谷崎潤一郎|おすすめ作品|代表作品|日本近代文学の最高傑作たち

谷崎潤一郎のおすすめ作品 代表作 年代別リスト

谷崎潤一郎は明治19年(1886年)生まれ、昭和40年(1965年)没。

二十代半ばの明治43年(1910年)年から小説を発表し、昭和49年(1965年)で亡くなる79歳まで、50年以上に渡って創作活動を続けました。

谷崎潤一郎のおすすめ作品、代表作を年代順に紹介します。

刺青

明治43年(1910年)発表。

小編。

谷崎潤一郎の処女作です。

舞台は江戸時代後期の江戸。

彫り師の清吉はいつか自分の理想とする美女に、自分の思うような刺青を彫りたいと思っていました。

理想の美女を追い求めて4年、ある日料理屋の店先で駕籠から覗いた女性の美しい足を見て、彼女こそは自分の追い求めていた人、と思いました。

その翌年、偶然その足の主だった芸者見習いの若い娘に出会います。

清吉は娘に美女が男を征服するおどろおどろしい絵を見せて、「この絵がお前の心を表している」と言った後、麻酔薬で眠らせました。

清吉は眠る娘の背中に彼の渾身を込めた傑作である、女郎蜘蛛の刺青を彫ります。

目覚めた娘は刺青を喜び、いままでとはうってかわった悪女風の話し方になります。

最後に清吉に背中を見せた後、彼女は男を食らう悪女としての人生を始めたのでした。

二十代半ばの作家の処女作とは思えない、完成した文章。

もっと後の作品とくらべてもまったく遜色がありません。

文末がほぼすべて「た」で終わるのですが、それがかえって迫ってくるような迫力を出しています。

ストーリーはつっこみどころ満載。

清吉のやっていることは立派な犯罪です。

女の行動も、清吉に都合がよすぎます。

特に女性は、ひどい女性の人格無視、男の自分勝手な妄想という感想を持つことでしょう。

あまりうるさいことは言わないで情景や描写を楽しむ小説です。
谷崎潤一郎『刺青』あらすじ ネタバレ 感想

麒麟

明治43年(1910年)発表

小編。

紀元前493年。

故郷の魯の国の官職を辞した孔子は、仕官と理想の政治の実現を求めて、弟子を連れて放浪の旅に出ます。

一番最初に赴いたのは衛の国でした。

衛の国の都は寂れています。

人々は貧しく不幸そうでした。

一方宮殿は貧しい民とは対照的に豪華絢爛に光輝いています。

このようになってしまったのは衛の君(為政者)が美貌の妃を愛するあまり、国中の富をすべて妃を喜ばせるために使ってしまうからでした。

衛の君は聖人として名高い孔子に会いたがります。

孔子の教えのかいあって衛の国は豊かになりました。

しかし夫が自分を溺愛しなくなった妃は気に入りません。

妃は自分の周りの男が自分に夢中にならないと面白くないという傲慢な女性でした。

妃は孔子を誘惑しようとたくらみます。

孔子を自分の部屋に呼び寄せ、香、酒、肉、という快楽を味合わせます。

そして妃が最後に孔子に見せたものは……

孔子は翌日衛の国を去ります。

孔子とて妃の誘惑には勝てなかったのです。

孔子が衛の国を去った後は衛の国は元通り。

聖人の教えは敗北し、驕慢な美女が勝利したのです。

序盤は論語の世界らしい渋くてのんびりとした世界。

まったく谷崎らしくありません。

一瞬どうしたのだろう? と思ってしまいましたが、まもなくお馴染みな悪女が登場します。

序盤の漢籍の世界らしい枯れた雰囲気が、後半の艶めかしい悪女を引き立てています。

デビュー年に描かれたとは思えない冴えまくった小編です。
麒麟 

少年

明治44年(1911年)発表。

小編。

明治中期の東京の下町。

主人公は10歳の少年、栄ちゃん。

ある日栄ちゃんは、同じ小学校に通う気の弱いお坊ちゃん、塙(はなわ)信一に家に遊びに来るように誘われます。

広大な塙家のお屋敷を訪れると、そこでの信一は学校の様子とは打って変わった居丈高な様子です。

信一は超がつく内弁慶だったのです。

信一の姉光子も登場しますが、信一と良い勝負の勝気な少女。

そして塙家の使用人の子供、仙吉も現れますが、学校ではガキ大将なのに、ここでは完全に信一の子分です。

栄ちゃん、信一、光子、仙吉は仲良くなり一緒にいつも遊びますが、それはひどく乱暴なごっこ遊びばかりで……

一読すると衝撃的な内容でびっくりさせられます。

しかし二度三度読むと天真爛漫な子供の可愛さがよく描かれていることに気が付きます。

主人公が耳慣れないピアノの音色に聞きほれるシーンなども少年が主人公らしい、可愛らしい幻想的な場面です。

また舞台が東京の下町の中にある、まるで周囲から切り離されたような広大なお屋敷、というのも神秘的でいいのですね。

谷崎潤一郎は後に関西を舞台にした作品を書くようになったことで有名ですが、東京の下町が舞台の作品もその土地ならではの美しさがよく出ています。
少年

秘密

明治44年(1911年)発表。

小編。

舞台は明治後期(小説の書かれた時代)の東京。

主人公は通常の刺激ではあきたらなくなってしまった若い男性。

あらたな刺激を求めて、町中にさびれた場所を探して、浅草のある寺の中に隠れ住みます。

主人公はそこで香をたいたり、部屋を仏画で埋め尽くしたり、怪しげな書物を読み漁ったり。

ある日古着屋で見つけた女物の着物を着てみたくなり、女に化けて夜の町に繰り出します。

匕首や麻酔薬を隠し持ったりして気分は女装の盗賊。

ある晩女装のまま映画館に入ると、そこでかつて捨てた昔の恋人に再会します。

次の晩から彼女との奇妙な逢瀬がはじまります。

子供から住み慣れた東京の町も、今晩はまるで異境のように見える……

ただならぬ怪しさ……

まだ二十代半ばの若者、新人作家が書いたとはとても思えない完成度。
秘密

白昼鬼語

大正4年(1915年)発表

短編。

大正時代の東京が舞台のミステリ小説です。

主人公の小説家には園村という物好きな友人がいました。

親の遺産で遊び暮らす園村は通常の刺激では物足りなくなり、探偵小説ばかり読み漁っています。

そんな園村から主人公はある日不思議な冒険に誘われます。

怪しげな美女とそれに支配される男性。

谷崎らしいミステリ小説です。

エドガー・アラン・ポーの推理小説とまったく同じ暗号を使う人が出てきたり……

人間の全身を一晩のうちにあとかたもなく溶かしてしまう薬剤が出てきたり……

化学とミステリに対する素朴な好奇心と驚嘆が、ほほえましい部分もあります。
白昼鬼語

人魚の嘆き

大正6年(1917年)発表

小編。

清代の南京。

若くして莫大な富を持つ、美しく才智に富んだ貴公子がいました。

恵まれた境遇で子供時代からありとあらゆる快楽を味わいつくした彼は、二十五歳の年にはどんな楽しみにも満足できなくなってしまいます。

そんな時、西洋人の不思議な商人が現れ、彼に人魚を売ります。

人魚は水がめの中に入った美しい女性でした。

遊び人の貴公子でも見たことのないような特徴的な美女で貴公子の心をとろかします。

しかし人魚は常に水がめの中にいて、時折水がめの外に表した体を抱きしめれば氷のように冷たい。

とても彼女を恋人にすることはかないそうもないのでした。

貴公子は人魚の海に戻りたい……という願いをかなえてやることにしました。

読者を耽美な世界へいざないます。
人魚の嘆き

人面疽

大正7年(1918年)発表。

歌川百合枝は無声映画時代の映画女優。

アメリカで活躍しているところを認められ、破格の高給で日本の映画会社にスカウトされました。

そんな逆輸入女優、歌川百合枝は最近自分の出演している奇妙な映画について耳にします。

それは「執念」というタイトルのホラー映画で、近頃場末の映画館でかかり評判になっているらしいのですが……

百合枝はそれに出演した記憶もなければ、共演しているという俳優についても全く知らないのです。

もっとも、俳優はストーリーをまったく知らないで撮影して、それが後で編集されて一本のストーリーとなるということはよくあることのなのですが……

それにしても全く思い当たらないと言うのは奇妙でした。

知らない間に自分が意外な姿で有名になっている。

それも何ともショッキングなストーリーの恐ろしいホラー映画として。

このように知らないうちに自分の姿が独り歩きしている、というのは現代のネット社会なら一般の人にもありそうなことですね。

ある意味とても現代的な小説です。
人面疽

二人の稚児

大正7年(1918年)発表。

小編。

舞台は平安時代の比叡山。

僧侶になる修行をする二人の美しい稚児がおりました。

年上の稚児は千手丸、年下の稚児は瑠璃光丸。

物心つかない頃に山に預けられた二人は、俗世とはどんなとこだろう? 女人とはどんな生き物だろう? と思いを馳せます。

二人は師匠からは、俗世や女人は恐ろしいもの、と聞かされています。

しかし山から見下ろす俗世は美しく、おぼろげな記憶の中の母は優しく柔らかいものでした。

年上の千手丸はいつしか女人の妄想で夜も眠れなくなってしまいます。

千手丸がまもなく出家するという十六歳の春でした、

千手丸は一度女人がどのようなものか、この目で見て確かめて、妄想から逃れようと思いたち、瑠璃光丸をおいて山を降りたのでした。

それきり千手丸は戻ってきませんでした。

半年後、山で修業を続ける瑠璃光丸に千手丸からの手紙が届きます。

二人の俗世を知らない稚児が主人公の、昔話風の可愛らしい作品です。

ラストシーンは神がかった美しさ。
二人の稚児

小さな王国

大正7年(1918年)発表。

小編。

舞台は大正時代の北関東の小都市。

東京から引っ越してきたベテラン小学校教師、貝島が主人公。

貝島は尋常五年生(現在の小学校の五年生)の男子のクラスを受け持っています。

転校生の沼倉君は粗末な身なりの大人しい生徒ですが、転校してきて十日あまりで学級のガキ大将に。

しかもただの腕白いじめっ子ガキ大将ではなく、強きをくじき弱きを助く、任侠心に富んだタイプ。

今までガキ大将には従わなかったような優等生をも従えてしまう、絶対的な学級の権力者となります。

やがて沼倉君は自分を大統領とした小さな子供たちの政府まで作り出してしまい……

貧乏教師とごく普通の小学生男子たちが主役。

美女も恋愛も耽美も出てこない谷崎作品にはめずらしい小説です。

権力とはなにか……

支配と被支配の関係はどうやって起こるのか……

そんなことを考えさせる作品です。
小さな王国

美食倶楽部

大正8年(1919年)発表。

短編。

「美食倶楽部」は美味しいものが大好きな、有閑階級の人々ばかり集まるクラブです。

皆、超肥満体。

グルメが過ぎて病気に罹りかかっている人ばかりです。

けれども、彼らは、そんなことはいっこうに気にせずに美食を追求します。

「美食倶楽部」のメンバーは連日のように集まり、豪勢な宴を開きます。

美味しい物を食べるためだけに、遠方に出かけることもしょっちゅうです。

しかし彼らはもう世の中の美味しい物を食べつくしてしまい、近頃では心を震わせるような美食に出会えなくなってしまいました。

「美食倶楽部」の中でもとりわけ美食に情熱を燃やす若い貴公子、G伯爵がこの物語の主人公です。

或る晩、G伯爵がご馳走を食べた後の大きなおなかをタプタプ揺らしながら町を散歩していたときでした。

G伯爵は二人の中国人とすれ違いました。

二人の中国人からは紹興酒の匂いが漂います。

「この近くに中華料理屋があるんだな?」

そう思ったG伯爵は胡弓の音色に導かれ、「浙江会館」という看板が下げられた、建物にたどり着きます。

そこからは美味しそうな中華料理の香りが……

残念ながら、ここは誰でも入れる料理屋ではないようです。

浙江省出身の中国人の集まりのようでした。

しばらくはG伯爵は戸口でうらめしげに匂いを嗅いでいるだけでした。

やがてG伯爵は、「浙江会館」に入れてもらいます。

そこで彼が目にした光景は……

美食のために死に物狂いの、おなかの大きな貴公子の大奮闘!

コミック調の作品です。

コメディ映画を思わせるような展開、描写。

とにかく描写がスゴイ!

大正8年の小説ですが今読んでも新鮮です。
美食倶楽部

母を恋うる記

大正8年(1919年)発表。

短編。

夢を描いた作品。

小さな男の子、潤一が主人公。

かつては日本橋の中心でおぼっちゃん暮らしをしていた潤一ですが、家が没落してしまい、今では両親を手伝って働かなければならない境遇です。

潤一は暗い道をたった一人で歩き続けます。

怖い思いやひもじい思いをしながら、気が遠くなるほどの時間を歩き続けた結果、潤一は月の美しい海辺へと出ました。

そこで「天ぷら喰いたい……」と言っているように聞こえる三味線の音を聞きます。

三味線を弾くのは若く美しい女性でした。

潤一はこの女の人は狐かしら……と疑いますが、実は彼女の正体は……

夢を夢らしく描くと言う点で非常に成功している小説です。

自分もいつかこんな夢を見たことがある、と誰もが少なからず感じることでしょう。
母を恋ふる記

富美子の足

大正8年(1919年)発表。

ある日小説家谷崎潤一郎のところに一通の手紙が届きました。

それはある若い画学生からのもので、彼の奇妙な体験をつづったもの。

画学生は自分の経験は価値があるから、ぜひ谷崎先生の文才で小説にしてほしいと頼みます。

そんな彼の経験とは……

故郷の山形の片田舎から上京した画学生は父親の紹介で、遠縁の質屋の隠居を訪ねるようになります。

隠居には孫と言ってもいいほど年の離れている、富美子という若い妾がいました。

画学生は美しい富美子目当てで、隠居の家にしばしば訪れるようになります。

隠居は画学生に富美子の肖像画を描くように頼みます。

それは富美子の美しい足がよく見えるように、という注文付きでした。

隠居と画学生は富美子の美しい足を眺めながらすごします。

ちゃきちゃきの江戸っ子で、純和風趣味の年老いた隠居。

片田舎出身で、西洋の美術を好む若い画学生。

二人はもともと趣味も育ちもまったく違い、何も共通点はありませんでした。

しかし「二人とも女性の美しい足が大好き!」という点で意気投合します。

隠居は病気で次第に弱っていきます。

そして臨終のおり、隠居の最後の願いは……

富美子の足

途上

大正9年(1920年)発表。

小編。

舞台は大正時代の東京。

年の瀬も押し迫った土曜日の夕方、サラリーマンの湯河はウキウキ気分で退社途中でした。

ポケットには月給とボーナスが入っています。

これから銀座に行って若いハイカラな妻にプレゼントを買って帰るつもりでした。

そんなとき見知らぬ男に話しかけられます。

私立探偵と名乗る立派な風采の男は湯河の前妻のことを持ち出します。

湯河の前妻は病弱で昨年チブスにかかりあの世の人となったのでした。

私立探偵は病気がちだった湯河の妻の病歴を子細に知っています。

そして湯河の妻がチブスにかかったのは湯河の故意によるものだと疑います。

モダンな雰囲気の推理小説です。

当時の東京の中流階級の生活を知ることもできます。

『途上』

痴人の愛

大正13年(1924年)発表

長編。

舞台は大正時代の東京。

真面目なサラリーマン技師、譲二が主人公。

譲二はカフェーで、アメリカの活動女優メリーピクフォードに似た女給見習いの美少女、15歳のナオミを見初める。

将来妻とする予定で、ナオミを引き取り同居するようになる。

ナオミと友達のように楽しく暮らしながら、立派な淑女にすべく教育するが……

次第にナオミは手の付けられない奔放な女性に……

そして最後は……

小悪魔的な魅力を持つ稀代の悪女ナオミに翻弄される男の物語。

ナオミの思い切った悪妻ぶりが、かえってすがすがしい娯楽性の高い作品です。

後半のナオミの悪妻ぶり(家事は一切しない、浪費家、貞操観念まるでなし)のすごさは想像を絶するほどです。

読んでいてまさかここまで! の連続です。

一方序盤のまだ男女の関係になっていない譲二と少女ナオミの関係は清純でちょっとほのぼの。
谷崎潤一郎『痴人の愛』

昭和3年(1928年)発表。

長編。

舞台は昭和初期の大阪。

主人公はブルジョアの娘、若い有閑マダムの園子。

園子には弁護士の夫がいますが、堅物で園子とそりが合わない。

園子は夫が自分の実家の助けがあって学校を卒業したというのもあるのか、我が儘ほうだいの生活を送っていました。

物語が始まる前、夫以外の男性と婚外恋愛の経験があった彼女は、元恋人を忘れるために、女子技芸学校に通い始めます。

そこで知り合った美しい未婚の令嬢、徳光光子と女同士の恋人になり……

さらに光子とかつて恋人同士だった男も登場します。

そして最後は彼らを心配そうに見守っていた園子の夫もこの三角関係に加わるのでした。

複雑怪奇な恋愛関係を全編口語体(関西弁)で書いた小説です。

徹底した娯楽小説、三面記事小説ともいえますが、恋のはじまりを描いた序盤は自然で芸術的で美しい。

読んでいてねばりついてくるような感覚、それに読者が耐えられなくなるギリギリのところで、さっとラストに持っていくタイミングが見事。
『卍』

春琴抄

昭和8年(1933年)発表。
中編

舞台は幕末から明治の大阪。

大阪道修町の老舗薬屋の娘、 鵙屋琴 ( もずやこと )は9歳の時に視力を失い、音曲の道に励み、その大家となります。

そんな琴が幼い頃から晩年まで仕えていたのは、琴より4歳年上のもと 鵙屋( もずや )の丁稚、佐助でした。

彼は琴の三弦の弟子でもあり、その関係が公表されていない実質上の夫でもありました。

高慢で芸術の才能ある盲目の美女、琴と、彼女に盲目的に使える佐助の一生。

句読点を極力省いた、独特の文体が特徴的。

一度読んだら忘れれない美しい日本語の傑作です。
谷崎潤一郎『春琴抄』

蘆苅

昭和7年(1932年)発表。

中篇。

回想形式の小説です。

昭和初期、京都在住のある男は十五夜の夜に淀川の上で月見がしたくなりました。

渡し舟で淀川の中にある州にわたります。

三角州の先っぽで酒を飲んで、景色を眺めていると、主人公と同年代の男が現れます。

その男の回想がこの小説の本題。

男の子供時代の思い出から、男の父親が経験した不思議な恋。

『卍』『春琴抄』を彷彿とさせますが、絶妙なとりあわせで、優美で穏やかな恋愛物語となっています。

今は没落したまるで大名のような暮らしを送る大阪の豪商たち。

そこで育った、町人でありながら、お姫様のように育った女性。

時代の偶然が生んだ、今はない華やかな世界が舞台の儚い恋にロマンチックな気分になれることでしょう。

現在→男の回想→男の回想のなかの男の父親の回想という入れ子形式の構成が巧妙です。

ラストも一ひねりしていて、それが物語の主題にもぴったり合っています。

「傑作」という言葉がふさわしい小説ですが、前半は歴史や古典や京都大阪の地理に詳しくないとちょっと(いやかなり)退屈です。

途中から面白くなりますので、頑張って読みすすめて下さい。
蘆刈

陰翳礼讃

昭和8年(1933年)- 昭和9年(1934年)発表。

随筆。

明るさと暗さ、そして光と影に関する話題を中心に、日本と欧米、東洋と、西洋の美意識の比較文化論を展開しています。

日本の芸術作品、工芸品、または住居、食事、衣服などは薄暗い中でこそその美しさを発揮するものだったという考察は初めて読むととても新鮮に感じます。

読み終わった後は思わず電灯を消してみたくなること請け合いです。
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

細雪

昭和18年(1943年)から昭和23年(1948年)にかけて発表。

戦時中は軍部に時局に合わないと雑誌掲載を止められ、また戦後はGHQの検閲を受けて改変をしたため、5年もかけての発表となりました。

大長編。

昭和11年から昭和16年、没落しつつある大阪の旧家、蒔岡家の四姉妹の日常。

没落していく旧家、適齢期を過ぎてもなかなか結婚できない令嬢の様子がなまなましく描かれています。

リアリティのある筆致、三巻に及ぶ大長編で物語にどっぷり浸れます。

読み終わったころには、しばらく心が昭和11年から昭和16年の蒔岡家にトリップしてしまい、なかなか戻ってこられませんでした。

細雪

昭和31年(1956年)発表。

長編

中年夫婦の日記によってつづられる物語。

夫は四十代半ばにして、二十代の娘よりも美しく色香のある妻にぞっこんですが、一方妻の夫に対する愛情は微妙。

お互い相手に日記を読まれている、という前提で書いているため、日記に書かれていることは果たして真実かどうか……

最後に妻の真実は明らかにされますが、夫の方の真実はわからぬまま……

ミステリ要素もある小説です。
『鍵』

夢の浮橋

昭和34年(1959年)発表。

中編。

舞台は明治後期から昭和初期の京都。

風光明媚な京都の郊外の屋敷で育った少年糺(ただす)。

有閑階級の父は交際嫌いでほとんど外出せず愛する妻の琴を聞くことが唯一の楽しみの男性でした。

糺(ただす)の美しい母は糺(ただす)が数え年六歳の時に、若くしてあの世の人となります。

そして数年後、父は母によく似た女性と再婚しました。

しだいに糺(ただす)の中で、生母と継母は重なっていき、同一人物となります。

源氏物語を連想させる、母親の面影をもつ女性に恋する物語。

優しく柔らかい文体ですが、なかなか衝撃的なストーリーです。

前年に右手がマヒして、ペンが取れなくなったため、口述筆記で書かれた谷崎七十三歳の作品。

女性美を知り尽くした作家が最後に懐かしむのは「母親」なのでしょうか?

主人公は二十代の若者ですが、作家が老境に入ってから書かれた聞くと「なるほど」と思わせる小説です。
『夢の浮橋』

タイプ別おすすめ作品

芸術が味わいたいあなたへ

文章の美しさならとにかく『春琴抄』です。

句読点を極力はぶいたこの文体は、本当にこの作品独特のもの。

一度読んではまってしまい、他の谷崎潤一郎の作品をさがしても見つかりません。

翻訳したら価値が半減してしまうような美しい日本語。

そこまで言われる『春琴抄』がどんなものか一度手に取ってみてください。

『春琴抄』以外で、風格ある文章が読みたいなら、谷崎の初期作品『秘密』『刺青』。

ほぼデビュー作ですが、若書き、習作っぽい所は全くありません。

デビュー時からここまで完成されていたことに驚きます。

気軽に読書が楽しみたいあなたへ

谷崎作品は純文学のなかでは娯楽性が高めです。

『痴人の愛』『卍』はエンターティメント小説を読む感覚で気軽に読めるでしょう。

ストーリーは急展開で非常に面白い。

(具体的に言えば登場人物の奔放さは読者の予想以上でびっくり仰天)

そんな娯楽小説のなか時折はっとするような芸術性が紛れ込んでいるのがこれらの小説の特徴です。

ただ芸術性は少々薄味。

芸術目的で読むとがっかりしてしまうかもしれません。

私が初めて読んだ谷崎作品は『春琴抄』だったのですが、それに感動して同じ作家のものをということで『卍』を読んだときは、あれ? という感じでしてた。

また娯楽といっても冒険小説のようなものではなくて、スキャンダルの面白さなのでそういったものが好きではない人には向かないかもしれません。

ゴシップとかスキャンダル大好き、ついつい見ちゃうという人にはおすすめです。

これらの作品は芸術性もある上等のスキャンダル小説といえるでしょう。

作品の特徴 一貫した女性像

谷崎潤一郎の稀有なところは、二十代半ばで作家デビューしたばかりの『刺青』、『麒麟』、中期の『痴人の愛』、『春琴抄』、『卍』、そして老年期の作品までほぼ一貫して同じ女性像、似たような男女の関係を描いているということです。

『卍』の光子、『痴人の愛』のナオミ、『春琴抄』の春琴、『細雪』の妙子はほぼ同じ女性像を手を変え品を変え表現しているといえるでしょう。

その女性像とはすなわち「女王様」。

美しく魅力にあふれていますが、決して性格は好くはありません。

わががまで、ずる賢く、美貌と魅力の他には何もいいところの無いような女性も登場しますが、彼女たちの価値は倫理観を超えてところにあるようです。

そしてその女性たちと夫や恋人の関係はいつだって女性の方が支配的です。

パートナーの男性はその女性の魅力に圧倒され、女性にひれ伏しています。

作品によっては女性の「奴隷」「下僕」になってしまっている男性もいます。

三歩下がって夫を立てる女性や、支配的な夫、夫唱婦随な関係、男に尽くす女性、などはまず出てきません。

50年にわたる作家人生で、ここまで同じような女性像や男女の関係を書き続けたことは驚くべきことですね。

普通の人間でも青年期と老年期では好きな異性のタイプは変わることが多いですよね。

50年もあれば、その時代、時代の流行に左右されることも多いでしょう。

まして作家なら意図的にいろいろなタイプの女性を書いてみたいと思いそうなものです。

作家としての活躍期間が10年程度の夏目漱石でももっと女性像のバリエーションがあります。

川端康成の代表作を読んで、作者がどんな女性が好きだったか当てるのは難しいですね。

一方谷崎潤一郎は代表作を何作か読めば、作者がどんな女性が好きだったのがまるわかりです。

そして初期の小編を読んでその頃から似たような女性を書いていたことに驚かされます。

正直、ときどき、ああまたこの手の女性か? ワンパターンだな、と思ってしまうこともあります。

しかし、それが誰かの影響を受けたとか、その時代の流行とかではない作家自身の生まれついての女性像であること。

そしてそれが二十代半ばから老年期まで一貫していたことを考えると、そのブレのなさに感動してしまいます。

天才小説家の生涯

作家デビューまで

明治、大正、昭和と長期間にわたって作家として活躍し他谷崎潤一郎の生涯について紹介します。

谷崎潤一郎は明治19年に東京市日本橋蛎殻町(現、東京都中央区日本橋人形町)で生まれました。

裕福な家庭の子でした。

お坊ちゃん育ちで小学校に行くときも、ばあやさんがついて行ったとか……

まるで『少年』の信一のようですね。

この下町のお坊ちゃん育ちというのは谷崎の作品の中でも重要な要素となっています。

潤一の成長にしたがって、しだいに家計が傾いていきます。

中学校に進むのも危ぶまれるほどの家計状況でした。

しかし潤一は超秀才。

また早くも文学の才能に目覚めていました。

そんな潤一が進学をあきらめるのを残念がった潤一の叔父ををはじめとする周囲の大人たちが、なんとか潤一を進学させようと手助けしてくれます。

住み込みの家庭教師をしながら、途中で飛び級をしたり、学年トップの成績だったりと秀才ぶりを発揮します。

東京帝国大学国文科に進学することもできました。

本来は法学部(文系のトップ)に進学できるほどの成績でしたが、作家志望だったため国文科に進みました。

しかし結局学費滞納のため退学してしまいました。

明治43年、谷崎本人も創刊にかかわった、同人雑誌第2次「新思潮」に「刺青」、「麒麟」を発表しました。

翌年も、「少年」「秘密」などの新人作家らしからぬ、傑作を続けて発表し注目を浴び、一躍文壇の寵児となります。

そしてその後も、明治、大正、昭和と三つの時代にわたって名作を世に出し続けました。

谷崎潤一郎の人生について詳しくはこちら
https://umiumiseasea.com/tanizaki/jinsei

参考外部ページ
谷崎潤一郎 – wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B4%8E%E6%BD%A4%E4%B8%80%E9%83%8E