると燭台だと思ったのは仙吉でした。

仙吉が手足を縛られて両肌を脱ぎ、額へ蝋燭を載せて仰向いて坐って居るのである。
顔と云わず頭と云わず、鳥の糞のように溶け出した蝋の流れは、両眼を縫い、唇を塞いで頤の先からぼた/\と膝の上に落ち、七分通り燃え盡した蝋燭の火に今や睫毛が焦げそうになって居ても、婆羅門(ばらもん)の行者(ぎょうじゃ)の如く胡坐(あぐら)をかいて拳を後手(うしろで)に括られたまゝ、大人しく端然と控えて居る。

仙吉はこう言います。

おい、お前も己も不断あんまりお嬢様をいじめたものだから、今夜は仇(かたき)を取られるんだよ。
己はもうすっかりお嬢様に降参して了ったんだよ。
お前も早く詫(あやま)ってって了わないと、非道い目に会わされる。………」

光子はこう言います。

「栄ちゃん、もう此れから信ちゃんの云う事なんぞ聴かないで、あたしの家来にならないか。いやだと云えば彼処にある人形のように、お前の体へ蛇を何匹でも巻き付かせるよ」
(中略)
「何でもあたしの云う通りになるだろうね」

栄ちゃんがうなずくと光子は

お前は先(さっき)仙吉と一緒にあたしを縁台の代りにしたから、今度はお前が燭台の代りにおなり

と栄ちゃんを縛り上げて、仙吉と同じように燭台にしてしまいました。
仙吉と栄ちゃんは額に蝋燭を乗せています。
額の上の蝋燭が溶けて蝋をだらだら垂らし、二人の顔を覆います。
当然ものすごく熱い。
次第に目も口も、垂れてきた蝋にふさがれてしまいます。
栄ちゃんがぽろぽろ泣いていると、ピアノの音色が聞こえてきました。
光子がピアノを弾いているのです。
つらい思いをしながらも、栄ちゃんは恍惚とします。

光子、女王となる

そのあくる日から光子、信一、仙吉、栄ちゃん、四人の関係は変わっていきました。
仙吉、栄ちゃんはもうすっかり光子の下僕です。
信一は当初こそ光子の言葉に逆らったりしましたが、そんなことをすれば、仙吉、栄ちゃんにいじめられてしまいます。
次第に信一もすっかり光子の家来となりました。
その後光子は長い間、四人の子供の女王として君臨しました。
光子は三人を奴隷のように扱います。
「腰掛におなり」と四つん這いにさせたり、湯上りの爪を切らせたり、鼻の穴の掃除を命じたり、しまいにはUrineを飲ませたり……

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