谷崎潤一郎『春琴抄』あらすじ、感想、文体

春琴抄の文体

『春琴抄』は句読点、改行のきわめて少ない独特の文体で書かれています。

谷崎潤一郎の他の作品でも見られない『春琴抄』独特の文体です。

通常このような書き方は非常に読みにくいのですが(私は文章を書くときはこれの反対をいくように気を付けています、つまりなるべく短く区切る、改行を多くする)なぜか春琴抄は非常に読みやすいのです。

また読んでいると心地よくなるような不思議なリズムがあります。

また本文を引用してみるとわかるのですが、使われている言葉も難しいのです。

鞠躬如(きっきゅうじょ)とか扈従(こしょう)とか現代ではまず使いませんよね。

しかし読んでいるときは、ほぼ気になりません。

どこにこの読みやすさの秘訣があるのか摩訶不思議です。

まさしく天才の技だといえるでしょう。

この独特な美しい文体が、この小説の価値の半分以上を占めていると思います。

最後に『春琴抄』の特徴的な文体を一番よく表している箇所を引用しておきましょう。

谷崎潤一郎の『文章読本』にも引用されている部分です。

女で盲目で独身であれば贅沢ぜいたくと云っても限度があり美衣美食をほしいままにしてもたかが知れているしかし春琴の家にはあるじ一人に奉公人が五六人も使われている月々の生活費もなまやさしい額ではなかったなぜそんなに金や人手がかかったと云うとその第一の原因は小鳥道楽にあったなかんずく彼女はうぐいすを愛した。今日きごえの優れた鶯は一羽一万円もするのがある往時といえども事情は同じだったであろう。もっとも今日と昔とでは啼きごえの聴き分け方や翫賞がんしょう法が幾分異なるらしいけれどもまず今日の例をもって話せばケッキョ、ケッキョ、ケッキョケッキョとくいわゆる谷渡たにわたりの声ホーキーベカコンと啼くいわゆる高音こうね、ホーホケキョウの地声の外にこの二種類の啼き方をするのが値打ちなのであるこれは藪鶯やぶうぐいすでは啼かないたまたま啼いてもホーキーベカコンと啼かずにホーキーベチャと啼くからきたない、ベカコンと、コンと云う金属性の美しい余韻よいんを曳くようにするにはある人為じんい的な手段をもって養成するそれは藪鶯のひなを、まだ尾のえぬ時にって来て別な師匠の鶯に附けて稽古させるのである尾が生えてからだと親の藪鶯の汚い声を覚えてしまうのでもはや矯正きょうせいすることが出来ない。

 

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まんだむさんによる写真ACからの写真