糺(ただす)の生母の記憶
糺(ただす)は京都の郊外の風光明媚な屋敷で育ちました。
親子三人と乳母、三人の女中さんの七人で暮らしていています。
父は有閑階級で、かつ交際嫌い。
ときどき関係の銀行に顔を出す以外は、外部とのつきあいがほとんどありません。
お客さんもほとんどいない静かな暮らしです。
父は母さえいれば他に何もいらない、という男性で、趣味らしい趣味もありませんでした。
父の娯楽と言えば母に琴を奏でさせ、それを聴くことぐらいでした。
屋敷は千坪ほどですが、造園の技術のすぐれた庭師が丹精を凝らしたため、実際よりずっと奥深く幽邃な感じがします。
そんな屋敷で世間との交わりがほとんどなく、ただ妻だけを愛して暮らす男性……
それが糺(ただす)の父でした。
糺(ただす)が幼い頃、母はときどき池に面した奥座敷の勾欄から池の魚にお麩を投げてやります。
その時糺(ただす)は母に寄り添って一緒にお麩を投げます。
また糺(ただす)は母のやや太り気味な暖かで、厚みのある腿の肉の感触を味わいながら、母に抱かれて彼女の膝に腰かけていることもありました。
夏の夕暮れには家族三人で池の周りで夕食をとることもありました。
母が池に足を垂らして池の水に浸します。
水の中で見る母の足は外で見るよりも美しいものでした。
白くて丸っこいつみれのような足でした。
またある時、糺(ただす)が吸い物椀に浮いているジュンサイを見て
と母に尋ねると、母は
と答えます。
それを聞いていた父が、
それはジュンサイというものだ
と笑うと。
母が
昔の歌にはなあ、みんなねぬなわて云うたありますえ。
と言った後、『ねぬなわ』の古歌を口ずさみます。
夜は父と母は奥座敷で眠り、糺(ただす)は両親の寝室から廊下を一つ隔てた部屋で乳母と一緒に眠りました。
糺(ただす)が母と一緒に眠りたくて、
と駄々をこねると、
母が
と糺(ただす)を抱き上げて、自分の閨へ連れていきます。
寝室には夫婦の寝床がすでにのべられていますが、父はまだ来ていません。
糺(ただす)は母と一緒に眠ります。
糺(ただす)は母の襟の間に顔をうずめます。
母の髪の匂いがします。
糺(ただす)は口で母の乳首のありどころを探り、それを含んで舌の間でもてあそびます。
母は黙っていつまでもしゃぶらせます。
糺(ただす)は母の乳首を握ったりなめずったりしながら、母の子守歌を聞いているうちに夢の中にはいります。
さて、糺(ただす)はこれらのことは「生母の思い出」だと思っていますが、実は確信しているわけではありません。
というのは糺(ただす)の生母は糺(ただす)が数え年六つの年に亡くなっているのです。
糺(ただす)は
と考えています。
糺(ただす)の生母は主人公が数え年六つの年に、二番目の子供を胎内に宿しました。
そして妊婦特有の病気にかかり二十三歳で亡くなりました。
糺(ただす)は生母の顔立ちをはっきりと思い出すことができません。
ぽっちゃりとした丸顔が朦朧と浮かぶだけで、具体的にどんな顔立ちだったのかは記憶にないのです。
また生母と継母の印象と重なってしまっているというのも生母の顔をはっきりと思い出せない原因でした。
生母は写真嫌いでした。
家にある生母の写真は仏壇にある一枚だけ。
しかもそれは生母の嫁入り前の十六七歳の頃のものです。
糺(ただす)はその写真を見ましたが、思い出の中の生母と重なりません。
糺(ただす)が知っている生母とは髪型も違うし、写真の方が随分と太っていました。
母が亡くなってから、幼い糺(ただす)は母が恋しくてたまりません。
特に母に抱かれて眠った時の、髪の匂いと乳の匂いの入り混じった、生暖かい懐の中の甘いほの白い夢の世界、がなつかしくてたまりません。