谷崎潤一郎『夢の浮橋』

継母がやってきた

糺(ただす)が小学校二年生の春です。

ある日学校から帰ってくると、屋敷の奥から琴の音が聞こえました。

糺(ただす)の生母は琴が上手で、よく池に面した勾欄で琴を弾いていました。

そのそばで父が母の琴に聞き惚れていたものです。

しかし母亡きあとは家の中で琴の音が聞こえることなどありませんでした。

どうしたのだろう?

と思って琴の音のするほうまで行くと、そこでは見知らぬ若く美しい女性が琴を弾いていました。

そばでは父が琴に聞き入っています。

女性が琴を弾いている場所は、母が生前、琴を弾いていた場所と同じです。

池に面した勾欄の上でした。

糺(ただす)さんてお云やすの?

お父さんによう似ましといやすこと。

と女性は糺(ただす)に話しかけます。

女性のゆったりとしたこせつかないようすに糺(ただす)は好感を持ちます。

ふっくらとした丸い輪郭、小柄な背格好、悠々とした様子がなんとなく母に似ているような気がしました。

糺(ただす)が

あの人だれ?
と乳母に聞くと、乳母は
わたしもよく知りません。

今日でいらっしゃるのは三遍目です。

お琴を弾いたのは今日が初めてですけど。

と言います。

それからしばらくしてまたその女性は屋敷にやってきました。

琴を弾いたり父と糺(ただす)と一緒に三人で池の魚にお麩をやったりします。

糺(ただす)が九つになった年の三月のことでした。

糺(ただす)、ちょっとおいで。

糺(ただす)は父に呼ばれました。

なにか、あらたまった話があるようです。

父の話は、父があの若い女性と再婚することになったというものでした。

父はこう言います。

お父さんはお母さんをとても愛していた。

お母さんが亡くなってしまったときは、お父さんはどうしたらよいかわからなかった。

そんなときにあの人と知り合ったのだ。

あの人はいろいろなところでお母さんによく似ている。

顔の感じやら、ものの言い方やら、体のこなしぐあいやら、優しいだけやのうて奥行きの深いゆとりのある性分やら……

お前はお母さんの顔をはっきり覚えていないだろうが、今にきっといろいろなとこであの人がお母さんに似ていることを思い当たるようになるだろう。

お父さんはあの人に会わなかったら再婚する気になんてならなかっただろう。

ひょっとするとお母さんがお父さんや糺(ただす)のためを思って、お父さんとあの人をめぐり合わせてくれたのかもね。

それから父は糺(ただす)にこんな不思議なことを言いました。

あの人が来たら、お前は、二度目のお母さんが来たと思たらいかん。

お前を生んだお母さんが今も生きてて、暫くどこぞへ行てたんが帰って来やはったと思たらええ。

わしがこんなこと云わいでも、今に自然そう思うようになる。

前のお母さんと今度のお母さんが一つにつながって、区別がつかんようになる。

前のお母さんの名ア茅渟(ちぬ)、今度のお母さんの名アも茅渟(ちぬ)。

その他、することかて、云うことかて、今度の人は前のお母さんとおんなしやのやぜ

客の少ない質素な結婚式のあくる日から、父は新しい妻を

茅渟(ちぬ)、茅渟(ちぬ)
と前の妻と同じ名で呼ぶようになります。

糺(ただす)も父に

さあ、お母ちゃんと呼ぶのや
と父に言われて継母を
お母ちゃん
と呼ぶようになります。

そして生母が生きていたときとほとんど変わらないような暮らしが始まりました。

生母の遺品の琴が持ち出されて、継母がそれを弾きます。

それを傍らに座った父がうっとりと聞き惚れます。

夏は池に床を出して親子三人で夕餉をとります。

継母は床から足を垂らして、池の水に浸します。

池の中ですき取っている継母の足を見ると、糺(ただす)は生母の足を思い出しました。

池の中で透き通っているその足を見ると、私は図らずも昔の母の足を思い出し、あの足もこの足と同じであったように感じた。

いや、もっと正確な表現をするなら、昔の母の足の記憶は既に薄れて消え去っていたのであるが、たまたまこの足を見て、正しくこれと同じ形であったことを思い起こした、と云った方がいいであろう。

そして継母も椀の中のジュンサイを「ねぬなわ」と言って、「ねぬなわ」の出てくる古歌を読みます。

糺(ただす)は大人になってから、過去を回想してみると、この足のことや「ねぬなわ」のことは生母の記憶が初めてで、継母の記憶は二回目だったのか、それとも継母が初めてだったのかはっきりしないのです。

父はつとめて生母の言ったことと、継母の言ったことを糺(ただす)が混同するようにしむけていたようでした。

継母も父の意向をくんで、そうするようにしていたようです。