谷崎潤一郎『人面疽』あらすじ 感想

船員とあやめ太夫が物乞いを騙す

さて、秋になり、アメリカ人の船員があやめ太夫の暮らす港に戻ってきました。

船員はあやめ太夫をアメリカに連れていきたいのですが、彼には莫大な身請けの金を工面することはとてもできません。

しかたがないので、船員はあやめ太夫を遊郭から盗み出した上、商船の底に隠して、アメリカに密航させようと考えました。

船員の計画は以下のようなものでした。

まず、例の尺八吹きの物乞いに協力してもらうことに決めます。

或る夜、ひそかにあやめ太夫が妓楼の裏口から忍んで出ると、そこに待ち構えている船員があやめ太夫をトランクに入れて、荷車に積む。

船員はトランクを物乞いに預けたまま、自分は何食わぬ顔で商船に帰る。

物乞いは町はずれの寂しい浜辺へ、あやめ太夫を入れたトランクを荷車に乗せて持っていく。

物乞いは彼が毎晩雨露をしのいでいる古寺の空き家で、トランクに入れたままあやめ太夫を数日かくまっておく。

数日後、船員が夜更けに一艘のはしけを、寺のがけ下の波うち際にこぎよせる。

船員は物乞いの手からトランクを受け取り、首尾よく商船へ積み込む。

以上のような計画でした。

物乞いは喜んで、船員の頼みに協力することに同意しました。

しかしその代わりに物乞いは船員に金銭以外の報酬を要求します。

それは……

華魁の爲めに働くことなら、私はたとひ命を捨て人も惜しいとは思ひません。

かなはぬ恋に苦しんで居るより、私はいっそ、華魁がそれ程までに慕って居るあなたの為めに力を貸して、お二人の恋を遂げさせて進ぜませう。

それが私の、華魁に對するせめてもの心づくしです。

けれどもあなたが、此の見すぼらしい乞食の衷情を、若し少しでも可哀さうだと思し召して下すったら、幸ひ花魁をあの古寺へ匿って置く間だけ、或はたった一と晚だけでも、どうぞ體を私の自由にさせて下さい。

後生一生のお願ひでございます。……

……去年の春、あなたの船が此の港を立ち去ってから、毎日 毎日、お部屋の欄干の下にたたずんで、笛を吹いては華魁の心を慰めて上げたのも私でございます。

物乞いにしては身の程を知らぬ、勿體ないやうなお願ひでございますが、お聞き届けて下すったら、私は死んでも本望でございます。

萬一惡事が露顕しても、罪は私が一人で背負って、何處までもあなた方をお助け申しませう

船員はここまで頼まれたら、にべなく拒絶するわけにもいきません。

あやめ太夫は自分の大切な恋人ではあるものの、遊女です。

どうせ今迄多くの男の相手をしたことがあるわけですから、此の物乞いの親切に報いるために、一夜、二夜の情けを売っても差しつかえないだろう、と考えます。

しかし船員からこの話を聞かされたあやめ太夫は連子格子(れんじこうし)の隙間から物乞いをちらりと見ただけで震え上がります。

(あやめ太夫)
冗談じゃないわ!

あんなきたない物乞いなんかと嫌よ!

あやめ太夫は遊女と言っても最高級の花魁です。

一晩とはいえ、不潔で醜い物乞いに身をまかせるなんて、死ぬほどつらいことなのです。

(船員)
君がそんなに嫌なら、しかたがない。

可哀そうだけれど、彼を騙すことにしよう……

計画を決行する日となりました。

船員はあやめ太夫の入ったトランクを物乞いに預けます。

物乞いはトランクを荷車に積んで、すみかの古寺に運びます。

物乞いは積年の望みが叶うのを前にして、ルンルン!

いや彼は思いを遂げたら命を絶つ覚悟なぐらいでしたから、もっと切羽詰まった思いだったかもしれません。

物乞いはあやめ太夫のトランクをすみかの古寺に運びこむと、トランクの蓋を開けようとします。

(物乞い)
ああ! いとしのあやめ太夫!!

……あれ?

トランクには厳重な鍵がかけられていてどうしても開けられません。

物乞いはトランクにしがみついて、中のあやめ太夫を相手に、一晩中、船員への恨み言を述べました。

(物乞い)
ひどいや……ひどいや……あいつは俺を騙したんだ……
(あやめ太夫)
彼は、悪気があってあなたを騙したわけではないのよ……

きっと慌てて、あなたに鍵を渡すのを忘れたのだわ。

今に彼がやってきたら、このトランクを開けさせて、あなたの望みをかなえてあげるから……

あやめ太夫が物乞いをなだめすかしているうちに二三日たち、船員がやってきました。

明け方に古寺へやってきた船員は、物乞いに向かって鍵を忘れたことを何度か謝罪した後こんなひどいことを言います。

もうじき、商船がイカリを上げて、港を出帆しようとしている。

とてもお前の願いをかなえてやる暇はないから、どうかこれで勘弁してくれ

船員は物乞いに向かって、ぽいっと、若干の金包みを投げ与えました。

もちろん物乞いはそれで満足するわけはありません。

此の後長く華魁の姿を見ることの出來ない世の中に、生きて居ても仕様がないから、私は望みがかなったら、海に身を沈めて死なうとまで決心して居た。

それだのにあなた方は、酷くも私を欺したのだ。

さほど花魁が私をお嫌ひなさるなら、無理にとはお願ひ申しますまい。

その代り、どうぞ今生の思ひ出に、一と眼なりともお顔を拝ませて下さいまし。

せめて華魁の、黄金の刺繍をしたきらびやかなキモノの帯になりとも、最後の接吻をさせて下さいまし

物乞いは繰り返しこう頼みますが、

あやめ太夫は

絶対に、このかばんを開けてはだめよ!
早くこの物乞いを追い払って私を船へ乗せて頂戴!
と断固嫌がります。

(船員)
あなたには気の毒ですが、彼女がああ言っているのでしかたがない。

それに残念ながら今日は僕もトランクの鍵を持ってこなかった。

(物乞い)
よろしうございます。

そういわけなら、私は今、あなたの目の前でこの海岸から身を投げます。

ですが私は死んでもあやめ太夫に会わずにはおきません。

会って恨みを言わずにはおきません。

(あやめ太夫 トランクの中から)
死ぬなら勝手にお死に!
(物乞い)
私が死んだら、私の執拗な妄念は、私の醜い面影は、花魁の肉の中に食い入って、一生おそばに付きまとっているでしょう。

その時になって、どんなに後悔なさっても及びませぬぞ。

物乞いはそう言ったかと思うと、寺の前の崖の上から、海へ飛び込んでしまいました。

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