谷崎潤一郎『魔術師』耽美な名作

魔術師の小屋

彼女に導かれて小屋の入口から中に入ると、また急に明るくにぎやかになります。

柱や天井に隙間なく施された装飾。

煌煌とした電灯。

そして小屋の中ののあらゆる座席は土間も二階も三階もぎっしりと塞がって、身動きもできない状態でした。

観客は中国人、インド人、ヨーロッパ人と種々雑多な服装、人種でしたが、日本人らしきひとは一人もいません。

特等席には上流階級に属するらしき人もいました。

ナポレオン、ビスマルク、ダンテ、バイロン、ネロ、ソクラテス……

などなど歴史上の有名人物に似ている人もいます。

主人公と彼女は土間の椅子席に座りました。

舞台の背景には、一面に黒幕が垂れ下っています。

中央の一段高い階段の上に、玉座の如き席が設けてありました。

其所には若く美しい魔術師が、腰掛けていました。

魔術師は、生きた蛇の冠を頭に戴き、古代ローマ風のトーガを身に着けて、黄金のサンダルを穿いています。

階段の下の玉座の右と左とは、三人づつの男女の助手がいました。

助手たちは奴隷のようにかしこまり、足の裏を観客の方へ曝して、さも賤しげに魔術師に額づいています。

主人公が小屋に入るときに渡されたプログラムを開きました。

そこに書かれていたプログラムの内容は二三十種類もありましたが、どれも前古未曽有な驚天動地の魔術のようです。

その中のいくつかを紹介しましょう。

催眠術

場内の観客全体に催眠作用を起させる。

劇場内のあらゆる人間が、魔術師の与える暗示の通りに錯覚を感ずる。

たとえば魔術師が、「今は 午前の五時だ。」と云えば、人々は爽かな朝の日光を見、自分たちの懐中時計がいつの間にやら五時を示している事に気が付く。

魔術師が「ここは野原だ。」と云えば 小屋内が野原に見える。

魔術師が「海だ。」と云えば小屋内が海に見える。

魔術師が「雨だ。」と云えば体がビショビショと濡れ始める。

時間の短縮

魔術師が一箇の植物の種子を取って土中に蒔き、呪文を唱える。

十分間で、それが芽を吹き茎を生じて花を咲かせ実を結ぶ。

しかもその植物の種子は、観客が好きな種類の種を持ってきたのを使う。

どのような植物にも魔術は効く。

雲をしのぐような高い幹でも、欝蒼として天をおおうような繁った葉でも必ず十分発育させることができる。

不思議な妊娠

呪文の力で、十分間で、一人の女性を妊娠させ分娩させる。

多くの場合魔術師の助手の女性が使われるが

もしも観客のご婦人の中にやりたい方がいらっしゃったら、大歓迎です!
とプログラムに書いてある。

これらの魔術は主人公が実際に見たわけではなく、プログラムに書いてあったものです。

残念なことに主人公が小屋に入った時点でプログラムの大部分の魔術が終わった後でした。

いま魔術師がやっているのはプログラムの最後の魔術だったのです。

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