谷崎潤一郎『人面疽』あらすじ 感想

物乞いのうらみ

さてあやめ太夫はトランクの中に入ったまま、種々雑多な荷物と一緒に船底の片隅に放り込まれます。

彼女はトランクに蓄えられている水とパンで命を繋ぎながら、窮屈な鞄の中に、両膝を抱えて膝がしらの上にうなじを伏せて、身を縮めています。

二日たち、三日たつうちに、右の膝がしらに妙なできものが噴出して恐ろしく膨れ上がってきます。

不思議なことにちっとも痛みを感じません。

できものは次第に顔の形になっていきます。

そして恐ろしいことに、その人の顔の形をしたできものは、あの物乞いにそっくりなのです。

アメリカについてからのあやめ太夫の運命は悲惨なものでした。

あやめ太夫と恋人の船員はサン・フランシスコの場末の町で間借りをして暮らしていました。

あやめ太夫は船員にはできもののことは固く秘密にしていました。

船員は近頃しきりに陰気になったあやめ太夫を不信に思いながら、それとなく注意していました。

或る晩偶然、船員は、あやめ太夫の膝の人面のできものを発見してしまいます。

船員は恐ろしさにあやめ太夫を捨てて逃げ去ろうとします。

あやめ太夫は恋人を逃がすまいと激しく格闘します。

ふとした拍子にあやまって、あやめ太夫は船員の喉を締めて命を奪ってしまいます。

(あやめ太夫の体には怨霊がのりううっていて、無意識のうちにそれほどの腕力を出させたのである)

恋人をあやめてしまったあやめ太夫が放心していると、格闘の結果ずたずたに裂けたガウンの割れ目から人面のできものがにやにやと気味悪く笑っています。

この事件以来、あやめ太夫は急に性格が変わりました。

彼女は恐ろしく多情な大胆な毒婦になるとともに、以前に倍増する妖しい美しさを持つようになりました。

次から次へと様々な西洋人を騙しては、金を巻き上げ、命をも奪い取ります。

折々、自分の犯した罪の幻に責められて、夜中にはっと目を覚まします。

そのたびに何とかして改心しようとはするのです。

しかしいつも人面のできものが邪魔をして、彼女の臆病をあざけり、悪事をそののかすのでなかなか悪事をやめることができません。

あやめ太夫はあるときは売春婦になり、或る時は寄席芸人になります。

舞台はサンフランシスコからニューヨークにうつります。

欧州の各国からやってきた、貴族や富豪や外交官など身分の高い紳士たちが彼女に魅せられ、生き血を吸われます。

彼女は壮麗な邸宅に住み、自動車を乗り回します。

貴婦人と見まがうばかりの豪奢な暮らしをしていますが、孤独なときは相変わらず良心の呵責に悩まされています。

しかし悩まされれれば悩まされるほど彼女は美しくなっていくのでした。

あやめ太夫は最後に某国の若い侯爵と恋に落ちて、結婚します。

そのまま侯爵の奥方として暮らすことができるなら、この上のない幸運ですが、そうは問屋がおろしません。

或る晩、新婚の侯爵夫婦が大勢の客を招いて大夜会を催した折でした。

そこで彼女は大勢の見ている場所で、人面のできものをあらわにしてしまったのです。

彼女は普段はできものにガーゼをあてて上から固い靴下をぴったりとはいて、人の前ではいかなる場合でも膝をあらわにしませんでした。

しかしその夜彼女が舞踏室で夢中になって踊り狂っている最中に、真っ赤な血が突然彼女の純白なドレスに染み出しててきたのです。

それでも彼女はまだ気が付かずに跳ね回っていましたが、日頃から妻が膝に包帯をするのを不思議に思っていた侯爵が何気なく傍へ寄って傷に目を止めました。

侯爵はついに妻の膝の上の人面のできものを見つけます。

人面のできものは自ら歯でドレスを食い破って長い舌を出して、眼から鼻から血を流しながらげらげら笑っています。

それに気が付いたあやめ太夫はその場で発狂します。

彼女は自分の寝室へ駆け込むと同時にナイフを胸に突き刺しつつ寝室の上へ仰向けに倒れます。

こうしてあやめ太夫は命を失いましたが、人面のできものだけは生きているらしく、いまだに笑い続けています。

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