谷崎潤一郎『鍵』 あらすじ

妻の裸体を撮影する

二月十四日(夫の日記)

夫は木村からポラロイド写真機のことについて聞きます。

ポラロイド写真機は昭和31年の当時には最先端でした。

夫は「写したものが即座に現像されて出てくる、携帯に便利、長い露出時間がいらないから、三脚を使わないで写せる」などの機能に惹かれます。

当時はアメリカから輸入しなければ入手できないものでしたが、木村の友達が持っているそうです。

木村が「もしお使いになりたいなら借りてきますよ」というのです。

夫はそれを欲しいと思いました。
(妻の裸体を撮影するためですね)

しかしこうも思います。

どうして木村は自分がこんなものが欲しいということを知っているのだろうか?

木村は自分たち夫婦の秘密を知っているのか……

二月十六日(妻の日記)

今日日記を書いていると二階にいる夫が下りてきた。

私は急いで日記を隠したが、日記を隠すときの、紙のぴらぴらという音が夫に聞こえたのではないかと思う。

今後用心しなければならない。

でも狭い家で日記のありかを隠し通せるとは思わない。

今後夫の在宅中は留守にしないようにしようか?

でも木村さんに映画に誘われているからそれは行きたい……

それまでによい方法を考えなければ……

二月十八日(夫の日記)

昨晩行為の最中妻が四回も「木村さん」とうわごとを言った。

あれはもううわごとではなくて、うわごとを装っているのだろう。

なんの目的であんなことを言うのだろう?

「私は本当は眠っていない、眠ったふりをしているだけですよ」と僕にわからせるためか?

それとも「私はセックスの相手があなたなのが嫌なのですよ。木村さんだと思いたいのですよ」と言いたいのか?

今日敏子が家を出て、下宿先に移った。

今朝引っ越しの時は妻はまだ昏睡していた。

引っ越しには木村が手伝いに来た。

木村は帰り際にポラロイドカメラを置いていった。

二月十九日(妻の日記)

………敏子の心理状態が私には掴めない。

彼女は母を愛しているようでもあり憎んでいるようでもある。

だが少くとも、彼女が父を憎んでいることは間違いない。

彼女は父母の閨房関係を誤解し、生来淫蕩な体質の持主であるのは父であって、母ではないと思っているらしい。

母は生れつき繊弱なたちで過度の房事には堪えられないのに、父が無理やりに云うことを聴かせ、常軌を逸した、よほど不思議な、アクドイ遊戯に耽けるので、心にもなく母はそれに引きずられているのだと思っているらしい。

(ほんとうを云うと、私が彼女にそう思わせるように仕向けたのである)

昨日彼女は最後の荷物を取りに来て寝室へ挨拶に見えた時に、「ママはパパに殺されるわよ」とたった一言警告を発して行った。

(中略)彼女は私の胸部疾患が、こんなことから悪化して本物になりはしないかを、ひそかに心配しているらしくもあるのだが、そうしてそれゆえに父を憎んでいるらしいのだが、でもその警告の云い方が妙に私には意地の悪い、毒と嘲あざけりを含んだ語のように聞えた。

(中略)彼女の心の奥底には、自分の方が母より二十年も若いにかかわらず、容貌姿態の点において自分が母に劣っているというコンプレックスがあるのではないか。

彼女は最初から木村さんは嫌いだと云っていたが、母―――ジェームス・スチュアート―――木村さん―――という風に気を廻して、ことさら彼を嫌っているらしく装っているので、本心は反対なのではないか。

そして内々私に敵意を抱いだきつつあるのではないか。

日記が夫に見られたかどうかを確認するために、妻はある方法をとることにしました。

それは日記をセロハンテープで封じて、テープを貼った場所、テープの幅などを測って記憶しておくのです。

薄い紙なのでテープをはがせば必ずけば立ちますし、貼りなおせば位置や幅がずれるので貼りなおしたことが分かるでしょう。

二月二十四日(夫の日記)

敏子が家を出たというのに、木村は相変わらず二三日置きに家にやってきます。

夫からも木村に電話をかけました。

ポラロイドはすでに二晩使用しています。

つまりブランデーで昏睡した妻の裸体を撮影しているわけです。

写真は妻の全裸体の正面と背面、各部分の詳細図、いろいろな形状に四肢を曲げて、折ったり伸ばしたりして最も蠱惑的な角度から撮りました。

撮ること自体楽しいのだが、さらにそれを日記帳に挟みたいと思っている。

妻はこの日記を盗み読みしているに違いないのだから、この写真を見たらどんな反応をするか楽しみだ。

彼女は自分の肉体の美しさに驚くだろう。

また自分がいかに彼女の裸体を見たがっているかを知り感激するだろう。

(四十五歳の妻の裸体を夫が見たがっているというのは稀有なことだ)

また妻が自分のこんな恥ずかしい写真を見ていつまですましていられるか、それも試したい。

といってもポラロイドカメラは映りが悪くぼんやりしているので、不満だからまだ日記に添付はしていない。

二月二十七日(妻の日記)

今日は日曜日でした。

妻は木村と敏子と一緒に、朝から映画を見に行きました。

敏子は

自分は一緒に行きたくはないのだが、二人では工合が悪いだろうから、ママのために犠牲になって附き合って上げる

というような顔をしています。

家に帰ってから、夫が出かけて留守になると、日記帳を見た。

僅かに傷がついている。

夫が読んだようだ。

私は自分の胸の内を人に語るのは好きではないから、自分自身に語るために日記を書き始めた。

今人に読まれてしまった以上日記を書くのをやめるべきかもしれないが、やはり続けるつもりだ。

というのは読まれた人、というのが他ならぬ私の夫であるし、今後は日記を書く際、夫に言いたいけど言えないことを書こうと思う。

しかし夫にはもう日記を読まれるのは構わないけど、彼に日記を読んだことは黙っていてほしい。

それから夫には、私が夫の日記を読んでいないことを信じてほしい。

私は旧式な、人の日記など盗み読むことのできないような育ち方をしている。

私は夫の日記帳のありかを知っているし、それに手を触れたり、中を開けたことはあるが、文字は一字も読んだことがないのである。

これは本当のことだ。

二月二十七日(夫の日記)

妻が日記をつけていることを僕は数日前から知っていた。

便所に行くため一階に降りると、雁皮紙をくしゃくしゃさせる音がした。

そして彼女は最近僕の在宅中に外出しない。

そこで疑わしいと思った僕は木村に頼んで、妻を連れだしてもらったのだ。

妻の留守中に茶の間を探すと日記が見つかった。

彼女はもう僕が日記のことを嗅ぎつけたのを知っているようで、セロハンテープで閉じてあった。

セロハンテープを剥がして、日記帳を開いてみたが文字は一字も読んでいない。

僕は妻が日記に木村のことをどう思っているか書いてあると思うとそれを読むのが怖いのだ。

郁子よ、どうか木村への思いを日記に書かないでくれ。

嘘でも木村はあくまでも僕と妻の関係の刺激剤であってそれ以上の何者でもないとしておいてくれ……。

今日、敏子の別居以来、初めて四人(夫、妻、敏子、木村)で夕食の卓を囲んだ。

敏子は先に帰り、妻は酒盛りが始まるといつものようにお風呂で失神。

夜遅く木村が帰るときに僕は木村にポラロイドを返した。

そこで夫と木村の間にこんな会話が交わされます。

夫「やはり普通のカメラ機の方が撮りよいね。これからは家にあるやつで写すよ」

木村「現像は外にお出しになるのですか?」

夫「君の家で現像してくれないだろうか?」

木村、ちょっと困った顔をして「お宅で現像なさったらいかがでしょう?」

夫「人に見られては困る写真だが、僕の家では現像できない。というのは引き伸ばしてもらいたいのだが、家には暗室を作るのに適当な場所がないんだ。君の家でやってくれなだろうか? 君にだけは見られてもしかたない」

木村「考えておきます」

翌朝、妻がまだ昏睡中木村が家にやってきました。

写真の現像ができるようになったことを伝えにきたのです。

三月三日(夫の日記)

木村に妻の裸体写真の現像を頼んだ。

渡すぎりぎりまで本当にこの写真の現像を彼に依頼するか悩んだ。

こんなことをしたら木村を刺激して妻と木村の関係が進んだりしないだろうか?

もしそうなったらその責任を負うのはこんなことをして木村を挑発した僕となる。

また妻がこのことを知ったら妻がどう考えるだろう?

僕がこんなことをしたということは、自分が木村と不義をすることを僕が許したと思わないだろうか?

しかし僕はそこまで想像するといよいよたまらない嫉妬を感じる。

そしてその嫉妬の快感ゆえに、その危険を冒してみたくなるのだった。

夫は木村に「絶対に誰にも見せないでくれ」と言って写真のフィルムを渡しました。

三月七日(妻の日記)

今日また夫の書斎の前に鍵が落ちていた。

今年の正月四日落ちていたのと同じ場所である。

これは訳があると思って引き出しから夫の日記帳を取り出してみたら、私がしたのと同じようにテープで封がしてあった。

これは「夫がぜひ開けてみろ」と言っているのだろう。

私はこのテープをうまく痕跡をつけないではがしてみたい、という好奇心だけで剥がし日記帳を開けてみた。

相変わらず一字も読んでいないが、中に何か女の裸体を撮影したような猥雑な写真が貼ってあるのに気が付いた。

急いで日記帳を閉じたが、あれはなんだったのだろうか?

実は最近私は夜中、睡眠中、夢の中で誰かがフラッシュを用いて私を撮影しつつあるような幻影を見ていた。

また私はときどき昏睡中に自分が裸体にされることをボンヤリ感じている。

あれは夫が私を撮影していたのだろうか?

また夫は以前「お前はお前自身の体がどんなに立派で美しいか、ということを知らずにいる。一度写真に撮って見せてやりたいね」と言っていた。

きっと私が昏睡中、夫は私を裸にして撮影しているのだ。

日記帳に挟んだ写真はきっと私の裸体だ。

しかし私は夫を許そうと思う。

私は夫に忠実な妻の勤めとして、知らないうちにハダカにされることぐらいは忍耐しなければならないと思う。

それに夫はそういうことをしてやっと、私が満足できるようなセックスができるのだ。

わたしは夫の趣味に従うことによって、旺盛な淫欲を充たさせてもらっているわけだ。

それにしても夫はだれに写真を現像してもらったのだろう……