谷崎潤一郎『魔術師』耽美な名作

恋人に公園に行くことを誘われる

さて、主人公の男性には恋人がいました。

ある日デート中に恋人は主人公にこう語りかけます。

(彼女)
ねえあなた、今夜これから公園へ行ってみようではありませんか?
(主人公)
公園? 公園に何があるのさ?
(彼女)
だってあなたはあの公園が大好きなはずじゃありませんか。

私は初めあの公園が非常に恐ろしかったのです。

娘の癖にあの公園へ足を踏み入れるのは、恥辱だと思っていたのです。

それがあなたを恋するようになってからは、いつしかあなたの感化を受けて、ああいう場所に言い知れぬ興味を感じ出しました。

あなたに会うことが出来ないでも、あの公園へ遊びに行けば、あなたに会っているような心地を覚えはじめました。

……あなたが美しいようにあの公園は美しいのです。

あなたが物好きであるように、あの公園は物好きなのです。
あなたはよもやあの公園を知らない筈はないでしょう。

おお知っている。知っている。

と主人公は答えました。

そうです。

その公園ではいつもいろいろな珍しい見世物が催されているのです。

それは

  • アムフィセアタア(円形劇場、古代ギリシャの遺跡にあるようなものですね)
  • スペインの闘牛
  • Hippodrome(古代ギリシャ・ローマの競馬・戦車競走の競技場)
  • 世界中の人間の好奇心をそそのかす、身の毛のよだつようなフィルムが、白昼の幻の如くさまざまと写されている活動写真。

恋人は主人公でそこで見たさまざまな活動写真について語ります。

恋人の話を聞いていると、彼女の語る活動写真の場面がありありと目に浮かび、主人公は恍惚とします。

主人公は恋人にこう言います。

しかしおそらくあの公園には、もっと鋭く我々の魂を脅かし、もっと新しく我々の官能を蠱惑する物があるだろう。

―物好きな私が、夢にも考えたことものない、破天荒な興行物があるだろう。

私にはそれがなんだかわからないが、お前は定めし知って居るに違いない。

恋人はこう答えます。

そうです。

私は知っています。

それはこの頃公園の池の汀(みぎわ)に小屋を出した、若い美しい魔術師です。

彼女はこう続けます。

私は度び度び其の小屋の前を素通りしましたが、

まだ一遍も中へ這入ったことがないのです。

 

其の魔術師の姿と顔とは、

余りに眩く美しくて、

恋人を持つ身には、近寄らぬ方が安全だと、

町の人々が云うのです。

 

其の人の演ずる魔法は、

怪しいよりもなまめかしく、

不思議なよりも恐ろしく、

巧緻なよりも奸悪な妖術だと多くの人は噂して居ます。

 

けれども小屋の入り口の、

冷い鉄の門をくぐって、

一度魔術を見て来た者は、

必ずそれが病み付きになって毎晩出かけて行くのです。

 

どうしてそれ程見に行きたいのか、

彼等は自分でも分りません。

 

きっと彼等の魂までが、

魔術にかけられてしまうのだろうと私は推量して居るのです。

 

――ですがあなたはその魔術師をまさか恐れはしないでしょう。

 

人間よりも鬼魅を好み、

現実よりも幻覚に生きるあなたが、

評判の高い公園の魔術を、

見物せずには居られないでしょう。

 

たとえいかなる辛辣な呪咀や禁厭を施されても、

恋人のあなたと一緒に見に行くのなら、

私も决して惑わされる筈はありません。

主人公も彼女に同意しました。

(主人公)
それではこれからすぐに公園へ行ってみよう。

われわれの魂が魔法にかかるかかからないか、お前と一緒にその男を試してやろう!

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