谷崎潤一郎『人面疽』あらすじ 感想

映画の謎

さてこのような内容の映画らしいのですが、普通の映画とはちょっと違います。

当時の映画は、通常映画の初めに原作者並びに、舞台監督の姓名と、主要な役者の本名と役割が書かれた番付が現れます。

しかし不思議なことに、この映画では主演の歌川百合枝の名前だけが麗々しく紹介されて、その他の情報は一切書かれていません。

ちなみに映画は侯爵夫人と花魁の衣装をつけた百合枝の挨拶で始まります。

また笛吹きの男の役者は今迄かつて見覚えのない顔で、また俳優の紹介もされていません。

また百合枝はいままでそんな映画に出た覚えはさっぱりないのでした。

もっとも映画というのは普通の芝居のようにあらすじ順に撮るわけではありません。

台本の中から手あたり次第に場面を選んで、その時の都合によって台本の中から手あたりしだいに場面を選んで写していくのです。

場合によっては一つの場所で一度に二三本の映画の場面をとることもありました。

また役者は自分の演じている映画の筋を知らないことも多いのです。

特に百合枝が所属していたアメリカの映画会社、「グロオブ会社」では、俳優には撮影前には映画の筋を知らせない主義でした。

そういうわけで百合枝はグロオブ会社にいる四五年のうちに、無数の撮影をしたわけですが、それが結局どの映画になったのかわかっていないのでした。

たしかに彼女は今迄に何回となく、花魁や貴婦人に扮装した覚えがあります。

また女賊や女探偵、女スパイを得意としていたわけですから、トランクの中に隠れたり、男を翻弄したり、殺害したり、といった光景も数えきれないほど演じています。

だからそれが組み合わさって、この映画になったとしてもおかしくはないのです。

しかしそうはいっても、後日完成された映画を見るなり、筋を聞くなりすれば、たいてい

あの時写したのがあれだった
と思い当たるのが常でした。

それにそんなに傑出した映画なら、百合枝が今迄見たこともなく、存在すら知らなかったというのは奇妙です。

というのは百合枝は自分が演じた映画を見るのが何より好き。

たとえどんな短いフィルムでも自分が出演した映画は一つ残らず目を通しているはずです。

またそれほど芸術的で優秀な映画が長く世間に認められずにいて、このごろふいと場末の映画館をめぐっているというのも不思議です。

いつその映画は日本へ輸入されたのでしょう?

そしてなんという会社の手によってどこで封切されたのでしょう?

また東京の場末に現れる前は何処をうろうろしていたのでしょう?

百合枝はためしに、同じ会社に勤めている俳優や、事務員に聞いてみましたが、誰もそんなものは知らないと言います。

おりがあったら、一遍見に行きたいと思っていながら、何分遠い場末の町にかかっていて、今日は青山、明日は品川、というふうに始終ぐるぐる回っているために、いつも機会を逃してしまいます。

なかなかその映画を見ることができないと思うと、その映画に対する百合枝の好奇心はますます募りました。

グロオブ会社にはジェファソンという「焼き込み」(映画を合成して現実にはあり得ない場面をつくること)の上手な技師がいて、盛んにトリック写真を制作していました。

おそらく人面のできものも、ジェファソンの技術によって出来上がったものでしょう。

あの快活でひょうきんなジェファソンさんのことだから、きっと私をびっくりさせるつもりで、思い切って大胆な細工をほどこしたことでしょう。

できものの箇所以外にも予想外な微妙なトリックを全篇いたるところに応用したことでしょう。

それを思うと、私はやっぱりその映画を見ずにはいられないわ。

また百合枝は笛吹きの物乞いを演じた日本人の俳優についても、深い疑念を抱かずには居られませんでした。

百合枝が所属していた頃、グロオブ会社に雇われていた日本人俳優は三人しかいませんでした。

百合枝は物乞いに扮したその三人のうちのだれかと一緒に、長崎のような港湾を背景にカメラの前に立った覚えはないのでした。